E爺が再エネで起業「太陽と風と緑の大地と共に」 -23ページ目

E爺が再エネで起業「太陽と風と緑の大地と共に」

太陽の恵みを分かち合う循環会社を目指す。
Ever-Greening



2011年、2012年に栽培したサフランです。

手前の分は若干品質(色が薄い)が劣る?ものですが合計で200g以上あるので世が世なら末端価格で20万円のブツですが、残念ながらサフランの賞味期限は1年て言われているので売り物にはなりませんね。

もっぱら自家消費でしょう。

サフランライスやパエリヤでも作りますか。




こちらも以前作った日本ミツバチの百花蜜「太陽の雫」です。

基本的に蜂蜜は腐らないのですが寒いと結晶化します。、次回ミツバチを飼った時に与えるとハチの体を通して真っ新な蜂蜜として蘇ります。





話は変わって、バイトくんの宿泊場所に行ってきました。

キングサイズのベッドで結構広いお部屋でした。

羨ましい限りです。



廃品利用の室を増設しました。

後から作るのは大変なので材料があるうちにまとめて作ってしまおうということです。






床材も廃品利用です。

ラジコンチームが暖を取るために持ってきた薪をバーターでもらいました。

こちらはパネルや架台の梱包材をばらして渡しました。

これでサフランの球根を1万個ぐらい保存できるでしょう。






さて、篠竹現場も少しだけ。

奥に見える大木まで刈り進めなければなりません。





ようやく大木にたどり着きました。

この木の生えている周辺は高くなっているので、おそらくそこが境界線になると思います。



アルミ架台の搬入時の梱包材を再利用しようと考えていました。

某氏は刈払機などの工具用の倉庫を作るようです。


E爺は床を作って宿泊用のバンガローでも作ろうかと思いましたが、こんなところで泊まるのはE爺ぐらいしかいませんので却下です。


丁度、ラジオでアフガニスタン復興のためにアメリカのNGOがサフランを栽培しているという情報を聞き閃きました。


そうだ、サフランを栽培しよう!! 古来から黄金の糸と呼ばれ金と等価で売買されたこともある世界一高価なスパイスです。


以前、E爺が東日本大震災の日に千葉に引っ越しをしたという話を書きましたが、それまでは東京から千葉まで休日毎に車で通っていました。

何をやろうとしていたかというと、野立ての太陽光架台の組立と、オリーブの栽培、サフランの栽培、日本ミツバチの飼育でした。

そこに起きたのが、福一のメルトダウンでもう栽培も飼育もできないと絶望感に打ちひしがれたことを思い出しました。

放射能の影響も恐れていた程ではなかったので再開したのですが、鹿嶋に居を移して太陽光に集中してからは「栽培養殖」関連は遠ざかっています。


世界のサフラン栽培は露地栽培でアフガニスタンも同様ですが、日本の方式は特別で室(ムロ)を使って栽培します。ウドも室を使って栽培するので有名だと思いますが、サフランは知っている人は少ないでしょう。

室栽培といっても1年中室内に置くのではなく4月~10月の気温の高い時だけ室内に置いておくと秋になって一斉に花が咲くのです。

11月~3月は土に植えて球根を増やす必要がありますので農家の裏作には最適な作物です。


日本のサフランは九州の竹田で90%以上が農家の副業としてコメの裏作として生産され市場にはほとんど出回らず、食品としてではなく薬品として製薬会社に収められているらしいです。

全国的な傾向ですが農家の世代交代が進んでいないので将来的には無くなるかもしれません。

そこで、E爺は太陽光発電とサフラン栽培を同じ土地でできないものかと考えていました。


結局、サフラン栽培はそれなりにできたのですが、太陽光は架台だけ作ってパネルを買うお金が無くて放置状態になってしまいました。当時のパネルは高かったですCISパネルの代理店行ったら10kwで1500万円と言われた記憶があります。

サラリーマンをやっていた会社に太陽光とサフラン栽培計画を提案しましたがあっさりと却下されました。


話を戻すと、廃材を利用してサフラン用の室を作ろうと言うことです。

下面に床は張りましたが、側面や上面は有り余っている篠竹を張ろうかなどと考えています。

果たしてどうなるでしょうか?


