≪今日の読み物≫
 
 
本「鉄道の日」
 
 
「鉄道の日」とは、鉄道を記念する日本の記念日。明治5年(1872)10月14日、新橋~横浜(現在の根岸線桜木町駅)が開通しました。
 
 
大正11年(1922)鉄道記念日と制定。昭和24年(1949)日本国有鉄道の記念日になり、一部民営化された後もJRグループの記念日として祝っていましたが、平成6年(1994)運輸省の提案で「鉄道の日」と改称され、JRをはじめ民鉄等の鉄道事業者が鉄道の発展を祝う記念日となりました。
 
 
これを記念して、JRや私鉄などで記念乗車券の発売やカードの発行など、鉄道関連のイベントが行われます。東京千代田区の日比谷公園では「鉄道フェスティバル」が行われ、一部の鉄道会社では特別臨時列車を走らせたり、車両基地などの一般公開が行われます。
 
 
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本「新宮熊野速玉大社祭」
 
 
「熊野速玉大社」(くまのはやたまたいしゃ)は、熊野三山の一つで、熊野新宮とも称される熊野神社の総本宮です。
 
 
「熊野速玉大神」と「熊野夫須美大神」を主祭神として十二柱の神々を祀り、「新宮十二社大権現」として全国から崇敬を集めています。平成16年「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されました。
 
 
熊野権現御垂迹縁起によれば、唐の天台山より飛行、日本国鎮西の日子山(英彦山)の八角の水晶の姿で降臨し、更に伊予国の石槌山や淡路の遊鶴羽の峰、紀伊国牟婁郡切部山を経て、熊野新宮の南に位置する神倉山に天降ったとされます。
 
 
熊野速玉大神は「伊邪那岐神」(いざなぎ)、熊野夫須美大神は「伊邪那美神」(いざなみ)とされますが、もともとは近隣の神倉山の磐座に祀られていた神で、いつ頃からか現在地に祀られるようになったといわれます。神倉山の旧宮に対し、現在の社殿を新宮とも呼びます。
 
 
「権現」とは「仮に現われる」の意。神様は御殿の中の最も清浄な奥処に鎮まり、そのお姿を直接見ることが出来ません。そこでそのお姿を仮に仏に変えて我々の住む俗世界に現われるという考え方が浸透します。
 
 
奈良朝末期に至り、熊野速玉大神は衆生の苦しみや病気を癒す「薬師如来」として過去世の救済を、またお妃の熊野夫須美大神は現世利益を授ける「千手観音菩薩」、家津美御子大神は来世浄土へ導く「阿弥陀如来」として位置付けられ、山伏や熊野比丘尼によって「熊野権現信仰」は飛躍的な拡がりを見せました。
 
 
更に中世熊野信仰の興隆に伴い、皇室・公卿・武士中心から庶民信仰へと発展。過去世救済、現世利益、来世加護を説く三熊野詣こそ、滅罪・甦りへの道であるとして「蟻の熊野詣」の諺のごとく熊野街道は賑わったのです。
 
 
15~16日に行われる例大祭では、速玉大神が神馬に奉安され、御旅所「杉のお仮宮」に渡御し、松明の灯りの中、おみたまと呼ばれる特殊な神饌などが供えられ、古儀な神事が行われます。16日午後には、神輿で熊野川原まで渡御した後、朱塗りの神幸船に乗って御船島を目指し、先導の9隻の早船競漕が行われます。
 
 
神代の時代絵巻を今に伝える御船祭。緒手船神事の中で9隻の船が競漕する船渡御は、全国に類のない伝統ある神事で県指定の無形民俗文化財となっています。
 
 
熊野速玉大社◇和歌山県新宮市新宮1
 
◇JRきのくに線「新宮駅」徒歩5分
 
 
※本年度御船祭について※
 
この度の台風十二号により、熊野地方は甚大な被害を被りました。熊野速玉大社では、鳥居、太鼓橋、駐車場、職舎が水没しましたが、幸いにも社殿はじめ各建物には 被害が及びませんでした。
 
