1984年、昭和59年の冬は寒かった。東京でも雪が何度も降り、小さな路地や日陰の歩道では根雪となり、何度も転んだものだ。

影響は桜の開花に及ぶ。この年の東京での開花は4月11日であった。桜に限らず、この年は梅の開花も遅く、当時、博士課程に進学した先の研究室は、大学本部キャンパスの外れの坂上にあったのだが、坂下の神社の境内の梅、桜、ツツジが日を置かずに一斉に開花したような、そんな印象の春だった。

それから4年後の春も4月に入ってからの大雪をよく覚えている。1988年、昭和63年である。この年の4月に私は国家公務員として某省の研究所に奉職したのだが、国家公務員採用試験区分の関係で、行政職採用の連中と一緒に代々木の青少年オリンピックセンターで初任者研修を受けたのだが、桜も満開だったその二日目の夜くらいに大雪になったのだ。各省採用者で10人程度(だったかな。もっと多かったかもしれない)で構成された班の中で私は、博士課程終了後、さらに学術振興会の特別研究員を一年経た後だったので、当時、すでに28歳。学部卒の一番若い採用者との年齢差は6年であり、周りからはリーダーと一目置かれていたが、これがよくなかった。最年長者でありながら、学生気分の抜けなかった私は、周りの若いものを誘って、夜中に研修所を抜け出し、新宿歌舞伎町に飲みに行ってしまったのだ。もちろん、こうした行為は禁止されていたが、研修所の裏手に出入り自由の獣道があるのだから、半分公認みたいなものだった。だが、飲み会の最中に大雪が積もり、朝が近づき研修所に戻ろうとしたら、タクシーが拾えないというか、動いていないのだ。そして最悪なことに某省採用者が酔い潰れて動けない。一番体格の良かった私がそいつを背負って大雪の中、歌舞伎町から代々木の研修所まで歩いて戻ったのだった。まるで八甲田山の雪中行軍である。

今年は桜の開花が少し遅いようだが、季節の移り変わりは本来、そういうものだ。早い時もあれば、遅い時もある。

 

私自身は冒頭述べた国立研究所から米国州立大教員、霞ヶ関行政官を経て国立大学、そして再び国立研究所に移り、そこで60歳の定年を迎えたが、それから働いている民間会社もこの4月に5年目を迎える。時の経つのは早いものだ。5年目を迎え、私の担当している分野の契約額がかなり伸びたこともあり(誤解のないように言うと、これまでの会社の先行努力の結実時期と私の入社が重なっただけ)、現在通勤している多摩丘陵の丘の上の研究所が手狭になり、本社勤務となりそうだ。もっとも、当分は辞令上だけで実質に移るのは連休後のようだが、毎日多摩川を渡り、勤務先最寄駅近くの多摩丘陵を流れる川の様子を眺める生活は一変しそうだ。

 

今年の桜はその満開の様子をどのように演出してくれるのだろう。

 

本日午前中、半休して、人間ドックに行った。今月はじめに会社の人事から早く行きなさいコールがあったのだ。確かに一旦予約をキャンセルしてから、忘れていた。例年受診していた杉並の病院がなぜか人間ドックの予約受付を停止していたのは驚いたが、ネット検索してよさげなクリニックにしたが、まあ、それなりだった。どうみても普通の内科クリニックで人間ドックは病院内のスペースをやりくりして無理やりやっているようにしか見えなかった。胸部レントゲンなどは、資格者がいないのか、たった一人しかいない初老の医師が診療の合間にやっているのだが、右側が少し外れていたとのことで撮り直しであった。この年齢だから、まあ、よいが、余計な被曝をしたことになる。一方で、年配の女性看護師は非常に丁寧であった。腹部エコーをかなり念入りにやってくれたのだが、あまりに時間をかけたので、かえって心配になってしまった。自分で笑ってしまったのが、血圧測定である。私は通常も高めだが、病院で測定すると自宅より上が40−50高いこともあるのだが、今朝の病院の血圧計は200を超えると測定できないようなのだ。それでも深呼吸を何度もして測定しなおし、ようやく値を絞り出して記入していた。結果は4週間後とのことだが、どのような結果が来るか。総合判定はEであるのは間違いないが、各数値には十分に留意したい。