≪今日の読み物≫
「鉄道の日」「鉄道の日」とは、鉄道を記念する日本の記念日。明治5年(1872)10月14日、新橋~横浜(現在の根岸線桜木町駅)が開通しました。
大正11年(1922)鉄道記念日と制定。昭和24年(1949)日本国有鉄道の記念日になり、一部民営化された後もJRグループの記念日として祝っていましたが、平成6年(1994)運輸省の提案で「鉄道の日」と改称され、JRをはじめ民鉄等の鉄道事業者が鉄道の発展を祝う記念日となりました。
これを記念して、JRや私鉄などで記念乗車券の発売やカードの発行など、鉄道関連のイベントが行われます。東京千代田区の日比谷公園では「鉄道フェスティバル」が行われ、一部の鉄道会社では特別臨時列車を走らせたり、車両基地などの一般公開が行われます。
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「新宮熊野速玉大社祭」「熊野速玉大社」(くまのはやたまたいしゃ)は、熊野三山の一つで、熊野新宮とも称される熊野神社の総本宮です。
「熊野速玉大神」と「熊野夫須美大神」を主祭神として十二柱の神々を祀り、「新宮十二社大権現」として全国から崇敬を集めています。平成16年「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されました。
熊野権現御垂迹縁起によれば、唐の天台山より飛行、日本国鎮西の日子山(英彦山)の八角の水晶の姿で降臨し、更に伊予国の石槌山や淡路の遊鶴羽の峰、紀伊国牟婁郡切部山を経て、熊野新宮の南に位置する神倉山に天降ったとされます。
熊野速玉大神は「伊邪那岐神」(いざなぎ)、熊野夫須美大神は「伊邪那美神」(いざなみ)とされますが、もともとは近隣の神倉山の磐座に祀られていた神で、いつ頃からか現在地に祀られるようになったといわれます。神倉山の旧宮に対し、現在の社殿を新宮とも呼びます。
「権現」とは「仮に現われる」の意。神様は御殿の中の最も清浄な奥処に鎮まり、そのお姿を直接見ることが出来ません。そこでそのお姿を仮に仏に変えて我々の住む俗世界に現われるという考え方が浸透します。
奈良朝末期に至り、熊野速玉大神は衆生の苦しみや病気を癒す「薬師如来」として過去世の救済を、またお妃の熊野夫須美大神は現世利益を授ける「千手観音菩薩」、家津美御子大神は来世浄土へ導く「阿弥陀如来」として位置付けられ、山伏や熊野比丘尼によって「熊野権現信仰」は飛躍的な拡がりを見せました。
更に中世熊野信仰の興隆に伴い、皇室・公卿・武士中心から庶民信仰へと発展。過去世救済、現世利益、来世加護を説く三熊野詣こそ、滅罪・甦りへの道であるとして「蟻の熊野詣」の諺のごとく熊野街道は賑わったのです。
15~16日に行われる例大祭では、速玉大神が神馬に奉安され、御旅所「杉のお仮宮」に渡御し、松明の灯りの中、おみたまと呼ばれる特殊な神饌などが供えられ、古儀な神事が行われます。16日午後には、神輿で熊野川原まで渡御した後、朱塗りの神幸船に乗って御船島を目指し、先導の9隻の早船競漕が行われます。
神代の時代絵巻を今に伝える御船祭。緒手船神事の中で9隻の船が競漕する船渡御は、全国に類のない伝統ある神事で県指定の無形民俗文化財となっています。
熊野速玉大社◇和歌山県新宮市新宮1
◇JRきのくに線「新宮駅」徒歩5分
※本年度御船祭について※
この度の台風十二号により、熊野地方は甚大な被害を被りました。熊野速玉大社では、鳥居、太鼓橋、駐車場、職舎が水没しましたが、幸いにも社殿はじめ各建物には 被害が及びませんでした。
しかし、「お旅所」はあとかたもなく流され、御船島も濁流により様相が大きく変わってしまいましたことは、洵に残念でなりません。
両所とも古来から重要な神事の行なわれる場所であり、世界遺産コアゾーンにもなっておりますので、文化庁とも協議をすすめながら復元計画をすすめております。
熊野地域全体がこのような苦しい情況にありますが、この様な時にこそ皆様の協力のもとに、先人から受け継いできた例大祭を厳修し、御神威をいよいよ高め、熊野の復興と亡くなられた方々の鎮魂安寧の祈りを捧げる時であると思います。
検討の結果、十五日の本殿祭、神馬渡御式、及び十六日の神輿渡御式は予定通り行ないますが、諸事情を考慮して今年の御船祭では競漕を行なわず、本来の祭の趣旨に添って神様の御供として、島を廻る形で行うことになりました。
但し、当日熊野川の増水等の気象情況によって船渡御ができないと判断した時は、御船祭は中止し、行列でお旅所に渡御しますので、どうかご理解ご協力のほど宜しくお願い申し上げます。
是非皆様の御参拝を心よりお待ちしております。
熊野速玉大社宮司 他
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