20代の頃に仕事でお世話になった方と、今でもやりとりしている。
先日「〇〇さん」と書いてきたので、とびあがるほどびっくりした。
この40年「〇〇ちゃん」って呼ばれてきたのに、いきなりなんだ? わたし、なにかやらかしたっけ?
理由を聞いたら「ちゃんで呼ぶのは、今ではセクハラになるらしい」と気を使ってしまったそうだ。
あっけにとられたというか、文字通りあいた口がふさがらなくなった。
私は専門学校卒業後、都内の旅行会社に就職した。
海外生活を経験したかったので、5年間そこでお金を貯めて、晴れて退職。
ワーキングホリデービザを取得して、念願の海外生活を(いろいろあったけど)満喫して帰国。
帰国後は、派遣社員として貿易会社などで働き、最終的には外資系会計事務所の秘書に落ち着いた。
どの職場でも、わたしは「〇〇ちゃ~ん」と呼ばれていた。
なんの問題も感じなかった。
失敗をやらかしてへこんでいたとき、マネージャーがすうっと近づいてきて
私の頭をもしゃもしゃっとして、そのまま通り過ぎて行ったことを、今でもはっきり覚えている。
「気にすんな、大丈夫だ」と言われた気がした。
ありがたかった。うれしかった。
マネージャーへの感謝の気持ちでいっぱいになって、その後はもっと仕事に奮闘した。
今なら、これもセクハラになるのか?
慰謝料を求めるに至るまでには、きっといろんなイヤなことがたくさん積み重なっていたんだと思う。
当事者にとっては、そういうことじゃないんだ!と叫びたいくらいかもしれない。
だいたい、余計なお世話なんだけどさ。
「〇〇ちゃん」と呼ばれるのが死ぬほどいやなのは、その人がキライだからなんじゃないの?
きらわれていることに気づかない方がバカッてことで、それをだれかが教えてあげれば済んだことじゃないの?
まあ、言われて行動が改まるような人間ならこうはならないんだろうけどさ。
単に「ちゃんで呼ぶな」とか「体に触るな」とか、そっちのほうじゃなくてね
会社のみんなの「良識」とか「相手の気持ちを思いやる」とか、そういう問題なんじゃないの?と思うわけですよ。
「人がいやがることをしてはいけません」とは、幼稚園レベルの話だよね。
人がいやがること、の基準は、昔は『常識』としてだれもが共有していた。
今は『常識』が崩壊してしまって跡形もない。なんでもあり、になってしまったから基準がなくなった。
だから「自分がされていやなこと」まであいまいになってる。
そういう問題なんじゃないの?
親しみを込めた温かい交流が、その気持ちが半分に減らされちゃった気がする。
それって、寂しくない?
どんどんイヤな世の中になっていくようで、なんか……悲しいなあ。
セクハラ研修とやらを経験したことがないのだけれど、どんなこと教えてるんだろうね?
機会があれば出てみたいものだ。
*今日は日本語のみで失礼します*