≪今日の読み物≫
 
 
本「東京日本橋べったら市」
 
東京日本橋の大伝馬町から小伝馬町への通りで開かれる「べったら市」は江戸時代から続く伝統のある市で下町の風物詩となっています。
 
 
もともとは翌20日の「恵比須講」に使う神像や打出の小槌、懸鯛、切山椒などを売るための市でしたが、いつの頃からかここで売られる「べったら漬」が評判になって、この名が定着してしまいました。
 
 
「べったら」とは、干し大根を麹で浅漬けしたもの。若者が混雑を利用して参詣の婦人に「べったらだー、べったらだー」と呼び掛けながら、着物の袖に「浅漬大根(べったら)」をくっつけ、婦人達をからかったことから「べったら」の呼名になったのだとか。現在では、大伝馬町界隈で様々な露店が300軒程連ねます。
 
 
「宝田恵比寿神社」は、日本橋七福神の恵比寿さまです。もと江戸城外・宝田村の鎮守で、徳川家康公の江戸入府の際に、三河から随行してきた馬込勘解由に下賜された恵比寿神像を祀ったもの。
 
 
慶長11年(1606)江戸城の拡張工事に伴い、宝田、祝田、千代田の三ヶ村は移転を命じられました。そこで馬込勘解由は宝田神社の恵比寿神を奉じ、住民を率いて、現在の日本橋の地に移転しました。馬込勘解由は三伝馬取締役となり、伊勢、駿河、遠江、美濃、尾張等から商人を呼び集めたため、あらゆる物資の集散地として栄えました。
 
 
宝田恵比寿神社はその鎮守となって商売繁盛、家族繁栄、火防の守護神として広く信仰を集めています。
 
  
宝田恵比寿神社◇東京都中央区日本橋3-10-11
 
◇地下鉄日比谷線「小伝馬町駅」
 
:*:--☆--:*:--☆--:*:
 
 
本「京都建勲神社舟岡祭」
 
舟岡山「建勲神社」(たけいさおじんじゃ)の御祭神は、贈太政大臣正一位「織田信長公」、配祀に従三位左近衛中将「織田信忠卿」。「けんくんじんじゃ」とも呼ばれます。
 
 
戦国時代、桶狭間の合戦の後、天下統一を成した織田信長公の偉勲を称え、明治2年(1869)明治天皇の勅命により創建。明治8年(1875)別格官幣社に列せられ、社地を舟岡山東麓に定め、次いで現在の山頂に遷座されました。
 
 
京都に平安京を築くとき、中国の陰陽五行、風水思想に基づいて、龍が天空より舞い降りる地、溢れ出る玄武の小山として「船岡山」を基準点に定め、真南の方角に「大極殿」を建築しました。
 
 
大極殿の正面中央から南へ伸びる方向に「朱雀大路」とされました。船岡山から南に眺める京都市全域が、ほぼ平安京の領域にあたります。境内には「船岡妙見社」という玄武神をまつる社があり、船岡山はまた「玄武」(四神の一つ・北を守護)の意味もあったと考えられています。
 
 
東山三十六峰や京都市街を眺める眺望は素晴らしく、神苑は春の桜、夏のつつじ、秋のもみじと四季それぞれに大変美しい。「京都の自然100選」第一号に選ばれています。聖徳太子や清少納言にもゆかりが深く、応仁の乱では西軍が山城を築き、陣地となった事から周辺を「西陣」と呼ぶようになりました。船岡山は国の史跡に指定されています。
 
 
織田信長が初めて入洛した日を記念して、毎年10月19日に「船岡祭」が催されます。桶狭間の合戦出陣の際に信長公が舞われた仕舞「敦盛」や、舞楽奉納、弓取り神事などが行われます。信長公ゆかりの宝物などの特別公開も行われます。
 
 
建勲神社◇京都府京都市北区大宮通北大路下る
 
◇市バス「舟岡山公園」徒歩8分
 
:*:--☆--:*:--☆--:*:
 
