雑誌の記事やメール本文中に本ブログ標題のように書く方がおられる。先のブログで話題にした「お疲れ様」同様、私には共有できないというか、違和感がある。他人が読む前提で書いている文章なら、書いている内容に共感してもらえたら嬉しいとは思うものの、そうでない場合も当然あるだろうから、独りよがりと思われるのが嫌なのかもしれない。これはあくまでも私の感じ方なので、普段使われている方がおられたら気を悪くしないで欲しい。

ここまで書いて思い至ったことが、以前も話題にしたことがあった常識についてだ。大学教員時代に私の研究室所属の学生と話をしていたらどうも話が通じないことがあった。不定期のセミナーを開催するのは研究室の方針で、日程は私の都合のみで決めてよいことになっていたが、念のため、候補日を複数挙げて学生の予定を聴いたところ、バイトの予定と重なるのでダメだと言う学生が複数いたのだ。このセミナーが必須であることや日程調整については、事前に私の研究室に所属する条件として明確に伝えて上での会話だった。「学業優先で考えるのは常識ではないか」といったところ、その学生は「先生と自分では常識が違います」と言う。私は「ならば常識を英語で言うとなんて言うかわかりますか」と尋ねたところ沈黙していたので、以下のように続けた。「common senseというのです。英語にしたらわかりやすい。人によって違うのは、common senseとは言えないよね。常識ではなく、考え方が違う、ということではないの。」

私としては、事前にあれほど言っていたにもかかわらず、バイトを理由に日程調整ができないのでは議論のしようがないではないか。バイトをせねばならない事情は自分の学生時代もそうであったからわかるつもりだが、学業と予定が重なったら、迷うことなく学業を選ぶという「常識」がその学生にはなかったのだ。この時は、最初からこれではやっていけないのではないかと思い、研究室を出て行ってもらうことも少しだけ頭をよぎったが、そこはぐっと堪えた。結局、私が歩み寄り、週末土曜日午後にそのセミナーはやることになった。週末くらい休みたかったが、働く勤勉なおじさんになったのだ(とほほ・・・)。もっとも、学生たちはこの時、物事を正しく理解したようで、その後の日程調整はスムーズに運んだ。後日、問題となった学生2名を含め4名の学生を半月ほどの海外調査にも公費で同行させることができた。

少し話が逸れたかもしれない。人それぞれとはいえ、共有できるものがあるから、社会は成立しているということを言いたかったのだが、冒頭書いた(笑)は、私にはどうにも共有できない感覚があるのですね。

ところで、二つ前のブログにコメントをいただいていた。遅くなりましたがこの場で返信すると、まず、ブログタイトルとして違和感があると書いた「お疲れ様です」という言葉をそのままコメント冒頭で返され、その意図をはかりかねた。その方は晩酌を毎日やる一方で、動画視聴、読書はシラフの時が良いとのご意見のようだが、ジャンルによるかもしれないにしても、私はアルコールが入っている方が断然良かったりするから、返答に窮した。毎日の晩酌をやめたのは止むに止まれぬ事情があったからで、できることならそうしたくなかったのが本音なのだ

先の土曜日のラウンドだが、スタートが午前7時半だったので、少し余裕を見て、午前5時に自宅を出るはずだったのが、目覚めて時計を見たら午前5時6分だった。髭剃り、朝食、トイレなどを全て飛ばして機械式のマンション駐車場から車を出して出発したのが、16分後の午前5時22分だった。幸いにも途中でトイレにいきたくなることはなくゴルフ場に着いたのが午前7時だったが、通常なら1時間半もかからないのに、こんな日に限って道が少し混んでいた。ゴルフ場に到着してから服薬を忘れていたことに気づいたが、これは帰宅してから飲むしかないと諦めた。プレーの方は、スタート直後から雨が降ったり止んだり、途中、土砂降りになったりして散々な天気の中、スコアも50、45の95だった。元に戻したばかりのアイアンセットが変わらず不調で、ボギーオンもままならない中、アプローチとパターで凌いだラウンドだった(寄せワンのパーとボギーがそれぞれが三つと6つ)。良いところ、悪いところが日替わりなのが、私のゴルフプレーの特徴かもしれない。普段、全く練習しないので、むしろ当然か。そのうち、全てがかみ合ってくれる日が来ることを願うのみだ。

最後に、今回の標題を思いついて忘れないようにするために少し書き始めて保存したつもりが、間違えて投稿してしまった。急ぎ、操作をやり直したが、どうも1名の方がそのわずかな時間にすでに見てしまわれたようでした。お騒がせいいたしました。

昨晩、カラオケに行ってしまった。5月下旬の千葉での国際学会の折に行って以来だったから三ヶ月ぶりとなる。三ヶ月前は、来日する米国人3名を日本人4名が迎え撃つ構図だったが、米国人はカラオケではシャイであまり歌おうとしないという私の先入観は見事に打ち砕かれ、日本人メンバーの完敗であった。米国人3名のうち2名は新旧の米国学会長(前職が白人女性、現職が黒人男性)、今一人はインド出身の女性研究者だったが、完全にパワーで負けてしまった。