しかし、「お旅所」はあとかたもなく流され、御船島も濁流により様相が大きく変わってしまいましたことは、洵に残念でなりません。
 
両所とも古来から重要な神事の行なわれる場所であり、世界遺産コアゾーンにもなっておりますので、文化庁とも協議をすすめながら復元計画をすすめております。
 
熊野地域全体がこのような苦しい情況にありますが、この様な時にこそ皆様の協力のもとに、先人から受け継いできた例大祭を厳修し、御神威をいよいよ高め、熊野の復興と亡くなられた方々の鎮魂安寧の祈りを捧げる時であると思います。
 
検討の結果、十五日の本殿祭、神馬渡御式、及び十六日の神輿渡御式は予定通り行ないますが、諸事情を考慮して今年の御船祭では競漕を行なわず、本来の祭の趣旨に添って神様の御供として、島を廻る形で行うことになりました。
 
但し、当日熊野川の増水等の気象情況によって船渡御ができないと判断した時は、御船祭は中止し、行列でお旅所に渡御しますので、どうかご理解ご協力のほど宜しくお願い申し上げます。
 
是非皆様の御参拝を心よりお待ちしております。
 
 熊野速玉大社宮司 他
 
 
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≪今日の読み物≫
 
 
本「和歌山竈山神社祭」
 
 
「竈山神社」(かまやまじんじゃ)は、神武天皇の長兄である「彦五瀬命」(ひこいつせのみこと)を祀る神社です。「五瀬」は「厳稲」の意とし、穀物や食料の神の意と古事記伝では解しています。
 
 
式内社で、旧社格は官幣大社。釜山神社と表記されることも。本殿裏に彦五瀬命の墓があります。神仏霊場巡拝の道第8番(和歌山第8番)。
 
 
神武天皇ら弟たちとともに東征に向かった彦五瀬命は、難波の白肩津で登美能那賀須泥毘古に敗れ負傷。「吾は日の神の御子として、日に向ひて戦ふこと良からず云々」として南下しましたが、紀国の男之水門に着いたところ、その傷が元で亡くなってしまいます。
 
 
古事記には、紀伊国竈山に墓が作られたとあります。「紀伊続風土記」によれば、ここが竈山の地であり、墓が作られてすぐに、神社が作られたとあります。
 
 
天正13年(1585)羽柴秀吉の紀州根来衆攻めにより社宝・古文書等を焼失。社領も奪われて荒廃。慶長5年(1600)紀伊国に入国した浅野幸長が小祠を再建。寛文9年(1669)徳川頼宣が社殿を再建。
 
 
明治に入り、宮内省管轄の「彦五瀬命墓」と、竈山神社は正式に区分されました。明治14年(1881)村社に列格しましたが、神武天皇の兄を祀るという由緒をもって社殿が整備され、明治18年(1885)官幣中社に、大正4年(1915)には官幣大社に異例の昇格を果たし、現在は神社本庁の別表神社となっています。
 
 
竈山神社◇和歌山県和歌山市和田438
 
◇和歌山電鐵貴志川線「竈山駅」徒歩10分
 
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本「日蓮聖人忌」
 
 
「日蓮」(にちれん)は鎌倉時代の仏教の僧で、法華経の宗祖。貞応元年(1222)2月16日、安房国長狭郡(安房郡天津小湊町)に生まれ、幼名「善日麿」と伝わります。
 
 
天福元年(1233)清澄寺の道善を師とし入門。暦仁元年(1238)に出家し、是生房蓮長の名を与えられ、仁治元年(1240)比叡山へ遊学。高野山へも勉学に努め、仏経典を研鑽した結果「法華経」こそ釈迦の本懐であるという結論に至りました。
 
