生まれたとき、あなたは大声で泣き、
世界は喜びに包まれた。
死ぬときには世界が嘆き、
あなたが喜びに包まれるような
生をおくりなさい。
***** ネイティブインディアンのことわざ *****
友人がFacebookでお友達に赤ちゃんが生まれたことをupしていて
この言葉を思い出しました。
お父さん、お母さん、たくさんひとの愛につつまれて
一つの命が誕生する。
赤ちゃんは無条件に生きる喜びと
あふれる愛を運んできてくれますね。
なぜだか同時に、ひとが生まれてきて、やがて逝く。
あらためてそのことを想いました。
ひとが逝くとき、その瞬間になにを想うのか。
いくら考えても答えは出せません。
どんなに覚悟を決めていたとしても
いざとなったらきっとジタバタあがいてしまうような気がします。
それとも案外すうっと逝けるものなのか。
やっぱり分からない。
できうるならば、穏やかに逝きたいと思いますが…
ひとが生きるということは、
そういうことなのかもしれません。
いくつになっても
どんな哲学や宗教を学んでも
やっぱりジタバタしてしまう。
昔は大人になれば
いろんなことが分かるのかと思っていたのに
自分が立派な大人になったら
ますますいろんなことが分からなくなりました。
それでも、拒食になって
「本当にこのままいったら死ぬな」と思ったとき
初めて、このままでは死ねないって思ったんですね。
そのとき “ 死 ” ということに
身に迫る現実として向き合ったことが
いまの私のこの志事の原点になっています。
いまの時代は
“ 死 ” ということについて語ってしまうこと自体が
なにかいけないことのようになっていますが
それはどんなひとにも平等にやってくる。
何十年後かもしれないし、明日かもしれないけれども
確実にやってくることは変わらない。
そこに目を背けたところから
いろんなことがおかしくなってきた気もします。
もしあなたの人生が明日で終わってしまうとしたら?
あと1週間だったとしたら?
あと1年だったとしたら?
あと5年だったとしたら?
あなたは何がしたいですか?
この質問はシンプルだけれど
あなたが本当にしたいこと
あなたの魂が欲していることを見つける
大事なヒントをくれる質問になってくれるかもしれません。
ひとが生まれてきて、やがて逝く。
そのことにきちんと向き合って
初めていまをきちんと生きることができる。
限りある命と知ってこそ
この一瞬一瞬を精一杯生きることができる。
すべてのひとが自分らしく
笑顔で生きることができたらと願っています。