昨晩は4人で、私以外の3名は2名が前勤務先の元部下の女性、1名が研究室の後輩で母校の教授Kだ。女性部下とはいまでもたまに連絡を取り合い、都合が合えば、飲みに行くような付き合いが続いている。後輩のKはここ10数年はやや疎遠だが、気心の知れた中で、昨晩も号令をかけたらすっ飛んできた。

5月下旬の日米カラオケ選手権での日本側の敗因は、我々が気を遣って普段あまり歌わない英語の歌ばかりを選曲したことであるのは、当日の段階ですぐに気づいた。私など、最初に選んだのがビートルズメドレーだったが、中学生時代にずっと聴いていた曲ばかりだったので、歌うことはできても魂を込めてまでとはいかず、曲と歌詞を合わせるのに集中せざるを得なかった。ちなみに、この時の日本側4名は私が最初に奉職した国立研の同期だったが、年齢幅が広くて、最年長者が昨年古希を迎えた方で、私が2番目、3番目は2年前に定年を迎えた女性研究者、一番若かった奴は、私の舎弟みたいな某大学の教授Yで彼も還暦を過ぎていた。このYは、オランダに1年留学経験があるが、外国語はからっきしで、彼のみ開き直って演歌、民謡を歌っており、最後にキャンディーズの年下の男の子を選曲し、私も無理やり一緒に歌わされてしまった。カラオケ経験は半世紀近いが、キャンディーズを前期高齢者になって歌う羽目になるとは思わなかった。といった具合で、日米カラオケ選手権では今ひとつ乗り切れなかったこともあり、昨晩は割と気合を入れて臨んのだ。

昨晩の場所は品川港南口駅前のカラオケチェーン店だった。室料、料理、飲み放題を入れて3時間で一人4800円のコースを選んだが、最初の生ビールが注文から到着まで15分もかかり、どうなることかと思ったが、その後のドリンクは迅速に出てきた。驚いたのは、カラオケ画面がプロジェクターだったことだ。ディスプレー以外でカラオケをやるのは、初めてのことだったが、まあ、慣れれば、それほど違和感はなかった。私はカラオケでは、女性演歌歌手の歌を歌うことが多いが(本人が得意と思っているのは、「天城越え」「別れの予感」など)、昨晩はそれを封印し、初めて歌う曲も2つ入れてみた。一つは、中島みゆきの「糸」。曲も歌詞も良いと思っていたが、自分で歌ってみると改めてそう思った。行く前に頭の中のシミュレーションで口ずさんでいたので、割とちゃんと歌えた思う。今一つは、QUEENの「Love of my life」。そうなのだ。実は、私は中学高校の頃はLPを買って毎日QUEENを聴くファンだったのだ。このグループはデビュー時は「馬のしょんべん桶」と言われていて、本国英国では今ひとつの評価だったのだが、遠く離れた日本で人気を博し、そして本国でも広く愛されるグループになったのだ。思えば、QUEENとほぼ同時代及び少し後になるが、ケイトブッシュ、ユーリーズミックスなど、英国は個性的な歌手・グループを輩出していたような気がする。他の選曲は、キロロの「未来へ」と小林明子の「恋に落ちて」などをソロで歌い、後輩とは「夏の終わりのハーモニー」と「あずさ2号」、「桜」(コブクロ)を久しぶりにデュエットした。4人での3時間一本勝負を十分に楽しんだのであった。昨晩のうちに女性陣から次もお願いします、とメールが来たが、楽しんでもらえたようで何よりであったし、私も次回が楽しみだ。

ところで、訪店時の受付でのこと。用紙を出されて、予約時に入力したのと同じ情報を再度、書けという。これって店側の都合だとは思うが、何とかならないものだろうか。用紙の文字があまりに小さ過ぎて、昨年暮に人生で初めて導入した老眼鏡の出番となっしまったのだ。生年月日、年齢を入力する欄があり、1959年8月6日、67歳と書いたら受付の女の子が「おじいちゃんと同じ歳だ」と言っていた。まあ、そんなところだ。

一昨日の日曜日のゴルフは、アイアンセットを元に戻したことが影響してか、ちゃんと当たらない、ウッドも同様になって散々だったのと、ラフに入ったボールが見つからずロストボールが2回もあったこともあり、スコアは途中で諦めた。そんな中でアプローチだけはうまくいき、チップイン1回、寄ワン4回だった。この週末の土曜日もプレー予定だが、とにかく、ちゃんとクラブヘッドでボールをとらえたいものだ。

 

 

私の感覚がおかしいのかも知れないが、社内メールの冒頭に書かれるこの言葉に違和感がある。日頃の労をねぎらう気持ちの表れとしても、常時、メールの挨拶文に書くものなのだろうか。

ビジネスメールということで考えると、社外宛の場合、今の季節なら私が書くとしたらまずは「残暑お見舞い申し上げます」となるだろう。その後に続く言葉は、相手との関係によるが、さらに簡単な時候の挨拶か、あるいは、基本、「いつもお世話になっております」的なものとなるだろう。実際、受発注の関係に関わらず、お世話になっているのは明らかだからだ。本題・用件に入るのはこの後だ。

