巨星堕ちる❗ | E爺が再エネで起業「太陽と風と緑の大地と共に」

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太陽の恵みを分かち合う循環会社を目指す。
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昨日、築地俊造先生がご逝去なされました。

82歳ということですので、丁度40年間ステージに立たれたことになります。

最後のステージは7日に奄美と聞いていますので、癌と闘いながら最後まで唄い続けて幸せな人生だったと信じます。

幸運にもEGは3月末に鹿児島で先生の生の歌声を聴く機会に恵まれました。
CDにも貴重なサインをして頂きました。

サイン会には出られなくて、スタッフの方に楽屋まで行って書いてもらったものなので、本当に貴重なものだと思います。

3月末といえば発電所工事も佳境に入り、鹿児島行きは本来なら断念しなければならない状況だったのですが、お身体のご様子がかなり悪いと聞いていたので断行しました。

抗がん剤の副作用で声も出ていませんでしたが、唄と三味線とチジン(奄美の小太鼓)を同時に演奏する神業を目の当たりにすることが出来ました。

中孝介さんも涙で声を詰まらせる場面もあり、最後にシマ唄(の心)は自分が引き継ぐと言っていました。

築地先生のおどけながら言った言葉が耳について離れません。
「蟹(がん)よ~🎵蟹(がん)よ~🎵住用の蟹(がん)よ~🎵」っちずっと言ってたら身体中に癌が出来てしもぉ~た。

まさに体を張ったステージでした。
朝花節の囃子を使って、自分の状況を面白おかしく説明したのですが、これから朝花節を唄う度に築地先生を思い出します。

先生がいたから、元ちとせさん、中孝介さんが世に出ることが出来て、南海ちゃんが今あるのも先生のお陰です。
ことに「祈りうた~トウトガナシ」は、先生がいなければ今の形ではなかったでしょう。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

合掌