 
建長5年(1253)清澄寺に帰り、4月28日朝、昇る太陽に向かい「南無妙法蓮華経」の題目を唱えて立宗宣言。持仏堂にて仏教教義を行いました。
 
 
建長6年(1254)鎌倉に出て弘教を開始。この頃日蓮と名のります。
 
 
文応元年(1260)立証安国論を執筆。これには法華経を信じなければ自界叛逆難、他国侵逼難などの災いが起こると説かれ、これを幕府最高実力者・北条時頼に送ります。念仏・禅・真言・律などの信仰を批判してた日蓮は、恨みを持つ他宗の僧らにより襲撃され、幕府により流罪にされたりしました。
 
 
文永5年(1268)蒙古から国書が届き、他国からの侵略の危機が現実となります。文永8年、幕府や諸宗を批判したという理由で捕らえられ、龍の口刑場にて処刑されかけましたが、刀が折れるという怪異が起こり中止され、佐渡へ流罪されます。
 
 
流罪中「開目抄」「観心本尊抄」などを著述。また、末法における「法華曼荼羅」を完成させました。
 
 
文永11年(1274)春、赦免となった日蓮は幕府に三度目の諌暁を行いましたが、幕府は聞き入れず。後、日興聖人の弟子・身延の地頭・波木井実長(清和源氏・甲斐源氏武田流)の領地に入山して身延山を寄進され、身延山久遠寺を建立しました。この年、蒙古襲来。
 
 
弘安2年(1279)10月「本門戒壇の大御本尊」を御図顕されました。
 
 
弘安5年(1282)10月、弟子の日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持を後継者と定めました。この弟子達は六老僧と呼ばれます。病気療養のため常陸へ湯治に向かう途中、武蔵国池上の郷主・池上宗仲邸にて亡くなりました。
 
 
死後、皇室から「日蓮大菩薩」(後光厳天皇・1358年)「立正大師」(大正天皇・1922)の諡号を追贈されています。
 
 
この日、全国各地でお会式(おえしき)と呼ばれる法要が営まれます。
 
 
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本「嵐雪忌」
 
 
「服部嵐雪」(はっとりらんせつ)は、江戸時代前期の俳諧師で松尾芭蕉の門弟。淡路出身の武家の長男に生まれ、下級武士として常陸笠間藩主の井上正利に仕えました。
 
 
寛文12年(1673)松尾芭蕉に入門。不卜編「俳諧江戸広小路」に付句が2句入集したのが作品の初見。貞享5年(1688)に「若水」を刊行して宗匠となり、2年後には「其机」(そのふくろ)を刊行して俳名を高めます。
 
 
元禄7年(1694)「露払」の斤に絡んで深川蕉門との対立を生じ、代えて「或時集」を刊行。また翌年には芭蕉の一周忌追善集「若菜集」を刊行しました。
 
 
芭蕉は嵐雪の才能を高く評価し、1692年3月3日桃の節句に「草庵に桃桜あり。門人に其角嵐雪あり」と称えましたが、嵐雪は芭蕉の奥州行脚にも送別吟を贈っていないなど、師弟関係に軋みが発生し風波は激しかったようです。
 
 
江戸で芭蕉の訃報を聞いた嵐雪は、その日のうちに一門を参集して芭蕉追悼句会を開いています。そして桃隣と一緒に芭蕉が葬られた義仲寺に向かいます。義仲寺で嵐雪が詠んだ句は「この下にかくねむるらん雪仏」互いに師弟の強い信頼関係があったのも事実です。
 
 
宝永4年(1707)10月13日没。享年54歳。辞世句「一葉散る 咄ひとはちる 風の上」。追善集に百里斤「風の上」などがあります。
 
 
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本「横浜鶴見総持寺御征忌会」
 
 
「總持寺」(そうじじ)は、福井県永平寺と並ぶ曹洞宗大本山の一つ。釈迦の教えを日本に伝え、永平寺を開いた「道元禅師」(高祖)、總持寺を開いて教えを全国に広めた「瑩山禅師」(太祖)を「両祖」と呼び、釈迦と併せて「一仏両祖」として祀られます。
 