社内宛となると、冒頭記した「お疲れ様です」となるのはいつに始まったことなのだろう。現在の勤務先は、全国に支社があるので、普段、顔を合わせない社員や連絡を取らない社員の場合には、やはり今なら「残暑お見舞い申し上げます」と書いてから、多分、用件に入るだろう。メール送信先が勤務先である本社内で、通常、コンタクトのある社員の場合は、上長、同僚に関わらず、冒頭から用件に入るのを私は基本とする。もっとも、最近、外勤先で一緒だったとか、飲み会で一緒だったとか、あるいは、こちらで何か依頼した後とかの状況次第では、「先日はお疲れ様でした」、「先日はご一緒できて楽しかった」、「先日はありがとうございました」と書いてから用件に入るだろう。しかしながら、どんな場合でも「お疲れ様です」とは書かないなあ。これはあくまでもメールでのことですが、私の感覚の問題かな。

感覚ということで、例示がかけ離れているかも知れないが、32年前の大学教員時代、私の研究室に所属した学部3年の女子学生が、当時流行っていたルーズソックスを履くことができない、と嘆いていたのを思い出した。どうも彼女らの1、2年後輩からのファッションらしいのだが、興味はあるが恥ずかしくて履けないということらしかった。彼女らによると、ルーズソックスを履くには真冬でも生足でないとダメという厳格なルールがあるそうで、寒さに耐えて体を張っているということで、後輩に対して畏敬の念さえ持っているような感じだった。

 

先週は北茨城の温泉宿泊施設付ゴルフ場で温泉、サウナ三昧で湯治に専念した。いつもなら長距離散歩に出るところだが、今回は完璧に体のケアに徹するべく自重した。もっとも、ゴルフの練習は滞在中、根詰めてやるつもりだったが、二日目にクニャクニャシャフトのドライバーとアイアン、そして正規シャフトのクラブを併用しながら7カゴ打ったのが良くなかったのか、翌日、左肘が痛くなってしまった。結構な肘痛だったので、たまらずロキソニンを飲んだら一晩で治ったが、再発したら元も子もないので、以後はハーフショット、アプローチ練習を主とした。成果の程は23日(日曜日)の茨城県南のホームコースでのプレーに期待したいが、思うところあり、アイアンを3年ほど前にセミオーダーで作った地クラブメーカーのマッスルバックのセットに久しぶりに戻すことにしたので、使用再開直後のラウンドは色々とあるかも知れない。このアイアンは、一見すると薄っぺらいヘッドの難易度の高そうなものだが、案外、打球は上がってくれる。だが、少しでも芯を外すと飛距離は格段に落ち、方向性も極端に悪くなり、何よりもヒットした際の手への振動が酷いので、必然、スイングも慎重になってしまうシロモノだ。このアイアンでスイートスポットに当てる実戦練習をしようという計画だ。

 

昨日からいつもの時間が再開した。出社時刻は午前6時半過ぎで、退社は定時の午後5時半、帰宅は午後6時半で就寝は午後9時半過ぎといった生活パターンだ。ただし明日は飲み会なので、少しばかりこのパターンが崩れるが、遅く寝ても年齢のせいか起床は午前4時台となってしまうので、それほど変わらない。明日の飲み会は鰯料理の店に行くことになっている。イワシというと季節柄多少心配だが、プロの腕前を見せてもらおう。刺身はあるのかなあ。あっても酢漬けだろうか。もちろん、生ビールから始まり、あとは日本酒だ。昨年から毎日の晩酌をやめているので、なんだか考えるだけで楽しくなってきた。

 

ところで、晩酌をやめてからの毎晩の楽しみは、ビデオ鑑賞だ。見たい番組を録画して楽しんでいる。現在は、夕食中にまず見るのは、朝ドラの「風、薫る」だ。視聴率は芳しくないようだが、私は楽しく見ている。夕食後に見るのが、韓流、華流時代劇で、今は「恋人」と「武則天」で、最近、「扶瑤」も見ている。思えば、「イ・サン」で韓流時代劇に目覚め、以後、「トンイ」「オクニョ」、「ホ・ジュン」等々、これまで何度も見てきた。そのうち、機会があれば、別のものにハマるのだろうか。

 

先週木曜日から土曜日まで山中湖にある会社の研修施設に滞在したが、木曜日(6日)は私の67回目の誕生日だった。この日の夜は、食事会を兼ねた宴会と思っていたが、会社アドバイザーの東大名誉教3名と我が社役員は近くの料亭で食事会となり、私もそれに参加した。そして研修施設に戻ったら、食堂で若い社員が宴会をやっていたので、直行したところ、一同、happy birthday to youと合唱を始めるではないか。何事かと思ったら、ローソクの灯ったケーキが運ばれて、息を吹きかけて消せという。添付写真は、その時の写真をトリミングしたものだ。他に酒好きの私にと富士山というラベルの貼ってある米焼酎も頂戴した次第。こういうのをpleasant surpriseというが、昨年も誕生日を絶海孤島調査中に迎えた際に、同様のサプライズがあり、これは本当に嬉しい限りだった。

 

