こんばんは

 

 

 

先月ですが九州に行ってきました

目的は、観光もありますがメインは歴史探訪

特に弥生時代から古墳時代、飛鳥・奈良時代への

流れを感じたいと思いました

JR長崎線吉野ヶ里公園駅で降りると

こういう景色が広がっています

徒歩15分、吉野ケ里遺跡に到着です

 

東口から利用料460円払って中へ

遺跡の広さは東西約1km、南北約1.8kmあり一日で

全部見て回るのはちょっと厳しいので今回は半分ぐらいにしました

 

ここの遺跡は2300年前~1700年前の600年間の流れが

通しで観察できる貴重なものです

が、当時を復元するにあたり今から1800年ぐらい前

弥生時代を想定したものとなっていますのであらかじめ

留意しておく必要があります

 

入ってすぐ目に付くのが上の写真の杭です

逆茂木と呼ばれる防護柵です

 

弥生時代というと一般に平穏な農耕社会をイメージ

しますが、実際は争いの絶えない熾烈な生存競争の

時代だったようです

食料が大量に生産でき貯蔵も利くようになると貧富や権力の格差が

発生しそれが争いの原因になるようです

狩猟採取経済中心の縄文時代の方が平和で文化的だったのではないかと

思います

それにしてもこの杭、防御というより無差別な敵意・殺意を

感じます

 

柴の猪人形、かわいらしいのでパチリ

 

外郭、内郭二重の砦構造になっています

門のわきの建物は物見やぐら

 

大人の家の内部の様子

 

 

内郭の周囲もこのような環濠が取り巻いています

 

物見やぐらに登ってみました

 

王の家といっても他の人の住居と大きな格差はないようです

人が本当にこんな竪穴式家屋に住んでいたのでしょうか?

穀物や資材などは高床式倉庫に保管しているのですよ

多分に疑問です

第一に大雨・大雪が降った時水の侵入が防げませんし出入りが不便です

第二に㋧や土中の虫が出やすい

第三に火を使うと煙が室内に充満します

 

公園職員の方は弥生時代の服装で勤務されていますびっくり

 

いろいろな倉庫

 

 

いろいろな倉がありますが、この集落の不可解なところは生計が不明な点です

数千人が暮らしていたとみられていますが、水田の痕跡がなく

また、野菜や穀物を栽培するには丘陵地帯のため不向きです

 

ひょっとすると集落と思っていたのは全体が平城宮のような王宮であり

支配地域はもっと広大な範囲だったのかも知れません

(軍事力を背景に徴税により生計を立てていた?)

 

 

 

次の予定があるので吉野ケ里遺跡はここらで切り上げます

 

西鉄太宰府駅で降りて歩きます

 

九州国立博物館です

 

敷地は太宰府天満宮が提供、2005年10月開館

4階の常設展を見学しましたがここは東博と違い撮影禁止です

続いてお隣の太宰府天満宮へ

ずいぶんひょうきんな顔してますね 

電気ウナギイヌを思い出しました爆  笑

 

 

博多駅西口前広場

 

 

 

 

本日の夕食

cotton,WITH THE STYLEさん

 

 

 

本日もお立寄りありがとうございます

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