 
PC http://www.yunmu.info/
 
Mobile http://www.yunmu.info/m/
 
有料会員専用サイト
 http://yunmu.jp/member/wordpress/
 
 
ベル素敵な一日を
 
お過ごし下さいませ
 
(癶▽癶)ノ☆彡
 
読者登録してね
アメンバー募集中
 
 
 
 
 
  
 
 
 
  
 


 
≪今日の読み物≫
 
本「統計の日」
 
「統計の日」(とうけいのひ)は、昭和48年(1973)に制定された日本の記念日です。
 
 
明治3年9月24日(グレゴリオ暦1870年10月18日)に、日本で初めての近代的生産統計である府県物産表に関する太政官布告が公布されました。これが由来となって「国民の統計の重要性に対する関心と理解を深め、統計調査への一層の協力を得ること」を目的としています。
 
 
総務省統計局では、毎年、統計の日の周知と統計に関する関心を高めることを目的として「ポスター」を作成し、使用する標語については平成2年(1990)より関係省庁及び地方公共団体等から募集しています。
 
 
この日前後、全国統計大会等の統計の啓発普及を目的とした各種行事が行なわれます。

 
問い合わせ◇総務省 地方公共団体の統計担当部署
 
 
:*:--☆--:*:--☆--:*:
 
 
本「東京靖国神社秋祭」
 
「靖国神社」(やすくにじんじゃ)は、日本が関係し国内外の事変や戦争に於いて、朝廷及び政府側で戦役に就き、戦没した軍人や軍属らを、顕彰や崇敬などの目的で祭神として祀る神社です。神社本庁には加盟していません。
 
 
明治2年(1869)「東京招魂社」として創建されましたが、明治10年の西南戦争をきっかけに「神社」として定まりました。
 
 
明治初期には多くの内乱が起こりました。その原因は徴兵令と地租改正条例にあるといわれています。内乱の中で最も規模が大きく、内乱の最後となったのは、西郷隆盛率いる旧薩摩藩の士族達が起こした「西南の役」です。この内乱の原因になったのは「廃刀令」で国民皆兵を原則とした徴兵令によって、軍人・武士としての士族達の特権が奪われてしまったからです。西郷隆盛達が鹿児島から熊本城へ向かった軍勢はおよそ1万5千。対し迎え撃つ新政府軍は6万8千余名にも及びました。
 
 
東京招魂社は、明治12年6月4日「別格官弊社」に加えられ、「靖国神社」と改称しました。西南戦争を経て、国家的統一を確かなものにするために命を落とした新政府の兵隊たちの霊を合祀したとき、招魂社は「国を靖(安)んずる場」、靖国神社へと変わっていたのです。それからちょうど10年後の明治22年の2月11日、大日本帝国憲法が発布されました。
 
 
靖国神社は、「吾以靖国也」(吾以つて国を靖んずるなり)を典拠として明治天皇が命名したものです。
 
 
10月17~20日「秋季例大祭」が行われます。18日「当日祭」では、全国から集った遺族・戦友・崇敬者をはじめ、各界代表者が多数参列のもとに、南部宮司以下の神職が御本殿に進み、御饌、御酒、海の幸、山の幸等の神饌をお供えして楽を奏し祝詞を奏上。戦歿者246万6千余柱の「みたま」を慰め、平和を祈念します。また、勅使が天皇陛下よりの御幣物を供え、御祭文を奏して参拝します。
 
 
靖国神社◇東京都千代田区九段北3-1-1
 
◇地下鉄「九段駅」徒歩5分
 
:*:--☆--:*:--☆--:*:
 
 
本「東京浅草観音菊供養」
 
聖観音宗総本山「浅草寺」(せんそうじ)の本尊は聖観音、山号は金龍山。浅草寺(あさくさでら)と呼ばれ親しまれ、江戸時代には徳川家康が幕府の祈願所に指定し、下町文化の中心的存在になりました。江戸三十三箇所観音霊場の札所1番。
 
 
大化元年(645)勝海上人という僧が寺を整備し、夢告により本尊を秘仏と定めたといわれます。さらに平安時代初期の天安元年(857)、延暦寺の僧・円仁(慈覚大師)が「お前立ち」の観音像を造ったと伝わります。観音像は、高さ一寸八分(約5.5cm)の金色の像であると言われますが、公開されることのない秘仏のためその実体は不明。
 
