幼稚園の先生をしている友人が
ドイツのシュタイナー教育をしている
幼稚園に研修に行ったときの話。
お昼になって
お弁当を食べる時間になった。
それぞれが自分のお弁当を食べ始めたのだが
そのとき何も持っていず食事をしていない子が1人いた。
それを見ていた彼女は
その子がお弁当を忘れたのだろうと
可哀想に思って
自分のお弁当をあげようとしたのだそうだ。
それを見ていたドイツの先生に
「その子が欲しいとも言っていないのに、
なんでお弁当をあげるのですか?
その子は何かの理由があって
敢えてお弁当を食べていないかもしれないのに。
それに、その子がもしほんとうに忘れたのだとしたら
自分でちゃんと私達に言ってきますよ」
と言われてハッとしたという。
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日本人は
みんな同じであることが大事と教育される。
和を重んじる
協調する
行間を読む
それは日本人が持つ素晴らしい文化のひとつだ。
だけどその一方で
同じであることが当たり前になってしまうと
違っていることが目障りになる。
許容出来なくなる
ということが起こってくる。
そうして
同じであることと人に慣れてしまって
違うことに対して
想像力が働かない。
つまり
自分には赤に見えても
他人には紫に見えているかもしれないとは
決して思わないし
そんなことを仮定することすらないのだ。
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そもそも
人は同じであるわけがない。
わたしの当たり前は
他人の当たり前ではない。
そしていくら考えたところで
他人の気持ちなど分からない。
分かるわけがない。
分かるわけがない、という大前提に立った上で
でも人は人と関わっていきたいし
共感したいし
心に触れていきたいと思うのだ。
そしてその前提に立って初めて
見えてくるものがあると思っている。
じゃあ、目の前のその人の
当たり前ってなんだろう?
その人は何を思って
いま、その行動をしているんだろう?
ありったけの想像力を駆使して
なんとか目の前の人を知りたいと思う。
その人の心を
理解し寄り添おうとする。
そのとき
きっとわからなくても
つながっていける。
今日も読んでくださってありがとうです m(_ _)m
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