ゴルフの方は、今年になってからの再開後は90が切れない。一昨日は茨城県南のホームコースで7000ヤード超のフルバックで回ったが、インスタートの10番ミドルホールで微妙なパーパットを外し、続く11番ミドルホールは、3打目のバンカーショットがホームランになってしまい、上がってみたらダウブルパーの8だった。それでも何とか堪えてその後のホールでパーを三つとり45で90切りに可能性を残したものの、アウトのミドルホール1番でドライバーショットがこの日唯一のOBとなり、打ち直しも失敗して再度ダブルパーの8。フロント9同様、粘ろうと頑張り、2番ロングは、2打目が出すだけだったのを何とかボギーで凌いだものの、続く3番ミドルは、ボギーオンもできずダブルボギーとなり、最初の3ホールで7オーバー、80台が遠のいてしまった。その後はパー二つ取ったものの、最近ラウンドでは連続して出ていたバーディーはなく、93でホールアウトした次第。まあ、アベレーゴルファーの典型的なパターンだ。

 

このブログは北茨城の温泉施設付きのゴルフ場で書いている。一昨日のホームコースでのラウンド後、7連泊の予定で来ている。久しぶりに夏休みを一週間も取ったが、湯治が主目的で、露天風呂、サウナ、水風呂で昨年、心筋梗塞の発作で壊れかかった体を癒している。ゴルフ場の練習施設には、打ちっぱなしの他に、アプローチ、バンカー、パターグリーンもあって宿泊者は使い放題なので、普段はできないアプローチなどを徹底的にやろうと思っている。最近手に入れたクニャクニャシャフトのドライバーとアイアンの練習クラブはスイング中のタメを体得するのに私には効果があると感じており、体と相談しながら打ち込んで励もうと思っている。目指すのは20年後のエイジシュートと書いておこう。ところで台風15号がこちらに向かっているという。8年前にも台風が東から西に列島を掠めたことがあったが、この時は上空の寒冷低気圧が原因であったと記憶している。どうも今回も同様らしいが、天気は西から変わるものとばかり思っていたが、時にはこういったこともあるのですね。

午後3時半過ぎ、東の空に綺麗な虹が見えた。スターダストレビューのアルバムを聴きながら、テラスで1時間ほど消長を繰り返す虹を心地よい強風に打たれながら眺めた。思えば、小学生の頃、庭の虫や富士山の笠雲などを飽くことなく観察していたものだ。

 

夏休みといえば、吉田拓郎の歌を思い出す。高校生くらいまでは、夏が終わるのがとても残念で、吉田拓郎の「夏休み」を聴くと、なぜかそういった感覚が蘇るのだ。中学生くらいのことだが、夏の終わりに見た夢では蛍の光が流れていた。夢の中で終わり行く夏を惜しんでいたのだ。私が8月生まれということと関係があるのだろうか。

暦の上では立秋を過ぎたとはいえ、暑さはこれからも本番だ。相次いで南の空で発生した台風の影響で北成分の風があるせいで、関東地方は比較的涼しいが、暑さに対しては構えないといけないだろう。屈強なプロのラグビー選手が練習中に熱中症になり、治療の甲斐なく亡くなられたニュースを聞いたが、チームの対策はどうだったのだろうか。まだ若かったフィジーー出身の選手のご冥福を祈るばかりである。

 

ここでは今日を含めあと五泊の予定だ。温泉、サウナでリフレッシュだ。

 

 

 

 

向日葵畑で有名な福島の観光地が鹿の食害に遭い、今頃は美しく咲き誇るはずであったヒマワリが壊滅状態であるというニュースを先週見た。ニュース映像では昨夏の180万本の花が咲き乱れる向日葵畑と今年の荒れ地になった現状を映し出していたが、楽しみにしていた方々の落胆はさぞかし大きかったことだろう。鹿の食害対策は我が国ではかなり前から実施されていたと思うのだが、この地で実際は何があったのだろうか。

一方で、罠にかかった熊をそのまま溺死させて駆除したというニュースが流れていた。害獣の駆除自体は、主に経済的被害対策としてこれまで行われてきたことだが、熊の場合は人命にかかわることであり、殺処分についてはやむ得ないところもあるとは思う。だが、体重100キロを超える成獣を檻に閉じ込めたまま水に沈めて溺死させるというのは、あまりに惨いのではないか。緊急銃猟ができなかったという背景があったようだが、薬殺などの方策をしっかりと定めるべきであったと思う。

ここまで書いて、戦時中に上野動物園で起こった出来事を思い出した。餌の準備もままならない状況ばかりか、空襲による施設破壊で猛獣が市中に逃げては大変と昭和18年に殺処分が実行された。銃殺は銃弾が勿体無いということもあってか、しばらく絶食させ、空腹にしてから餌に毒を混ぜる薬殺、刃殺、絞殺などの方法が取られた。象の花子はその温厚な性格から助命嘆願も出されていたようだが、例外は認められず、薬殺とされたが、毒が混ざった餌を吐き出し、食べようとしなかった。そのための代替措置が餓死だった。小学生低学年の頃、空腹のあまり、二本足で立つなどの芸をして必死に飼育員に餌をねだる花子の様子を絵本で見て、私は号泣したのを覚えており、これを書いている今も涙が出てくる。花子は約三週間もの長き時間、苦痛と苦悶の末に絶命したという。