 
「菊供養」は、信徒の持参した献菊と、献菊されていたもの(下供菊)とを交換して供養するものです。供華会(くうげえ)ともいいます。
 
 
始まりは明治30年(1897)10月11日(旧暦9月9日)。謡曲「菊慈童」には「此の妙文を(観音経八句の偈の中四句)菊の葉に、置く滴りや露の身の、不労不死の薬となって、900歳を送りぬを、汲む人も汲まざるも、延ぶるや千年(ちせ)なるらん」とあります。これは「重陽の宴」や「菊の被綿(きせわた)」の行事となっています。
 
 
浅草寺では菊の出廻る頃、10月18日の観音薩捶の縁日を期して「菊供養」を行います。
 
 
浅草寺◇東京都台東区浅草二丁目3番1号
 
◇東京メトロ・都営地下鉄「浅草駅」徒歩5分
 
:*:--☆--:*:--☆--:*:
 
yunmu

PC http://www.yunmu.info/
 
Mobile http://www.yunmu.info/m/
 
有料会員専用サイト
 http://yunmu.jp/member/wordpress/
 
ベル素敵な一日を
 
お過ごし下さいませ
 
(癶▽癶)ノ☆彡
 
読者登録してね
アメンバー募集中
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
≪今日の読み物≫
 
 
¥「貯蓄の日」
 
10月15~25日、伊勢神宮では神嘗祭を行ます。「神嘗祭」(かんなめさい)とは、天照大神に新穀を供え収穫を感謝する式典で、昔は神嘗祭が来るまではその年の新米は誰も口にしないという風習がありました。
 
 
農耕民族にとってはとても重要な区切りの日であるということから、昭和27年(1952)「日本銀行貯蓄増強中央委員会」(現在の金融広報中央委員会)が、神嘗祭で内宮の奉幣が行われる17日を「貯蓄の日」と定めました。
 
 
現在、多くの国民は労働の対価として金銭を貰うようになっていますので給料がいわば収穫。収穫したお金は大切に使おうという趣旨から国民に貯蓄を奨励する運動を行っています。
 
 
:*:--☆--:*:--☆--:*:
 
 
本「伊勢神宮神嘗祭」
 
「伊勢神宮」(いせじんぐう)とは、伊勢の宇治の五十鈴川に御鎮座の「内宮」と、伊勢の山田の原に御鎮座の「外宮」の他に、別宮、摂社、末社の125社神社の総称です。正式には「神宮」(じんぐう)といいます。
 
 
内宮「皇大神宮」は、皇室の御祖先の神「天照大神」を祀り、外宮「豊受大神宮」は「豊受大御神」を祀ります。豊受大御神は天照大神の召し上がる大御饌(おおみけ)の守護神です。
 
 
神宮の参拝順路は、外宮からというのが古来よりのならわしとなっています。
 
 
「神嘗祭」は、その年の初穂を神々に捧げるの意。神宮と宮中の祭礼です。皇室の大祭で、その年に獲れた新穀を天照大御神に奉る儀式を行います。かつては旧暦9月11日に、勅使に御酒と神饌を授け、9月17日に奉納していました。明治5年の改暦以降、新暦9月17日に実施するようになりましたが新穀が間に合わず、明治12年(1879)以降は、月遅れの新暦10月17日に行われるようになりました。
 
 
この祭典は、年間行事の中で最重要の祭りで「神々の正月は神嘗祭」とも言われ、御装束や祭器具などを新調して儀式を執り行います。
 
 
内宮◇近鉄「宇治山田駅」バス15分
  ◇伊勢自動車道「伊勢西IC」5分
 
外宮◇JR・近鉄「伊勢市駅」徒歩5分
  ◇県道伊勢市駅前右折1分
 
 
:*:--☆--:*:--☆--:*:
 