 
はじめ、石川県の「諸嶽寺」を元亨元年(1321)太祖・瑩山禅師が「諸嶽山總持寺」と改めました。明治の焼失を機に横浜市に移転。開かれた禅苑として国際的な「禅の根本道場」となっています。
 
 
道元禅師の教えを受け継いだ四代目「瑩山禅師」(けいざん)は、文永5年(1268)現在の福井県武生市に誕生。父は土地の豪族・瓜生氏、両親ともに信仰深く、母が観音様に祈願を込め、その霊験によって生まれたのが禅師といわれています。
 
 
8歳にして永平寺に登り、三代徹通禅師に弟子入り。永平寺での修行は厳しくも鍛えられ、13歳の春に、二代目懐弉禅師について得度を受けます。18歳で諸国行脚修行の旅に出ます。
 
 
21歳の秋、永平寺の「徹通禅師」の元に戻った禅師は、その翌年に徹通禅師のお供として永平寺に別れを告げ、金沢の大乗寺へ移ります。
 
 
修行7年の後、27歳にして平常心是道も公案を開き教えを体得、翌28歳の正月徹通禅師の教えを継ぎました。徹通禅師を助けて布教活動に専念するうち35歳で大乗寺2世となり、45歳で能登に永光寺を開きます。
 
 
54歳の春、羽咋市の近くの諸嶽寺の定賢律師の願いを受け入れ、その寺に入って「総持寺」と改めます。翌年、後醍醐天皇より「曹洞宗出世道場」という額と紫衣を賜り大本山となりました。
 
 
正中2年(1325)夏、病床に倒れた瑩山禅師は、9月29日、58歳の生涯を閉じます。「御征忌会」(ごしょうきえ)では、御開山瑩山禅師、二祖峨山禅師の御遺徳を偲び報恩修行が行われます。
 
 
總持寺◇神奈川県横浜市鶴見区鶴見2-1-1
 
◇JR「鶴見駅」徒歩5分
 
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本「芭蕉忌」
 
 
「松尾芭蕉」(まつおばしょう)は、江戸時代前期の俳諧師で、俳諧を革新し「蕉風」を樹立。俳諧に偉大な足跡を残し、明治時代に成立した俳句の源流を作りました。
 
 
「古池や蛙飛込む水のをと」「閑さや岩にしみ入る蝉の声」「荒海や佐渡に横たふ天の河」「夏草や兵共(つはものども)が夢の跡」などが有名。
 
 
伊賀国の松尾与左衛門と妻・梅の次男として誕生。松尾家は農家でしたが、松尾の苗字を持つお家柄。若くして、伊賀国上野の侍大将・藤堂新七郎良清の嗣子・主計良忠に仕え、京に出て北村季吟に師事して俳諧の道に入りました。
 
 
寛文12年(1672)処女句集「貝おほひ」を上野天満宮(三重県伊賀市)に奉納。3年後、江戸に移って宗匠となります。延宝8年(1680)深川に草庵を結び、門人の李下から贈られた芭蕉の木を一株植えると大いに茂ったのを見て「芭蕉庵」と名付けます。
 
 
天和2年(1682)庵を焼失し、甲斐国谷村藩の国家老高山伝右衝門に招かれて移り住み、しばしば旅に出ては「野ざらし紀行」「鹿島紀行」「笈の小文」「更科紀行」などの紀行文を残しました。
 
 
元禄2年(1689)弟子の河合曾良を伴い、江戸を立って東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで「奥の細道」の旅に出ます。2年後に江戸に帰っています。
 
 
敬慕した西行・宗祇・李白・杜甫のように旅に生きた芭蕉もまた旅の途中、大坂御堂筋の旅宿・花屋仁左衛門方で「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の句を残して客死します。これが辞世句に。
 