やはり、小学生の頃だが、近所で鼠取りにかかったネズミが罠ごと水で満たしたバケツに入れられ、必死にもがいているのを見たことも思い出した。中学生の頃は、父親がマムシ酒を作るのを見たことがある。2分目ほど水を入れた一升瓶に山中で捕らえたマムシを一ヶ月ほど放置して、体内の不純物を排泄させてから瓶内を洗浄し、焼酎を隙間のないように満たすのだ。いきなり空気を奪われたマムシは蓋に頭を向けてじっと待つが開くはずもなく、虚しく空気を大量に吐いて絶命した。父親は具合が悪くなると薬効があるとのことで、マムシが入ったままの一升瓶から酒を注いで飲んでいた。今でも沖縄に行けば、ハブを泡盛につけたままのハブ酒を出す店もあるが、恐らくは作り方は同様なのだろう。飲む機会があれば、大事に無駄にせずに消費していただきたいものだ。

ビーフ、ポーク、チキンは言うまでもなく、牛、豚、鶏で、これらの動物は屠殺されている事実がある。この世に人間として生を受た以上、こうした動物たちに支えられていることは、真摯に受け止めるべきだ。動物への感謝。我が国には様々な供養行事があるが、そういった心掛けも然りだ。

 

地震発生後の熊本イオンの爆発時になんとも痛ましいことが起こった。地震で一旦安全な屋外に避難した従業員に対し、店舗に戻ってレジのキャッシュを金庫にしまえと指示を出した企業があったという。結果としては、そのためにモール内に戻り、爆発に遭遇して、22歳の女性従業員は帰らぬ人となってしまった。記者会見で指示を出した幹部が「モール側の許可を得てから中に入れと言った」と言い訳していたが、被災現場に対する想像力というか思慮の無さは非難されてしかるべきであろう。記者会見で事実関係を認めたにも関わらず、責任の一端が被害者にもあるかのようなあの発言は、生命を絶たれた従業員とその家族の無念さに思いを馳せれば出るはずのないものであったことは明らかだと思う。

 

広島に原爆が投下されてから14年後に生まれた私は、明後日、67回目の誕生日を迎える。昨年は絶海の孤島調査中だったが、今年は山中湖畔にある会社の研修施設だ。今の会社は社員教育に力を入れており、二泊三日の研修期間は盛り沢山の内容で、私自身は極域についての話題を提供するように依頼されて準備してきたが、海氷や氷床に関することばかりだったので、真夏だというのに清涼を感じたのが不思議だった。夜は当然ながら懇親会だ。泡盛古酒を差し入れて、私も一緒に楽しむことにしよう。

 

ラーメン好きの私は先月下旬から全国で販売されているという冷水で作るカップ麺が気になって仕方ない。先の土曜日にイトーヨーカ堂、ローソン、ファミマに行って探したが、影も形もなかった。店員に尋ねても入荷についてはこれまで話題になったこともないという。今日、四谷のセブンイレブンにも行ったがなかった。一体、どこに行けば手に入るのだろう。これからの季節にはもってこいの商品だと思うのだ。出会いを期待したい。

一昨日、映画館まで足を運び鑑賞した。行き先は大井町トラックス内にあるTOHO シネマだ。今年の3月にオープンしたので、一度は訪れてみようと思っていて、それがようやく実現した。目当ては「マイケル」。マイケルジャクソン(MJ)の甥が主演というのだから興味をもっていた。MJはジャクソン5の時代から知っていたが、私が大学学部生時代にビリージーンやスリラーなどを立て続けにソロで出し、PVのエンタメ性といい、大いに楽しませてもらったものだ。だが、肌の色が段々と白くなっていった原因が、薬剤による意図的な変化とばかり思い込んでしまった私は、MJの曲自体は好きだったものの、どうしても本人に対しては一歩引いていたところがあった。その後、少年虐待、薬物中毒容疑などが重なるにつれ、私の中での偏見は増長されていった。2009年6月に突然の訃報に接しても、粛々と受け止めていた。1980年代の絶頂期でMJに対する私の中の時計は止まっていたのかもしれない。その時計が再び動き出したのは、亡くなった年の9月頃に放映されたMJとは全く関連のないテレビ番組で、有色人種でも肌が白くなってしまう病気が実際に存在することを知った時だ。MJはロンドンで開催される予定だった公演の準備中に本人も予期していなかったであろう突然の死を迎えたが、その公園のリハーサルの様子を中心にした映画「This is it」が公開されたので、当時は50歳以上適用だったシニア割引(1000円)を初めて利用して劇場まで見に行った。MJの細部に渡る芸術的感性が余すことなく描かれていたのを見て、偉大なスターを失ったのだと心の底から改めて思ったのはこの時のことだった。

さて、一昨日の「マイケル」。しばらく映画館に足を運ばないうちにシニア割引が60歳以上となっていたが、料金の1400円もまあ、そんなものだろう。ネット購入は上映二日前からでき、8時15分上映開始の座席指定チケットを購入した。送信されてきたメール中のURLをクリックして得ることができる二次元バーコードを提示して入場するのだが、なぜかエラーメッセージが出て目的を果たすことができない。仕方ないので、当日、メール画面を印刷して映画館に行ったところ、係員が簡単に鑑賞券を発券してくれる端末まで連れて行ってくれて丁寧に説明してくれて、無事にバーコードを得ることができた。映画自体の評価はまだロードショー中なので控えるが、感想を一つ述べるとしたら、90年代以降のMJも描いて欲しかった。コロナ前に渋谷まで見に行った「ボヘミアンラプソディ」は赤裸々にフレディマーキュリーの私生活も描いていたのと比べると、製作者の意図か、あるいは、権利関係も影響するのか、MJの一面しか見えてこないような気がした。もっとも、ファンならば一見の価値はある映画であるとは思いました。