 
本「日光東照宮秋祭」
 
「日光東照宮」(にっこうとうしょうぐう)は、元和3年(1617)「徳川家康公」を奉祀し、創建された神社です。
 
 
二代将軍・秀忠公により造営された創建当初の社殿は、20年後の寛永13年(1636)三代将軍・家光公により建て替えられ、今日の絢爛豪華な社殿群となりました。
 
 
国指定文化財の建造物(国宝、重文)は、本殿や陽明門など35棟を中心に、大名の奉納による五重塔や石鳥居など55棟。これらの建造物は、何れも江戸初期寛永文化の優れた絵師、名工達、技術集団によって生み出された我が国を代表する「宗教建築」です。平成11年(1999)世界遺産に登録されました。
 
 
10月16~17日「秋季大祭」が行われます。流鏑馬神事は、およそ900年前、朝廷の護衛にあたった武人等によって行われていました。鎌倉時代に源頼朝公が鶴岡八幡宮の神前に奉納したことで盛んとなり、八代将軍吉宗公が復興に努められました。
 
 
現在、奉納されている流鏑馬は、鎌倉時代の古儀に正しく習うものです。馬場は2町(220m)表参道(大手通り)、的の1辺は1尺8寸(55cm)正方形の杉の柾目板を用います。
 
 
17日には「百物揃千人行列」が行われます。徳川家康公の神霊を、駿府久能山から日光へ改葬した当時の行列を再現した豪壮な渡御祭で、江戸時代には4月17日(命日)に行われ、京都から例幣使がつかわされていました。春と秋の2回行われます。春は千人を超える行列となり、二荒山神社境内から出発します。
 
 
三神(家康公、秀吉公、頼朝卿)輿は御旅所神殿に祀られ、拝殿には「三品立七十五膳」と呼ばれる山海の幸が神職の手で供えられ、祭典を済ませた後、日光二荒山神社巫女による舞、日光東照宮神職による舞が奉納され、三神輿は日光東照宮に向かい神輿舎に安置されます。還御祭が行われ御霊は御本社に遷霊します。
 
 
日光東照宮◇栃木県日光市山内2301
 
◇JR「日光駅」バス「神橋」徒歩8分
  
:*:--☆--:*:--☆--:*:
 
PC http://www.yunmu.info/
 
Mobile http://www.yunmu.info/m/
 
有料会員専用サイト
 http://yunmu.jp/member/wordpress/
 
 
ベル素敵な一日を
 
お過ごし下さいませ
 
(癶▽癶)ノ☆彡
 
ペタしてね
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
≪ 今日の暦 ≫
 
 
10月17日(月)
 
乙巳 きのと・み
 
七赤金気 しちせき・きんき
 
大安 たいあん
 
 
貯蓄の日
 
伊勢神宮神嘗祭
 
日光東照宮秋祭
 
 
:*:--☆--:*:--☆--:*:
 
 
≪今日の凶殺方位≫
 
 
日破殺 亥【北西】八白
 
暗剣殺 兌【西】九紫
 
五黄殺 震【東】五黄
 
定位対冲 巽【南東】六白
 
 
※凶殺方位は、どなたさまにとっても悪い方位となりますのでお出掛けの際には十分ご注意下さい。
 
また、この方位に向かっての約束事などは良い結果に至りませんので避けて無難です。

 
 
起こりうる現象は?
 
PC http://www.yunmu.info/
 
Mobile http://www.yunmu.info/m/
 
有料会員専用サイト
 http://yunmu.jp/member/wordpress/
 
 
:*:--☆--:*:--☆--:*:
 
 
≪あなたの今日の運勢は?≫
 
 ◎◎攻めも守りも好調
 ◎ 攻めて順調
 ○ 守って無難
 △ 謙虚な姿勢で穏やかに
 ▲ おとなしく明日に期待
 ▲▲休養第一早めの就寝を
 
 
一白水星◎
 
周囲の意見に左右されず自分に自信を持って判断を!
 
