祖母の家に住んでしばらくして私達は引越しをする事になった
目の前にドブ川がある狭い家
荷物はほとんどなくてテーブルと布団とダンボールだけ
家の前に物置があってそこでよく遊んでいた
新しい小学校にも転入して新しい生活がスタートした
自己紹介をして席が決まって授業が始まった
でも、私には先生が何を言っているのかあまり理解が出来なかった
それどころか、クラスメイトが言っている言葉もなかなか理解ができなかった
《方言》
みんな仲良くしようと話しかけてくれているのに、私には意味の分からない言葉が多くて戸惑ってしまった
なんて質問されたのかわからなくて黙っていると
『無視か!』と怒鳴られて
否定しようと出た言葉は
『ちゃうねん』
周りに笑われて恥ずかしくて泣きそうだった
その日から何か言う度に笑われてからかわれて毎日悲しかった
ある日授業中にトイレに行きたくなってずっと我慢していたけど、限界がきてお漏らしをしてしまった
先生にトイレに行きたいと言いたかったけど、また笑われるのが嫌で言い出せなかった
お漏らしをして泣いていると、近くのクラスメイトが
『先生!気ママさんお漏らししてる!』
と大きな声で叫んだ
先生は私の席の前に来て
『トイレくらいちゃんと行きなさい!赤ちゃんじゃあるまいし、私に迷惑かけるな!』
と怒鳴られた
またある日は給食の米飯を食べきれなくて残りを元に戻したら
『お前は馬鹿か!残飯は鍋に入れろ!お前はパープーか!』と怒鳴られて
ランドセルも持たずに泣きながら学校から帰った
パープーの意味は分からなかったけれど、先生に馬鹿と言われたのは物凄くショックだった
前の学校では担任の先生はとても優しくてお母さんみたいな先生だった
同じ女性の先生なのに全く違う事にも衝撃を受けた
《前の学校に戻りたい。ゆきよちゃんに会いたい》
毎日重い気持ちで学校に通っていた頃
家に帰ると私宛に荷物が届いていた
それは前の学校のクラスメイトからの手紙だった
その中には
いきなりいなくなって淋しい
さよならも言えなかったね
新しい小学校は楽しい?
私達の事忘れないでね
みんなそれぞれの言葉で沢山書いてくれていた
ゆきよちゃんの手紙には
『気ママちゃんに会えなくなるなんて、ゆきよ嫌よ!』
私はその時初めてゆきよちゃんに会えなくなったんだと悟った
心の中でいつかは必ず会えると思っていた
だけど、もう会えないくらい遠い所にいるんだと
その手紙を読んだ時にやっと理解した
手紙を抱きしめてわんわん泣いた
晩ご飯も食べられないくらいショックで泣きながら寝てしまった
次の日は熱が出て学校を休んで1人っきりで家で寝込んでいた
お昼に祖母が来てお粥を作ってくれたけど泣いて泣いて食べられなかった
なかなか学校に馴染めず、友達も出来なくて辛い毎日を過ごしていた頃、母が
『あって欲しい人がいるんだけど』
とレストランに連れて行かれた
そこには白いスーツを着た優しそうなおじさんがいた
帰りに首飾りになっているキャンディを買ってもらって、久々に楽しい日だった
次の週からそのおじさんは我が家でご飯を食べるようになって、だんだん毎日家にいるようになった
そのうちに母から、《パパと呼びなさい》と言われ、私達はそのおじさんをパパと呼ぶようになった
パパは毎日仕事から帰ってくると、私達をお風呂に入れてくれた
お風呂で遊んで楽しかった
だけどある日、母が夕方から用があって外出する事になった
その日も母が外出してから同じようにお風呂に入っていると、弟がお風呂の洗い場の所でおしっこをした
母に我慢出来なかったらしてもいいと言われていたから
だけどパパはそれを見て激高して、弟を仕事で使う太くて重たいベルトで何度も叩いた
片手を釣り上げて、泣き叫ぶのも構わずに何度も
弟はまだ幼稚園なのに!ママがいいって言ったのに!
私は何度もパパに叫んだ
弟をパパから引き離して、火がついたように泣く弟を抱き抱えて、何度も叫んだ
そしたらパパが
『この家のルールはワシが決める!気に入らんかったら出ていけ!』
と、私達に怒鳴りつけた
そしてパパは私達に
『この事はママに言うな、言ったらただじゃおかんで!』
『ママが帰ってくる前に泣き止んで布団ひいて寝ろ!』
私達兄弟の泣きながら震えて眠る日々がまた始まった…
そしてしばらくして私達は二段ベッドとコタツと小さいテレビだけしかない
『物置小屋』で生活する事になった
家に上がれるのはご飯の時とお風呂だけ
それ以外はほとんど家に入れてもらえなかった
寒い冬には3人でコタツに潜り込んで寝た
二段ベッドは弟達に取られて私は寝るところがなくてソファーを貰ってきて置いてくれたのでそこで寝ていた
毎日体が痛かった
学校でも家でも私達に居場所はなかった
あったのは物置小屋だけ
ある日近所でゲームが無くなった
弟達がよく遊びに行っていた家の子が無くなったと、間違えて持って帰ってないかと訪ねてきた
だけど、家にはゲーム機の本体自体がないから持って帰っても意味が無いから知らないと言って帰ってもらった
するとパパが私達を家に上がれと呼んだ
私達は正座をさせられ
『今正直に言ったら許してやる。お前が盗んだんだろう!?』
と弟を責めた
弟は違う、僕は盗んでない!と必死に弁解したけど、パパは
『嘘をつくな!お前のやりそうな事じゃ!』と弟を殴った
それを止めた私も殴られた
アザになっても目立たない体を何度も殴られた
その日から《連帯責任》として誰が悪い事をしても三人共殴らるようになった
折檻は日々ひどくなり、私達はボートのオールの太い棒でお尻や体を《罰》と称して殴られるようになった
それも必ず母のいない所で
私達は怖くて母に言えなかった
ただ私は母に、パパがあまり好きではない事、前みたいに四人で暮らしたい事をずっと言っていた
母はその願いを聞いてくれなかった
私達兄弟は毎日ビクビクと怯えて暮らすしかなかった
そしてまた私達に転機が、訪れた