 
「秋深き隣は何をする人ぞ」は、死の床に臥す直前に書いた句です。享年51歳。遺言「木曽殿の隣に」により、大津膳所の義仲寺(ぎちゅうじ)にある木曽義仲(ぎそよしなか)の墓の隣に葬られました。
 
 
芭蕉が好んで詠んだ句材「時雨」は、旧暦10月の異称です。忌日10月12日は、俳号に因んで桃青忌、時雨忌、翁忌などと呼ばれます。
 
 
「義仲寺」◇滋賀県大津市馬場1-5-12
 
◇JR「膳所駅」京阪電鉄「膳所駅」
 
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≪今日の読み物≫
 
 
本「神戸海神社祭」
 
 
「海神社」(わたつみじんじゃ)は、神功皇后の御代3~5世紀ごろの創建。「綿津見神社」とも表記され、「かいじんじゃ」とも読まれます。古くは、あまじんじゃ、たるみじんじゃ、日向大明神、衣財田大明神とも。
 
 
式内社(名神大社)で旧社格は官幣中社。延喜式神名帳に「播磨国明石郡・海神社三座」と記載されます。
 
 
神功皇后の三韓征伐からの帰途、海上で暴風雨が起こり船が進めなくなったので、「綿津見三神」を祀ると暴風雨が治まったそう。そしてこの地に社殿を建てたのが始まりと伝わり、古くから海上鎮護の神として崇敬されます。
 
 
「海神三座」として「上津綿津見神」(うわつわたつみのかみ=海上=航海の神)「中津綿津見神」(なかつわたつみのかみ=海中=魚(漁業)の神)「底津綿津見神」(そこつわたつみのかみ=海底=海藻、塩の神)を祀り、大日孁貴尊(おおひるめのむちのかみ=天照大神 )を配祀しています。
 
 
例祭は毎年10月10~12日、神輿を乗せた20数隻の船が海上をめぐる「海上渡御祭」(かいじょうとぎょ)は12日に行われます。
 
 
海神社◇兵庫県神戸市垂水区宮本町5-1
 
◇JR「垂水駅」・山陽電鉄「垂水駅」すぐ
◇第二神明道路「高丸IC」10分
 
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本「東京池上本門寺御会式」
 
 
日蓮宗大本山「池上本門寺」(いけがみほんもんじ)は、弘安5年(1282)10月13日辰の刻、日蓮大聖人61歳で入滅された霊跡です。
 
 
日蓮宗の十四霊蹟寺院の一つ。七大本山の一(他の6本山=清澄清澄寺、小湊誕生寺、中山法華経寺、北山本門寺、京都妙顕寺、京都本圀寺)本尊は釈迦如来。
 
 
弘安5年9月8日、病気療養のため身延山を降り、常陸の湯へ向かいます。途中、武蔵国池上(大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で亡くなりました。
 
 
もともと「長栄山大国院本門寺」と呼ばれる寺でしたが、それは「法華経の道場として長く栄えるように」という祈りを込めて日蓮聖人が名付けられたもの。
 
 
日蓮入滅の後、法華経69,384字に合わせて約7万坪の寺域を寄進した池上宗仲公の力で寺の礎が築かれたので、以来「池上本門寺」と改称されました。
 
 
大堂に安置される宗祖御尊像の左手の御持物「妙法蓮華経」は日蓮宗第一の参拝対象です。紺紙を用い、金字を金界の罫線内に1行17字あてで書写されたもので、旧国宝に指定され、現在は霊宝殿に格護されています。
 
 
旧大堂は、第14世・日詔聖人代の慶長11年(1606)熱心な法華信者・加藤清正公が、慈母の七回忌追善供養の為に建立されたもの。間口25間の大建築で、清正公が兜をかぶったまま縁の下を通ることが出来たと伝わります。その壮観さを江戸の人々は「池上の大堂」と称し、これに対して「上野(寛永寺)は中堂」、「芝(増上寺)は小堂」と呼んだそう。
 