 
二黒土星▲
 
その場しのぎの言動は信用を失う。文書の取扱い慎重に。
 
 
三碧木星○
 
自己中も程々に。親切を受けたり新しい出会いもあり。
 
 
四緑木星△
 
強引な行動は面倒を引受けることに。自分の仕事に専念を。
 
 
五黄土星△
 
何事も腹七分で。若者の言動に気を取られないよう注意。
 
 
六白金星▲
 
ケジメをつけようと動けば裏目に。優柔不断な人に注意。
 
 
七赤金星△
 
いちいち反発せず現状を見守って。出過ぎれば反感を買う。
 
 
八白土星▲
 
自信過剰は思わぬ落とし穴に陥る。人の干渉も程々に。
 
 
九紫火星◎
 
仕事の問題あれば積極的に改善の努力をして好結果に。
 
 
:*:--☆--:*:--☆--:*:
 
 

ドキドキ素敵な一日を
 
お過ごし下さいませ
 
(癶▽癶)ノ☆彡
 
ペタしてね
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
≪今日の読み物≫
 
 
本「愛媛新居浜太鼓祭」
 
 
愛媛県新居浜市を代表する秋祭り「新居浜太鼓まつり」の起源は、江戸時代後期の文政年間(1818~1830)の頃と伝わります。毎年10月16~18日の3日間を中心に行なわれます。
 
 
山車(だし)は、もともと神社祭礼のときに神輿のお供をするもので「神輿太鼓」と書かれましたが、時代を経て次第に祭りの中心的存在となり、金糸銀糸に彩られた絢爛豪華な「太鼓台」(たいこだい)あるいは「太鼓」(たいこ)と呼ばれる山車になっていきました。
 
 
太鼓祭りの見どころ「かきくらべ」は、約3トンもの太鼓台を150人程で担ぎ上げ、その美しさや担ぎ上げている時間の長さなどを競うものです。太鼓台同士をぶつけ合う喧嘩(鉢合わせ)は「日本三大喧嘩祭り」にも数えられています。喧嘩は突発的に発生するもの、盛り上げを目的としたもの、従前よりの因縁対決など様々です。
 
 
過去には、太鼓台が破壊されて多数の重軽傷者を出していますが、その後も鉢合わせ行為は毎年のように行われ、多くのけが人や逮捕者が出ています。鉢合わせ行為は違法となっていますが、祭りを楽しむという点では無益と言い切れない面もあります。
 
 
現在では、澄んだ秋空に舞う新居浜太鼓台の姿の豪華絢爛さ、勇壮華麗なことから「男祭り」の異名をもつ魅力ある祭りとして、全国的にも知られます。
 
 
新居浜太鼓祭りは「四国三大祭り」にも数えられ、毎年10数万人の観客で賑わいます。また、この祭りは各地の祭りやイベントに参加し、国内外を問わず太鼓台の派遣を行っています。
 
 
問い合わせ◇愛媛県新居浜市運輸観光課
 
:*:--☆--:*:--☆--:*:
 
 
ベル素敵な一日を
 
お過ごし下さいませ
 
(癶▽癶)ノ☆彡
 
読者登録してね
アメンバー募集中
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
≪今日の読み物≫
 
 
本「天理石上神宮例祭」
 
 
「石上神宮」(いそのかみじんぐう)は、飛鳥から奈良へと続く日本最古の道「山の辺の道」の中間に位置し、飛鳥時代の豪族・物部氏の総氏神として、また日本最古の神社として有名です。
 
 
物部氏は「饒速日命」(にぎはやひのみこと=天孫瓊瓊杵尊の御兄)の後裔で、代々軍事や警察、石上神宮の祭祀を職務としていました。
 
 
饒速日命は天降った際に天神御祖から「十種神宝」を授かり、その子である「宇摩志麻治命」がこの十種神宝を天皇に献上し、天皇はこれを斎奉って石上神宮と名付けたと伝えられます。
 
 
御祭神の「布都御魂大神」は「甕布都神」(みかふつのかみ)、「佐士布都神」(さじふつのかみ)ともいわれ、神武天皇東征の折、熊野の地で「武甕槌神」(たけみかずちのかみ・建御雷神)が、「天照大神」の命によって高倉下(たかくらじ)から天皇に奉った「平国之剣」であると称されています。
 
