黒くんと哲学(てつがく)の部屋
「自由」シリーズ第2弾(だん)。
自由を守ることをテーマに
今回は安全運転に関して考えていこう。



安全運転の基本(きほん)は、
車間距離(しゃかんきょり)を開けることと
スピードを出しすぎないことだ。


そしてこの二つは、
相手の自由を守るだけでなく、
自分自身の自由を守ることにもつながるのだ。



運転に自信のある人の中には、もしかしたら、
「スピードを出すのも車間を詰(つ)めて遅(おそ)い車をあおるのも
自分の自由ではないか」と考える人もいるかもしれない。
だが、自由を謳歌(おうか)しているつもりでも、
実際のところは、自由を制限(せいげん)され、
ときには自由を失ってしまっているのである。



なぜか。
まず、車間距離について考えてみる。
前方の車が急ブレーキを踏(ふ)んだ時、
車間を詰め詰めにしていたら、
急ブレーキをかけながら急ハンドルを切るくらいしか、
できる選択肢(せんたくし)はない。
急ブレーキ急ハンドルだけではなく
余裕(よゆう)をもってブレーキをかけたり、
余裕(よゆう)をもってよけたりもできる。


車間距離をしっかりあけておけば、
他の車が何をしようが関係なく
自分の命は自分で守ることができるのだ。


逆に車間を詰めることは
自分の命を相手に預(あず)けることにもなる。
つまり、車間距離は、
自分で自分の命を守る自由の度合いなのである。


自分の命を守る自由というのは、
自由の中でも最も大切な自由のひとつであるといえるだろう。
その自由を捨ててしまうというのは、
ばからしいことである。



もちろん、車間を詰めることは相手の自由を奪(うば)うことにもなる。
上の図をもう一度掲載(けいさい)しておこう。

突然(とつぜん)、鳥がふらふらと飛び出してきた(別に鳥でなくても
いぬでもねこでもたぬきでもいい)。
このとき、後ろに車間があれば、
急ブレーキをかけて鳥の命を助けることができる。

しかし、車間がなければ、
自分の命を守るために、
心の中でごめんと言いながら、
鳥を轢(ひ)くしかなくなる。


これが、鳥でなくて、幼い子どもや老人だったら、
どうだろうか。


車間があれば、自分の命も子供や老人、鳥の命も
同時に助けられる。


しかし、車間がなければ、
自分の命を守る自由と他者の命を守る自由を
てんびんにかけ、


どちらかの自由を捨てなければならなくなる。
つまり、車間を詰める行為(こうい)は、
自分と相手の自由を同時に奪う行為なのである。


サラダバー










じゃなかった、さらばだ。