「マイケル」鑑賞後、久しぶりに湾岸の緑道コースを歩いた。大井町トラックスを出発したのが10時40分頃だから、通常の長距離散歩に比してスタート時刻は2、3時間遅かったのだが、そのために大変な目に遭ってしまった。京浜大橋を渡り、大田区の人工海岸での休憩所を目指していたら、北の空が怪しいのだ。上空の雲の流れを見るとどうもこちらに向かっているようだったので、休憩所到着後、自販機でドリンクを購入して水分補給後すぐに出たのだが、平和の森公園に差し掛かったあたりで雨足が強くなり、雷鳴が近づいて来てしまったのだ。公園を第三京浜側に出る頃は本格的なゲリラ豪雨になったので、急ぎ、歩道橋下に逃げ込んで雨宿りした。雷は光ってから雷鳴が聞こえるまで3秒、2秒と短くなり、ついには目の前で稲妻が見えたと思ったら間髪入れずに雷鳴が轟くなど、酷いことになってしまった。幸いなことに歩道橋下は雨もそれほど吹き込まず、橋のコンクリートの台の高さが腰掛けるのに丁度良かったので、覚悟を決めて嵐が通り過ぎるのを待つことにした。30分程度で雷鳴も遠のき、雨も小降りになったので、歩道橋下を抜け出しひたすら自宅を目指して歩いた。途中、スーパーに立ち寄り晩酌の刺身(といっても適当なものがなかったので、カツオのタタキ)を買い求めたのだが、鮮魚売場に積まれた鰻を見て、土曜丑の日に生涯で初めてだと思うが、鰻を買い求めた。宮崎県産が一尾1980円、静岡県産が3480円だったのだが、売り場のお姐さんに何が違うのか聞いても明確な回答はなかったので、宮崎県産を購入した。レシピとタレが同封されていて、少し面倒だったが、その通りに調理したが、まあ、美味しかったとしておこう。値段は高いが、プロの鰻は格段に違うことがよくわかった。

 

今朝は涼しかった。今週末から8月。盛夏における束の間の優しい時だったかもしれない。

 

 

 

20年以上続いている吉田類の酒場放浪記を時折視聴する。酒好き、酒場好きの私は吉田類に自分を重ね合わせているのだと思う。当然ながら、放映された店に興味を持ち、近くていけそうな所はこれまで何軒か行ったことがある。テレビで見たままの店内の雰囲気、酒肴、酒を楽しむのはこの上ない幸せだ。

そういった店の一つである大井町の野焼がある。ここではまずは生ビールだ。扱っている銘柄はサッポロで、1リットル入るメガジョッキが980円なのだ。今の季節は特にこれはありがたい。飲み物はさらに熱燗2合でも飲めば私でもほろ酔い気分になれる。酒肴は、焼き鳥、焼きトンもあるが、私の推しは海鮮だ。1人前1600円の刺身盛り合わせ、そして2400円のマグロトロ釜焼きを食べたら、胃も心も満たされる。そんな店だ。だが、欠点が一つある。いつも混んでいるのだ。先の土曜日は、私は朝から会社で会議で終了後退社しようとしたら、出勤していた若手とばったりあった。彼らは今週予定されている野外調査の準備のための週末出勤だったのだ。自然な流れとして、これから軽く一杯やるかとなり、会社からは少し遠いが野焼を思い出し、向かった次第。平日は混み合っているが、土曜の夕方、しかも幾分早い時間でもあったので、スムーズに入れて、という予定だったのだが、現実は甘くなかった。午後4時頃に到着したのだが、なんと満席で入れなかった。午後4時にやっている居酒屋は土曜とはいえ、そうあるものでもない。思いついた店は早くて午後5時開店だ。仕方ないので、いつも素通りしていた近くのマグロ専門酒場があいていたのでそこに入った。まあ、悪くはなかったが、二度目の訪問はないという感じだった。中途半端に楽しんだのが影響したのか、ここ10年くらいはやめていた仕上げのラーメンに皆で行ってしまった。久しぶりに家系の武蔵屋を訪問した。以前680円だったラーメンは950円、ほうれん草のトリプル増も250円だったのが400円だったばかりか量が劇的に減っていた。ライスが変わらず無料サービスだったのが何よりの救いで、味は少し薄くなっていたようだが、まあ美味かった。それにしても、どこもかしこも値が上がっているのを改めて実感した。

先週木曜日、仕事の打ち合わせで高輪ゲートウェイ駅に直結しているThe Linkpillar 1 Southという高層ビルに行った。同駅で降りるのは初めてのことだったが、同じ名称のNorthビルもあり、駅前テラスは平日の夕方にも関わらず多くの人々が行き交っていた。両ビルとも低層階は、ブランド品他の数多くのショップ、レストランなどがあり、買い物好きな人は1日過ごせるのではないかと思った。打ち合わせは高層階であったが、レインボーブリッジが一望できる所だった。家賃もきっと相当高いのでしょうね。