 
例祭は「ふるまつり」と呼ばれる900年の伝統ある祭りです。壮麗な神輿を中心に、甲冑武者、猿田彦、花鉾、奉幣、衣冠姿の稚児の騎馬など、約4kmの盛大な「お渡り」が行われます。
 
 
石上神宮◇奈良県天理市布留町384
 
◇JR・近鉄「天理駅」バス「石上神宮前」下車
◇名阪「天理東IC」南下
 
:*:--☆--:*:--☆--:*:
 
 
本「姫路喧嘩祭」
 
 
「松原八幡神社」(まつばらはちまんじんじゃ)は、天平宝字7年癸卯4月11日(763)豊前国宇佐神宮より松原村へ奉迎され、天皇の御祈願所として創建されたと伝わります。
 
 
御祭神は、中殿に「品陀和気命」(ほんだわけのみこと:応神天皇)、左殿に「息長足姫命」(おきながたらしひめのみこと:神功皇后)、右殿に「比咩大神」(ひめおおかみ:比咩三神)を祀ります。
 
 
秋季例祭「灘まつり」は、「灘のけんか祭り」「妻鹿のけんか祭り」とも呼ばれ、一の丸、二の丸、三の丸からなる三基の神輿をぶつけ合う「練り合わせ」といわれる特殊な神事と、旧7ヶ村の絢爛豪華な屋台が激しく練り競う屋台練りが行われる天下の奇祭ともいわれる祭りです。
 
 
全国に数ある「けんか祭り」の中でも最大規模の祭りで、戦前から播磨を代表する祭りとして知られます。
 
 
勇壮豪華な屋台練りは人気を呼び、国内はもとより海外にまでその名を知られるようになりました。「松原八幡神社秋季例祭風流」として、姫路市と兵庫県の重要無形民俗文化財に指定されています。
 
 
例祭は毎年10月14~15日に行われます。宵宮(夜宮)と本宮(昼宮)に分かれ、前夜祭に当たる14日の宵宮で幕を開け、各村の氏子たちがそれぞれの村の屋台を担ぎ上げて松原八幡神社に赴きます。祭り本番の翌15日は、祭礼の主要行事である御旅神社への神事渡行を氏子たちが執行し、日暮れ時に神輿は松原八幡神社へ還御、屋台はそれぞれの村に帰着して祭行事の幕を閉じます。
 
 
松原八幡神社◇兵庫県姫路市白浜町甲399番地
 
◇山陽電鉄本線「白浜の宮駅」下車
 
 
:*:--☆--:*:--☆--:*:
 
 
本「釜石曳舟祭」
 
 
「尾崎神社」(おざきじんじゃ)は、祭神に日本武尊(やまとたけるのみこと)、綿津見神(わたつみのかみ)、閉伊三郎源頼基公を祀ります。
 
 
奥の院・奥宮・里宮から成り立ち、「おさきさん」と呼ばれ親しまれ、漁業・農業・商業・工業を営む人々から篤く信仰されています。
 
 
境内にある「釜石鎮魂社」は、国難に殉じた諸霊をはじめ、大東亜戦争の釜石鉄砲射撃において絶命された人の慰霊のため、平成元年に造営されました。
 
 
「曳舟祭」は、年に一度奥宮より御神体を船にて奉迎し、奥宮御旅所へ参るお祭りで、東北で最も古い船祭りと伝わります。先達露払い年行司太神楽船・御座船(お召船)、供奉船が船列を整え、湾内3周の海上渡御が盛大に行われます。
 
 
曳舟にてお迎えした御神体は翌日、大神輿に遷されます。総勢100名の担ぎ手の奉仕の下、年行司太神楽の露払い・釜石虎舞の供奉・町内奉納山車行列にて市内を巡幸します。終えて再び神輿を替え、奥宮にお送します。
 
 
尾崎神社◇岩手県釜石市浜町3-23-27
 
◇JR釜石線「釜石駅」車10分
 
※お問い合わせ※
 釜石市役所 Tel:0193-22-2111(代表)
 
 
:*:--☆--:*:--☆--:*:
 
 
ベル素敵な一日を
 
お過ごし下さいませ
 
(癶▽癶)ノ☆彡
 
読者登録してね
アメンバー募集中