 
旧扁額「祖師堂」は本阿弥光悦筆。惜しくも宝永7年(1710)に焼失。24世日等聖人代の享保8年(1723)徳川8代将軍・吉宗公の用材寄進で、当時の倹約令に従い間口13間に縮小されて再建されました。また吉宗公は、大岡越前守を普請奉行に、釈迦堂・大客殿・大書院なども建立寄進しています。旧祖師堂以下すべて戦災で焼失しました。
 
 
現在の大堂は、後の「日定聖人」が全国を行脚し、檀信徒並びに関係寺院からの浄財寄進を得て、昭和39年に再建されたものです。内陣中央の大型御宮殿(建築厨子)に「日蓮聖人の御尊像」を奉安し、左に第2世「日朗聖人像」を、右に第3世「日輪聖人像」を安置しています。
 
 
外陣の天井画は、大田区在住の「川端龍子画伯」に委嘱。画伯は、その龍図の完成を見ることなく逝去されましたが、「奥村土牛画伯」が眼を点じて開眼供養を遂げました。未完成の龍図ですが画伯の遺作として今も多くの人が訪れます。
 
 
11日・歴代先師聖人並びに池上ご護山会先師報恩法要、納経十種供養式法要。
 
12日・宗祖御更衣法要。聖人の御衣を夏物から冬物に改めます。午後からは宗祖報恩御逮夜法要が営まれます。夜には池上徳持会館から本門寺までの約2kmにわたり総勢約3千人の万燈行列が行われます。
 
 
お逮夜に当たるこの夜、一晩で30万人を超える参詣者で賑わい、僧侶が叩く大太鼓と信者達の唱題の声でお堂が震動するほど。
 
 
13日・臨滅度時法要が営まれます。午前8時、入滅を告げる鐘を日昭聖人が打ち鳴らされたように「臨滅度時の鐘」を鳴らして遺徳を偲び、法華経を広め伝える誓いを新たにします。御会式中の参篭も可能。
 
 
池上本門寺◇東京都大田区池上1-1-1
 
◇東急池上線「池上駅」徒歩10分
◇JR京浜東北線「大森駅」バス20分
◇首都高速目黒線「戸越出口」15分
 
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本「亥の子餅」
 
 
「亥の子」(いのこ)は、旧暦10月(亥の月)の亥の日に行われる年中行事のこと。「亥の子の祝い」、「玄猪」(げんちょ)、「亥の子祭り」とも。
 
 
猪(いのしし)の多産にあやかり、亥の月の初めの、亥の日の、亥の刻(午後9~11時)に、新穀でついた「亥の子餅」を食べ、無病と子孫繁栄を祈ります。
 
 
また「亥の子節供は夕節供」の通り、子供達の行事もすべて夜に行なわれます。
 
 
もともと中国から伝わったもので、古代中国では旧暦10月亥の日亥の刻に穀類を混ぜ込んだ餅を食べる風習から。日本では平安時代頃に始まり、宮中では亥の形をした餅を献上する儀式がありました。次第に貴族や武士にも広がり、民間でも行なわれるようになりました。
 
 
室町時代には「白・赤・黄・胡麻・栗」の五色の餅でしたが、近世になって小豆の入った薄赤色の餅となり、やがて牡丹餅となりました。
 
 
季節的には米の収穫が終わる時期にあたり、稲刈りが無事に終了したことを田の神さまに感謝する収穫祭(刈り上げ祝い)の行事として、特に西日本で盛んに行なわれました。
 
 
中国地方などでは、2月の始めの亥の日に「春亥の子」として祝う風もあります。亥の子の神は2月亥の日に田に降りて稲を守り、秋の刈入れ後の10月亥の日に帰ると考えられていました。
 
 
この日、子供達が新ワラを縄などで巻いて棒状にした物を手に持って、村々の家を回り地面を叩きます。これを「亥の子突き」といいます。この時「亥の子餅をつかん者は鬼を生め、蛇を生め、角の生えた子を生め」などと唱え、道すがら餅やお菓子、お小遣いなどを貰って歩きます。餅などを貰うと「繁盛せえ、繁盛せえ」と唱え、何も貰えないと「貧乏せえ、貧乏せえ」と悪たれを言います。
 
