あけましておめでとうございます
今回の記事は昨年のものです
次回から新年の記事となります![]()
荻窪駅はJR中央・総武線と東京メトロ丸ノ内線が通ります
駅降りて西へ300mのところ
光明院に来ました
創建は伝・708年、宗派は真言宗豊山派、ご本尊は千手観音様
泣きべそ地蔵
江戸時代建立の4体の仏像ですが、泣き顔のためそう呼ばれました
荻窪白山神社
創建は室町時代中期、ご祭神は伊邪那美命
ご利益は歯痛止め、ちょうど歯の治療中でしたのでお参りしてきました![]()
手水舎にネコ君???
社殿
この日の目的地杉並区立郷土博物館(分館)に来ました
企画展「発掘された縄文時代 光明院南遺跡 割れた石棒のなぞにせまる」が開催中です
光明院は冒頭訪れた寺院です、
遺跡は旧跡時代から主に縄文時代のもので寺院と中央線を挟んで南北に分布しています
JR線のすぐ脇を発掘しています
現在は建物が建っていて見ることはできません
柄鏡形住居
よく見る円形の竪穴建物と違い取っ手のような部分がついた敷地跡です
ここから下の写真の石棒や石皿が出土しました
石棒
形状から見て子孫繁栄や子宝祈願の呪術に使用されたと見られています
故意に割った後焼いた痕跡が見つかりました
石皿
用途は不明ですが、石棒とセットで用いられたと考えられます
柄鏡形住居(厳密には住居ではなく柄鏡形建物)での祭祀の想像図
周辺にも建物があるので少し火が大きすぎるような気もします
杉並区立天沼弁天池公園
博物館はこの公園の一角にあります
少し北に歩いて杉並区立妙正寺公園に来ました
ここは妙正寺川(一級河川)の水源です
妙正寺池
弁天池でしたが、現在祠は妙正寺に移転しています
妙正寺
本因坊六世知伯の墓がありました
本因坊家は江戸から昭和初期にかけて存在した囲碁家元の一つ
もともと京都寂光寺の塔頭だったことから代々ここの僧侶が跡目を継いでいます
知伯は江戸時代中期の人、24歳の若さで早世しました
戦前家元制の「本因坊」は廃絶しましたが、現在毎日新聞が主催する棋戦タイトルの一つとして名称が残っています