打ち合わせ終了後に飲み会となり、同ビルの8階に連れて行かれたが、酒肴3品に生ビールを含むドリンク2杯で1300円という価格設定のほろ酔いセットがあったので期待したのだが、店員の態度が最悪だった。連れて行ってくれた相手には悪いが、楽しく飲めるとは思えなかったので、その場を去ることを提案、注文せずに同ビルを出て品川方面に第3京浜を歩いた。すぐに土佐料理の良さげな店があったので入ろうとしたら、予約で満席。仕方ないのでさらに歩を進めたら塚田農場があったので、久しぶりに宮崎地鶏でも食うかとそこに入った。ここは店員もフレンドリーでまあまあ楽しめたが、野焼ほどの感動は受けなかった。

考えてみれば、今月は飲み会が多いような気がする。平均して月に2回程度のはずが、今月に限っては、1日、7日、10日、16日、18日と既に5回あり、さらに24日は新丸ビルで、そして27日、31日は新橋界隈で飲み会があるので、計8回にもなるではないか。昨年の心筋梗塞以来、飲酒はあれだけ自重して来たのに、これでは以前ほどではないにしても大して変わらない。せめての救いがあるとしたら、飲む量が劇的に減ったことだ。平均すると、生ビール大ジョッキに日本酒2号徳利を二本程度だから、可愛いものなのだ。

 

昨日、ようやく関東地方の梅雨明け発表があった。昨年の夏は絶海の孤島での調査で一ヶ月を費やしたが、今年は8月上旬の会社の研修施設での講師の予定があるのみである。あとは、ゴルフ場併設の温泉施設での湯治を一週間だ。温泉とシャフトがぐにゃぐにゃするドライバーとアイアンの練習クラブでせいぜい練習して、秋のシーズンにベストスコアを更新したいものだ。ちなみに、私のベストスコアは日米で何度も出している80。70台にならないのが私らしいが、これまで50センチくらいのパットが入れば79というラウンドが何度かあった。もちろん、究極の目標はエイジシュートだが、来月67歳の誕生日を迎えるが、あと20年はかかるのだろうか。精進あるのみだ。

一昨日は終日梅雨雨らしいどんよりとした天気で蒸し暑かった。この日の一ヶ月ぶりのゴルフも天気同様、今一つ冴えがなく、フロントナイン、バックナインともバーディー1つ、パーが一つだったのだが、大叩きのホールがいくつかあり、100をやっと切る有様だった。もっとも、前半4ホール目のパー5での8はある意味納得のいく結果でもあった。その前のホールのショートホールでバーディーだったので、気をよくして臨んだ難関のロングだった。2打目までは割と良いショットが続き、続く3打目。そのホールはグリーン左横がすぐ崖になっていてOB、右は深い大きなバンカーがある。残りはグリーンエッジまで130ヤードくらいで、狙うか、刻むべきか迷ったのだが、その前のショートでアイアンが良かったのと、ライもフェアウェイの平らなところだったので果敢に狙った。だが、9番アイアンで放たれたボールはグリーンに着弾したものの、左に転がり落ちてOBになってしまった。先週のブログ記事ではないが、やってはいけないとわかっていたのにだ。打ち直しの第5打は、番手を変えずに再度果敢にグリーンを狙い、今度はグリーン右の大きな口を開けているバンカーに吸い込まれるというある意味、典型的なハマりパターンとなってしまった。もっとも、ライがそれほど悪くはなく、砂もちゃんとあったので、背より遥かに高いバンカーも一発で出て、2パットのトリプルボギーだった。結果としては状況を考えれば、まあ、仕方ないと受け入れられるものだったが、正直に書くと、第三打は勇気をもって刻む選択肢も考えたのだ。そこを敢えて狙ってハマったのだから、納得もできた次第。しかしながら、それ以外の大叩きのホールは、絶対に入れてはいけない池ポチャや、ドライバーの失敗で難所からのリカバリーもうまくいかず、ついでに3パットといったようなホールがいくつかあったのだが、全てロングホールだった。最初のロングで果敢にもパーオンを狙った結果が上記だったのが災いしたのか、少しだけ心が折れそうになったが、自業自得であるから仕方ない。今、認識したが、ショートホールは、2バーディー、2パーのトータル2アンダーだった。バーディーは、137ヤードと、206ヤードのショートだったが、ティショット、パットともうまくいきましたね。パーは165ヤードと193ヤードのショートだったが、前者はエッジからパターで2回、後者はアプローチ後、ワンピンちょっとの微妙なパターが入った。一ヶ月の間、クラブには全く触れていなかったので、まあ、こんなところだろう。8月の盆休みの時のゴルフ場での湯治滞在の折に、練習場は使い放題なので、課題を設定して練習に励もうと思う。