 
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≪今日の読み物≫
 
 
旗「体育の日」
 
 
「体育の日」は、国民の祝日の一つ。祝日法によると「スポーツに親しみ、健康な心身を培う」ことを趣旨としています。
 
 
昭和39年(1964)東京オリンピックの開会式のあった10月10日を、昭和41年(1966)から国民の祝日としたもの。現在は、ハッピーマンデー制度の適用により10月の第2月曜日となっています。
 
 
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本「香川金比羅宮祭」
 
 
香川県琴平山の中腹に鎮まる「金比羅宮」は「讃岐のこんぴらさん」と呼ばれ親しまれています。
 
 
神仏分離・廃仏毀釈が実施される前は「真言宗の象頭山松尾寺金光院」でした。
 
 
神仏習合で「象頭山金毘羅大権現」(ぞうずさん こんぴらだいごんげん)と呼ばれるようになりましたが、明治元年の神仏混淆の廃止で、もとの神社にかえり、同年7月に宮号を仰せられ「金比羅宮」(こんぴらぐう)と改称し現在に至っています。
 
 
現在は、神社本庁包括に属する別表神社で、宗教法人金刀比羅本教の総本部となっています。全国の金刀比羅神社・琴平神社・金比羅神社の総本宮です。
 
 
現在の御祭神は「大物主神」(おおものぬしのかみ)、相殿に「崇徳天皇」。大物主神は天照大御神の弟である「建速素盞嗚命」(たけはやすさのおのみこと)の子です。
 
 
大国主神の和魂神(にぎみたまのかみ)で、農業殖産、漁業航海、医薬、技芸などの神徳を持つ神様として全国から広く信仰を集めています。
 
 
大祭は、毎年10月9日~11日の3日間に亘って行なわれる金刀比羅宮で一番大きな祭事です。夜間に執り行われる「神幸行」(おみゆき)は、少年少女の頭人(とうにん)がその列に加わることから「おとうにんさま」とも呼ばれます。
 
 
金刀比羅宮の大祭中、琴平町では様々な奉祝イベントが催されます。JR琴平駅から奥社までを往復する「こんぴら石段マラソン」、奉納野球、奉納ゲートボール郷土芸能の発表会など、門前町は賑やかになります。
 
 
因みに、江戸時代の庶民は旅行を禁止されてましたが、神仏への参拝は許されていました。庶民にとって、「お伊勢参り」は一生に一度の夢でした。並んで、讃岐の金毘羅大権現(今の金刀比羅宮)と、京都六条の東西本願寺への参拝の旅も、人生の一大イベント!
 
 
当時の参拝の旅は大変なことです。旅慣れた人が代理で参拝に行くこともあり、これを「代参」と言いました。旅を途中で諦めなければならない人が、道中で知り合った旅人に、旅費と初穂料(お賽銭)を託して代参してもらうこともあったそう…。
 
 
また、「金毘羅参り」と記した袋を首にかけた犬が、飼い主の代参をすることもあったそうです。袋には、飼い主を記した木札、初穂料、道中の食費などが入っており、犬は、旅人から旅人へと連れられ、街道筋の人々に世話をされ、目的地に辿り着きました。「こんぴら狗」と呼ばれます。
 
 
金毘羅大権現への代参で有名なのが「森石松」。清水次郎長の代わりに参拝し、預かった刀を奉納したと伝わります。
 
 
参道の石段は、奥社まで1368段もありますから大変です。資生堂パーラー「神椿」のレストランを利用すれば、駅からタクシーを利用して500段ぐらいまで上へ行けますよ。(筆者秘話)
 
