こんにちは
明治大学博物館企画展「収蔵庫のとっておき」を見に来ました
分野は様々です
赤物玩具
郷土玩具の中でも赤い色のものは、子供の病気特に疱瘡除けのお守りです、赤い色は魔物を寄せ付けないと信じられていたそうです
五三桐文軒丸瓦
大坂城の金箔瓦です、少しですが金箔の痕跡が見えます
大黒天の鬼瓦
手の込んだ細工です
青銅製の鼎(紀元前9~7世紀)
中央は瀬戸ノベルティ「古代少女ロマン」オルゴール、左は同「農夫」
右は「松川だるま」最初から両目が入っている達磨です
日本の太刀の反りについてパネル展示がありました
古墳時代の太刀はご覧の通りまだ直刀でした
反りが生まれた理由はよくわからないというのが結論のようです
日本独特で中国や西洋では両刃の直刀が主流です、
直刀は重さを利用して突く、叩き斬るのに向いています、対して反りのある太刀は細身で素早く引いて斬るのに向いています
日本人は大陸の人々と比較し小柄で非力なので体格に合った武器を工夫して生み出したのかも知れません
国立公文書館
企画展「衛生のはじまり、明治政府とコレラのたたかい」を見てきました
幕末・明治に発生した伝染病についての記録です
日本初のコレラ感染は幕末1822年です
コレラで亡くなる人相次ぎ火葬場は順番待ちの状態が発生しました
当時はまだコレラ菌が知られておらず適切な対処が行なわれませんでした
「衛生」という言葉は医師の長与専斎が英語・ドイツ語の「heigiene」の訳として採用しました
彼は岩倉使節団のメンバーとして西欧の医療制度を学んで帰国しました
政府内務省に衛生局が設置された2年後の1877年ふたたびコレラが流行します
この時もまだコレラの原因は明らかではありませんでしたが、明治政府は西洋医学の知見をもとに市民が厄払いで集会や祭り、宴会を開くことを控えるよう通達を出しています
1890年水道条例が制定されそれまでの井戸に代わり西洋式水道の導入が始まりました
北の丸公園にて
日本武道館
「ヨルシカLIVE2023前世」の看板がかかっています
田安門を出たところでパチリ
本日のデザート
パティスリール・シュシュさん