私は三橋氏の意見に賛成のことが多いです。今回のブログも心情的には共感していますが、それでもこれからの日本人には英語を苦手に思ってほしくないと感じています。
日本を英語化するのは反対ですが、みんな英語ができるというのが理想です。
英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる(三橋貴明氏のブログ)

言語は民族の基本であり、日本人は日本語で生活するべきだと思います。
しかし、政府や企業というグローバル化を推し進め、世界中を単一にして統治、または商売や搾取をしやすくしたい人達にとって、言葉の障壁は関税みたいなもので邪魔だと思っているのです。

昨日のブログでもお金がものを言うと書きましたが、そのお金を握る人達が牛耳っている世の中で暮らす以上、それにある程度乗っかることができないと生きていくことはできません。
気持ちの問題と現実問題とを両方天秤にかけて、現実問題を無視すると生活できない状況の人は、悔しくても変だと思っても英語を拒絶しない方が得策だと私は考えます。

私は英語が達者ではありませんので、海外で英語だと言いたいことが全部言えなくて困ることがあります。
洗練された英語ができればそれはそれでもっといいのですが、変な英語でも物おじせず堂々としゃべることに慣れることは、その人の置かれている状況を良くすることにもなります。
ネイティブではないので、少々変な英語でもいいのです。言いたいことを言うことで、馬鹿にされなくなります。

たぶん消費者の立場でいる限り、日本国内では日本語オンリーでいることに何の不都合もないと思います。これからもそうです。お金を持っていればいいということです。
海外でツアーに参加するとき、日本語なら英語のツアーよりも高額になることが多いですが、そういう損を受け入れるなら海外でも大丈夫でしょう。お金を払う側でいる限り。

問題は、政府や企業がやたら呼び込む大好きな外国人観光客、本来禁止すべきですが、外国人の不動産購入者、こういう日本にお金を落とすからどうぞ来てくださいと涎を垂らして呼び込まれている外国人相手の商売では、どうしても外国語が必要になります。

例えば、私が秋葉原で買い物をしたとき、店内中国語のアナウンスが鳴り響き嫌気がしましたが、商売をする側としては買ってくれる客が中国語をしゃべるならそうすることになるんでしょう。
店員にも中国人がいましたが、中国人には中国語で、私には流暢な日本語で応対してくれました。気の配り方も日本人的で、これなら経営者が日本語しかできない日本人ではなく、外国語もできる従業員をほしがるのも理解できます。通訳を払う分が浮くわけですから。
観光関連もそうでしょう。英語で質問されたことに答えられる程度の英語力が採用に求められると思います。そうしないと会社が儲からないからです。

政府や企業のグローバル化とは、購買力がそれほど旺盛でない先進諸国ではなくて、今まで買うことのできなかった中進国、途上国という購買力が旺盛な人たちに目を向けて儲けようということなのです。日本のような購買力が落ちた先進国がグローバリストに牛耳られたら、外国人をやたら呼び込むのはある意味当たり前の現象です。

私はギリシャも日本もそれほど贅沢をしなければ鎖国してもいいのではないかと思っています。
変な移民を入れず、自国民だけでつつましく暮らすことができるような気がするのです。
でもそれでは自転車操業のグローバリストにとっては死んだも同然ですから、無理やりこの歯車に押し込んでいるのだと思います。人の移動の自由を認めることが世界中をカオスに陥れ、みんなを不幸にしているのですが、これは私がどんなに嫌がっても変わらないことなんでしょう。

途上国では確かに英語ができなければより良い生活はできません。
例えば、私が何か尋ねるとき現地語ができないので英語で質問します。
それにこたえることができる人材が高給取りとなります。
英語ができない人は、私から直接話しかけられることはなく、私が英語を話す人を捕まえて、通訳してもらうことになります。そうすることで英語ができる現地の人はできない現地の人よりも上位にきます。それは私がお金を落とす客だからです。これもある意味「お金がものを言う」ということです。
ドライバーにしても、運転がうまくても英語ができなければ外国人に雇用されることはありません。英語ができないと経済的にダメージを受けるので、みんな必死に英語を勉強します。
だから、三橋氏の文中にある「「現地住民」が英語を学ばなければならない国は、母国語のみでは生活できない発展途上国なのでございます。」は正しい表現です。

日本でも、英語ができなくても仕事があって十分な報酬が得られるのであれば、今までのようにしていて大丈夫です。
しかし、外国人を呼び込み、外国に出て行って競争する、社会を牛耳る人達がそういう社会にすることを推し進めている中、それをやめさせることができない中で、英語から遠ざかるのは自分を経済的に窮地に陥れることになるのです。

そうです、実はもう日本は途上国のようになっているのです。
格差があり、外国人が不動産を購入するので値段が下がらず現地人(日本人)が買えない、外国人がホテルを占領していて現地人(日本人)が泊まれない、日本人の不便の上に、「外国人いらっしゃい」が始まっているのです。これをやっているのが自民党と経済界です。

健全な中流階級が多い社会はグローバリストにとって、煙たい社会なんです。
みんな貧乏で、生活のためにあくせく働き、政治に疑問を持たないくらい疲弊することが理想の社会です。嫌がっている顔

政府が配る児童手当ですが、それまでの扶養控除と似て非なるものです。
税金を払っている人から扶養分を控除するというのは、納税者の自尊心を無くしませんが、所得が高くない人には児童手当を配ってやるというのは、国民を物乞いのようにします。
税金も払っていない人には恩恵がないという民主党の主張があったと思いますが、税金免除で十分な恩恵ですけどね。税金免除にはたくさんの美味しいおまけも付いてきますから。ピンクマ真っ青
今ではそれを当然のことと思い、当たり前のように考えている人もいるでしょうが、様々な子供に対する優遇措置があるのに、こんなもので国民は政府に手懐けられているのです。
政府に再分配を求めれば求めるほど、どんどん自立できない人種になっていきます。

共産党は決して政権を取れませんが、日本は共産主義や社会主義の思想が根付いているのではないかと思います。福祉という名で何でも政府から給付される社会は旧ソ連圏のようではないですか。彼らは一様に庶民が貧しかったですし、途上国でした。

日本人は自ら途上国、社会主義の社会を選んでいる途中だと思います。
英語化するから途上国になるのではありません。途上国になりつつあるから英語化しようという声が出てくるのです。

日本語だけで生きていけるほどの国力がないから、英語が必要だという声が出てくるのです。

だから、「英語を学ばないとよりよい生活はできなくなる」という現実を一般庶民は目を背けず、真剣に考えるべきだと思います。
最初にも書きましたが、日本を英語化してはいけませんが、損をしないために英語もできるというのが理想です。