話は変わりますが、新ネオニコ農薬登録保留となったようです。

ニコチノイド系の農薬はミツバチの大量死に多大な影響があると言われていますので、登録保留となったことは喜ばしいことです。

ミツバチがいなくなれば受粉ができずに実を結べない植物が沢山出るでしょう。ミツバチの存在は農業をするうえでも必要不可欠な存在です。


当時、日本ミツバチの百花蜜を瓶詰めにして「太陽の雫」という名前でネット販売する計画がありましたがそれも放置状態です。


太陽光が落ち着いたら、養殖栽培もぼちぼち再開しようと考えています。



バイトくんが頑張って架台の組立準備を終了させました。





その他の部材も近くまで移動し終えました。

スクリュー杭の設置は来週の中頃からですのでまだまだ時間があります。





そこで、設計変更して最後列は自作することにしました。

もともと、68kwのパネルに74kw分の架台を購入したので余るのですが、これで15kw分以上の架台が余ることになります。

次回はその分を減らして架台購入すればそれなりのコストダウンになるでしょう。




さて、全然違う話ですが、鬼怒川の堤防決壊現場の太陽光発電所が再建設されているようです。

天然の堤防を削って大被害を出しておいて再建設なんて怪しからんという反対運動も起きています。


堤防決壊について災害発生後に以下のような情報を聞きました。

千葉県の農家で自称「水の専門家」という方から聞いた未確認情報です。


その人が言うには、利根川の水門は全てインターネットで監視情報が見れるそうです。

災害当日の監視情報を見たところ、当然未曾有の大雨ですから茨城側からも千葉側からも水門から利根川へフル排水することになります。


実はこういう時のために千葉側に水を受け入れる農地があると言うのです。

分かりやすく言うと渡良瀬遊水地のようなところがあり、その中で農業をしているそうです。

当然、ことが起きれば農作物は壊滅的な被害を受けるので、そこに水を入れたら補償をしなければなりませんし、その条件で農家とは契約できているとのことでした。


数十億円の補償が発生するので千葉県の損失になりますし、誰も補てんしてくれません。

決壊現場に流出した水量と契約農地で受け入れ可能な水量とは同じぐらいだったそうです。


その「水の専門家」が言うには、災害当時の全てのデータは担当者が監視していて最高責任者の決定があれば堤防決壊が防げたはずだと言って県知事を批判していました。


これは究極の選択だと思います。こういうシステムはハードだけ作ってもソフトがないと動かせないのではないでしょうか?


千葉側の水門を開けて農地に水を入れれば、確実に数十億の損失が出ますが、茨城側が決壊しないので結果的には数百億の被害を避けることができたかもしれません。

未確定未来の「かもしれません。」の世界なので水門開けることは非常に困難です。


県知事まで情報が届いていたのかという問題もありますが、届いていたとして県の税金をドブに捨てた知事として非難されたら次の選挙に影響するのでゴーサインは出せないでしょし、この事実を公表したらしたで千葉は茨城を見捨てたといって酷評されるでしょう。


こうやって真実は闇に葬られるのかもしれません。

まぁ、あくまでも人から聞いた話なので信じるか信じないかはあなた次第です。






今回の架台は安いと思ったら斜め材と支柱材の連結がされていない状態で届いていました。

そこで、バイト君に組立をお願いしました。




バイト君が組み立てている間にE爺は懸案だったこちらの設備のPVケーブルの整理をしました。

低い姿勢で作業を続けたので膝ががくがくになりましたが、なんとか終えることができました。





つづいて篠竹現場で開拓をしました。

やっぱり刈払機が一番捗ります。





ためしに篠竹を10本づつ縛ってみました。

これで50本ですので末端価格で2500円のブツになります。

やっぱりこれの1万倍以上は十分にありそうな篠竹の物量です。



良い天気なのでパワコン架台の屋根をつけました。


井戸水で飼っていたシジミは結局元いたところに返しました。



そこにはこんなものが水の中にゆらゆらとしていました。

たぶん、サンショウウオの卵です。

本物を初めてみました。




帰る途中でまた新しいごみが捨てられていると思ってよく見ると。




奥の方にキャムズのフェンスが捨てられていました。

E爺が置きっぱなしにしていたのを誰かが2枚移動させたようです。

悪戯なのか嫌がらせなのかわかりませんが、置きっぱなしにしないで、しっかり管理しなさいと言うことでしょう。

朝からの雨で作業にならないので小型風力発電用の土地を探しに行きました。



隣の市の海岸線まで行くと大型風車が林立しています。

NEDOのデータでは地上30mでのこのあたりの年間平均風速は5.1mです。

小型風力ならギリギリ採算ラインということでしょうか?



