先日
タレントのRさんが、自ら命を絶った。
ネットでは
その理由をあれこれ取り沙汰され
業界の様々な人がコメントを発している。
私は、まだブレークする前のP&Rのお二人に
ある人の誕生日パーティでお会いしたことがある。
まだ、名前も知られていない時期だったので
誰も彼らの存在を重要視せず、彼ら自身も
多分、どう振る舞ったらいいのかわからず
会場の片隅に、二人寄り添う様に座っていた。
その時、私は、Rさんに、なぜか
「儚い」
という印象を持ったことを思い出した。
私自身も20年以上前に
親しくしていた友達を失ったことがある。
亡くなる1ヶ月くらい前に
彼女は、私の家に遊びに来てくれた。
私の夫も交えて、お酒を飲み、食事をし
みんなで昔話をしては、ケラケラと笑って
楽しい夜を過ごし、その夜はうちに泊まり
翌朝、車で帰っていった。
いつもの様に、明るく、手を振って。
だから、それから1ヶ月後に
彼女が亡くなったという知らせを受けた時は
あまりに信じられなくて、受話器を持ったまま
返事もできず、ただ、ぼーっとしていた。
その後、長い間、私は
「なぜ」という疑問から離れられなかった。
なぜ、彼女は生きることを止めたのか。
なぜ、私は、あの時、彼女の心の中を
読み取ることができなかったのか。
同じ場所をぐるぐるぐるぐる回るばかりで
抜け出すことができず、答えを追い求めて
何をするにも、どこか、上の空だった。
そして、最後に、たどり着いたのは
人が何を考え、何を思い、何を悩み
何に向かっていこうとしているのか、なんて
わかるはずがないのだ、という諦め。
わかろうとすること自体が
とても不遜なことなのだ、ということに
ようやく思い至って、現実を受け入れた。
受け入れざるを得なかった。
永遠にわからないまま
永遠にたどり着けないまま
それでも、人と人は
どこかで、繋がっているんだと思う。
逞しさと儚さは 同義語なのか