岸見一郎著

 

老い、病気、そして災害……
そのような、人間の力ではどうすることもできない不可抗力に行く手を遮られたとき、私たちは一体どう対処すればいいのだろうか?
何もしないで「泣く」のでもなく、自分の都合のいいようにこの世界に起こることを解釈して世界に合わせてもいけない。かといって、世界を力で変えるのでもない。
理想を見失うことなく、言葉という意味でも、理性という意味でもある「ロゴス」によって世界に立ち向かっていきたい。

死の淵の病いから「私」の死を、震災から「私たち」の死を深く意識するようになった著者が、アドラー心理学とギリシャ哲学を軸に、「死」から「生」を見つめ直す。

 

今はやりの『嫌われる勇気』の著者の本なので、一読してみたく、気軽な気持ちで手に取ったものの、さすがは準哲学書。易しめの言葉で書いてあるのだろうけど、哲学書に読み慣れていない私としては、すらすら読める代物ではなかった・・・アセアセ

 

著者自身が病気後に執筆したものだから、『死』と隣り合わせになったという現実に直面した苦しみをなんとか理解しようと古代の哲学者の文言を引用しながら解釈しているのが本書。

 

たまには、この手の本を読んでみるのも、頭の体操には丁度いいかもしれない。

 

本書の中で面白いと思ったのは、

 

「不安になることの本当の理由」

 

という箇所。

 

「誰もが必ず不安になるというわけではない。

不安になることには目的がある、とアドラーは考える。

それは、端的に言えば、生きていくに当たって避けることができない人生の課題に取り組まないでおこうと思うこと、あるいはそれを前にして足踏みをすることである。」

 

「本当のところは、不安だから課題に取り組めないのではなく、課題に取り組めないために不安という感情を創り出している。」

 

不安の本質を理解すると、不安への対処法がわかるかもしれない。

 

やはり次は、アドラーだなウシシ