 
金毘羅宮◇香川県仲多度郡琴平町892-1
 
◇JR土讃本線「琴平駅」徒歩20分
 高松琴平電鉄琴電「琴平駅」徒歩15分
 
◇「高松空港」車50分
  
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メガネ「目の愛護デー」
 
 
「10・10」を横にすると、人の顔の「眉と目」に見えることから「目の愛護デー」となりました。
 
 
目の愛護デーの歴史は古く、昭和6年(1931)に失明予防の運動として、10月10日を「視力保存デー」と定め、中央盲人福祉協会主催、内務省、文部省の後援で活動をはじめたのがきっかけです。
 
 
昭和13~19年迄は9月18日を「目の記念日」としましたが、昭和22年に再び10月10日を「目の愛護デー」と定め、昭和25年から厚生省(現在の厚生労働省)が共催(現在では主催)となり、毎年「目の健康に関しての活動」を行っています。
 
 
この日、日本眼科医会では、視力検査、眼圧検査などを行い、目の健康講座を開いています。目の正しい使い方、メガネやコンタクトの正しい使い方指導なども行っています。
 
 
◆「目の愛護デー」をきっかけに、目を大切にすることについて考えてみましょう。
 
「目のかすみ」や「目の疲れ」は、ものを見る時のピントを合せる調節機能の働きの衰えが原因で起こる「老眼」の初期症状です。
 
 
それは、レンズの役目をする「水晶体」が硬くなって弾性力が低下し、近くを見る時に必要な調節が出来なくなっている状態です。さらに、水晶体核が硬くなり濁ってくれば白内障になります。
 
 
また、目の疲れの原因としては、ドライアイや緑内障の場合もあるので、安易な自己判断はせずに眼科医に相談しましょう。
 
 
まずは「目をいたわりましょう」。衰えた目の調節機能の改善や血行を促す成分(ビタミンB12・ビタミンE・ネオスチグミンメチル硫酸塩)配合の目薬を使うのも良いようです。
 
 
 
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≪ 今日の暦 ≫
 
 
10月10日(月)
 
戊戌 つちのえ・いぬ
 
五黄土気 ごおう・どき
 
仏滅 ぶつめつ
 
 
「体育の日」
 
香川金比羅宮祭
 
目の愛護デー
 
 
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≪今日の凶殺方位≫
 
 
日破殺 辰【南東】四緑
 
暗剣殺 ありません
 
五黄殺 ありません
 
定位対冲 ありません
 
 
※凶殺方位は、どなたさまにとっても悪い方位となりますのでお出掛けの際には十分ご注意下さい。
 
また、この方位に向かっての約束事などは良い結果に至りませんので避けて無難です。

 
 
起こりうる現象は?
 
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≪あなたの今日の運勢は?≫
 
 ◎◎攻めも守りも好調
 ◎ 攻めて順調
 ○ 守って無難
 △ 謙虚な姿勢で穏やかに
 ▲ おとなしく明日に期待
 ▲▲休養第一早めの就寝を
 
 
一白水星○
 
損得勘定を戒めよ。目上の人や後援者との出会いあり。
 
 
二黒土星◎◎
 
目上との意思疎通良好!宴席へ招かれれば積極的に参加を。
 
 
三碧木星△
 
礼節を欠いたり散財したり…成り行きにも悩まされる。
 
 
四緑木星△
 
良いアドバイスを受けたら素直に実行して無難に過ごそう。
 
 
五黄土星◎
 
周囲の状況を見据えて解決するに良い日。情に流されるはNG。
 
 
六白金星◎◎
 
親切丁寧に接して◎!古くからの友人知人からの話は利あり。
 
 
七赤金星◎
 
マイペースでコツコツと進めて◎!若者の話は聞き流して無難。
 
 
八白土星△
 
先を急いでイライラするも言うべき事が言えず時間超過に。
 
 
九紫火星▲
 
秘めた悪事の露見に注意。文書や印鑑の取扱いは慎重に。
 
 
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音譜素敵な一日を
 
お過ごし下さいませ
 
(癶▽癶)ノ☆彡
 
 
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