民家から離れていて、電柱が近くにあって、大型車が進入可能な場所というのは意外に少ないもんですね。


帰る途中でホームセンターに寄って、パワコン架台の屋根材を買いました。



そこで売っていたのが篠竹です。

家庭菜園用の6尺もの10本束で580円とのことです。


篠竹現場も長さをそろえて保管して乾かせば売り物になるかもと思いましたが、どうやって流通に乗せたら良いのか?




篠竹現場の1984年当時の航空写真です。

真ん中の茶色い部分が畑でした。





こちらは最新といっても一年以上前のようですが、衛星写真です。

真ん中の緑色の部分が篠竹に覆われた昔の畑です。

近くにある二つの黄色の部分が銀杏の木ですね。





そしてこちらが同様に今建設中の現場の最新の衛星写真です。

以前1カ所しかなかった発電所が3ヶ所に増殖していますので一昨年の秋以降に撮影されたものです。





よく見ると地上文字の場所も変わり「looop」になっています。

その場所も今では某氏の発電所が設置されています。



篠竹現場に45馬力のトラクターと草刈り機の応援です。

あっという間に刈り取れるよというのでお願いしてみました。

南側から一気に行こうとしましたが、残念ながらこちらからだと地面が平たんでないのでうまく刈れませんでした。





気を取り直して、いつもの進入路から篠竹迷路を通り過ぎて昨日刈払機で開拓した最前線へ、、、。

やっぱりうまく刈れません。


残念ながら不発です。自分で刈払機で刈った方が全然効率が良いです。

何よりも、E爺は見ているだけだったのでストレスがたまりまくりでした。


やっぱり開墾は人にやってもらうのはもったいないですね。


自分で試行錯誤しながら進めていく達成感を得るのが一番楽しいです。


自分の失敗なら良い経験で次へのステップになりますが、他人の失敗を見るのは後味が悪いです。

本人もこんなはずではなかったと思っているでしょう。


さて、工事中の現場ですが、運転免許合宿に行っていたバイト君が久々に来ました。



早速穴掘りしてもらいPVケーブル用のエフレックスを埋め込みました。



5年前の今日大災害が起きました。


その日を思い出してみました。

E爺は太陽光発電所を作ろうと千葉市に引っ越しするため有給を取っていました。

軽トラに荷物を積んで移動中に一時停止違反をしたということで白バイに止められて切符を切られました。

最初はついていないなぁと思いましたが、白バイと別れた後に軽トラの車検が1か月以上前に切れていることに気付いて、白バイにばれなかったのは運が良かったと思いました。


千葉の新居についてから車検の予約をして最寄りのお店に向かう時に突然その災害は起きました。

最初は、軽トラのタイヤがパンクしたと思いましたが、前の運転手が両手を広げて止まったので、おかしいと思い車を止めて電柱を見たら電線が見たことも無いように波打っていました。


ラジオからはアナウンサーの叫び声が聞こえ、地震だとようやく理解して、車検などしている場合ではない、まず燃料を満タンにしようと思ってガソリンスタンドに行きましたが給油機が緊急停止して使えなくなっていました。


しょうがないのでそのまま車検の申し込みに行きました。

時々余震が来る中で普通に受付をするお店のスタッフにも少し違和感を感じつつ手続きを進めました。

さすがに、大きな余震が来た時には、みなさん外へ出てくださいと言われ駐車場に出ましたが、収まるとまた手続きを続けました。

暫くして、緊急ニュースで大津波の様子が伝えられ、この世のものとも思えないような映像を見ることになりました。



いつも誕生日が過ぎるとこの日のことを思い出します。

あれからもう5年経ち、E爺も年をとって本当のジジイになりつつあります。



さて、今日の作業も篠竹現場です。


4本目の杭から左折して畑の中央を目指して刈り進みました。





30mほど進むと空が広くなり始めました。




途中で篠竹の種類が変わったようです。





50m程奥では5m以上あった篠竹が2m程の低い種類に変わっています。

このレベルなら乗用草刈り機で刈れるかもしれません。





明日晴れているようなら、篠竹の迷路を通って一番奥まで乗用草刈り機を持ち込んでチャレンジしてみます。