先日からずっと心の中にひっかかっていること


責任の重み


先日、某会議にてある女性が発した言葉


『私たちは、やりたくてやっているわけじゃない。

完全なボランティアでやっているのに

責任という言葉が重すぎるetc』


ちょっと前にほかの女性が言った

『これはプロの仕事じゃないから、

そんなにきちんとしなくていいんだよ』


ものすごくモヤモヤしたまま

心に引っかかって

消化できずにいたので

ちょっと考えてみた。


ボランティアなら責任はないのか?

賃金をもらっている仕事ならば、責任は発生するのか?

やりたくてやっているのならできるけど

やりたくもないことをやっているならばできないのか?

賃金をもらってやることと、ボランティアですることに

一生懸命さに違いがあっていいのか?


この世に偶然なんかがないのなら

今やっていること

今、目の前にあるしなければならないこと

今チームとなっている仲間

それはずべて必然なのならば


今やることに全力でできることを取り組んでいれば

不平不満よりも

そうやったらよりよいものができるかの知恵や

チームワークができてくるものだろうし。


なんにでも一生懸命に取り組もう!!!って

こどものころに言われなかったのかなぁ。


私の信念は

仕事であろうと

ボランティアであろうと

目の前のことは全力で取り組みたいし

やるからには最高のものになるようにしたいし

どんなことも

不平不満を言うよりも

楽しみながら取り組みたいってこと。


一生懸命にやってたら

それはだれのためじゃなくって

自分の栄養になるのにね。


目の前のことに

いつでも全力投球したら

どんなことでも楽しさをみつけて

楽しみながらやっていけば

成長できるのに。



いつも私が思うのは

賃金体系が時給○○○円っていう基準になってから

ものすごい損得勘定が明確になってきたんじゃないかってこと。


時給が高いなら、いやなことや苦手なこともするけど

時給が安いなら、しなかったり。。。


すべてを時給で換算して判断して

結局、自分の存在価値も時給で判断して。。。



全力でそれぞれの人が

プロジェクトに向かっていけば

それぞれみんなの個性が凸凹に重なり合って

ものすごいパワーとなるのに


やりたくもないボランティアだからって

不平不満ばかりで

それぞれが揚げ足取りの

ネガティブなパワーだと

プロジェクトが最悪のものとなる。


子育て中の母親が

どんな状況であろうとも

全力で取り組んで

前向きにがんばってる姿をこどもに見せることは

どんな塾に通わせるよりも

最高の教育になる。


子育て中の母親が

不平不満ばかりで

だれかの悪口ばっかりで

いつも陰口たたいて

だれかの揚げ足取りに必死になっていたら

そんな母親の姿をみているこどもは

人生の困難を乗り越える方法を学べない。


こどもたちは

うまれてきてからずっとずっと

一番冷静に

母親の言動や生き様や

感情の揺れ動きや人ととのかかわり方を

肌で感じ続けている。


いくら母親が

しつけという名目で

どんなきれいごとを並べても

こどもたちが生まれてきてからずっとずっと

肌で感じているもので学んできたもののほうが

吸収されやすいんだよ。


だから

子育て中の母親には

少しずつでもいいから成長してほしい。

こどもと一緒に成長してほしい。

わが子が赤ちゃんの時から一緒に成長するつもりで

ゆっくりゆっくり成長してほしい。


成長するとき

学びのときは

それはそれは痛みや苦しみや悲しみを

経験するかもしれないけれど

こどもを産む時のあの痛みに比べたら

どうってことないんだよ。


私もまだまだ成長段階


いろんな経験して

少しずつ成長するのだ。


だってせっかく生まれてきたこの人生

楽しみたいもの。