ところで、私にとっての真夏の備えは、サーファーパンツの着用だ。多汗な体質なので、通常の出立で野外活動(ゴルフ、長距離散歩)をすると、下着もショートパンツも汗でビショ濡れになってしまうのだ。そこで、10年くらい前であったと思うが、真夏の間はサーファーパンツを着用することにしたのだが、これがすこぶる快適なのだ。サーファーパンツは速乾かつ収縮のある生地なのと下着の着用も無用であるばかりか、デザイン自体もシティユースにも十分使用可能なカジュアルなものなので、私の中ではこれは大ヒットなのだ。次のゴルフは連休最終日の20日(月、祝)なのだが、まだ体は暑さに慣れていない、つまり、汗もそれほどかかないかもしれないが、そろそろサーファーパンツでラウンドしてみようかなと思っている。

ここまで書いて思ったのが、私の年末恒例の山手線一周散歩だ。昨年末は、心筋梗塞発作直後の急性期であったので自重し、その後の長距離もせいぜい2万数千歩くらいにしてきたが、連休最終日に道を間違えて5万3千歩、43キロ程度歩いてしまったことがあったにも関わらず、当日も翌日も体はなんともなかった。3連休初日の18日(土)は、暑いとはいえ、まだ真夏(梅雨明け)の一歩手前だろうから、久しぶりにゆっくりと時間をかけて山手線一周徒歩をやってみようかなとガチで思ったのだが、よく考えたら、この日は会社で終日会議である事を思い出した。3連休は、18日は仕事、19日に2万歩ほど歩き、20日にゴルフとなりそうだ。もちろん、サーファーパンツを身につけてだ。新橋駅前のニュー新橋ビル1階にラーメン屋が新規オープンするというから、19日の長距離散歩コースに組み入れてみるかな。

梅雨明け前とはいえ、今日の東京都心は十分以上に蒸し暑かった。

やってはいけないことをやってしまう。私のこれまでの人生でも数限りないほどやらかしている。代表的と思われるのはゴルフプレー時だ。

ティーショット:かつてスライサーであった私は右がOBのホールだと打つ前にかなり緊張したものだ。それでも、ドライバーで放たれたボールはある時は大きな弧を描いて、あるときは一直前に右のOBにむかってしまう。わかっているのにやってしまう。

バンカー超えのアプローチ:欲をかかずにグリーンオンで十分なはずなのだが、ピンがバンカーに近いと寄せようとしてチャックリやって、ボールは蟻地獄のようにバンカーに吸い込まれていく。

下りのパット:ショートすると短い距離でも次のパットが難しくなるのでオーバーすることを念頭に打つものの、インパクトの時に緩んでしまう。結局、下りの微妙な距離のパットを残して入らずのスリーパットとなってしまう。

上りのパッと:オーバーすると返しのパッとが難しくなるので、距離を合わせて打つのだが、ネバーアップ、ネバーインがどうしても頭にあるようで、強くインパクトして下りのパットを残すか、緩んで距離のある上りを残すかしてスリーパット街道を進んでしまう。他にもあるが、ゴルフはこの辺りで勘弁してやろう。

ゴルフは先月13日の富士山麓のコースでプレーして以来ご無沙汰だ。今度の日曜日(12日)に約一ヶ月ぶりにホームコースに行くことになっている。上述したコトは起こさないようにしないといけない。

 

二日酔い:次は飲酒だ。学生時代は、深酒した翌朝は目覚めていつもと同じ天井があることにホッとしたものだ。次に財布の中身を確認しながら、自分の前夜の行動を思い起こす。大抵の場合、残額と行動が結びつくが、たまに辻褄の合わないことがあるので、一緒に飲んでいた連中に確認すると、もう一件寄っていたりする。二日酔いの辛さは相当なものだ。翌日の午前中は本気でもうお酒はやめたと思うのだが、夕方になると元気になってまた飲みに行って同じことを繰り返す

 

つまり私は学習しないバカなのだ。自己反省は大いにするとして、他人がやらかしたことを次に書く。

 

立ちゴケ:バイクで停車した時などにバランスを崩して倒してしまうことをこのように言う。ライダーでこれほど恥ずべきコトはないが、白バイでこれをやった警察官を見たことがある。以前、私は趣味でマラソンをやっていて、色々な大会に出場したことがあるが、30年以上前の始まって間もない霞ヶ浦マラソンに出場した時のことだ。開会式に一般ランナーは半強制的に参加させられたのだが、会場だった公園のグランドはぬかるんでおり、ランニングシューズが汚れないように気を遣って歩いたのを覚えている。セレモニーには、先導する白バイ部隊の入場があったのだが、そこでコトは起きた。颯爽と白バイに跨って入場した隊員は、最後にくるりと右旋回して定位置に着く手筈だったようなのだが、ぬかるみにタイヤを取られて立ちゴケした隊員がいたのだ。参加者一同、「おい、あんなんで先導大丈夫か」と言われる中、その隊員は一生懸命バイクを起こそうとするが、ぬかるんでいるのと、大型バイクの重量で難儀していた。だが、周りの隊員は冷たい視線を向けて傍観しているだけだった。そうなのだ。これは手助けしてはいけないのだ。私は鮫洲試験場でバイクの限定解除をとったが、最初にやる試験科目がCB750を引き起こすことだった。自分で起こせないようではそのバイクに乗る資格がないと言うことだ。悪戦苦闘の末、倒れた白バイは引き起こされてセレモニーはその後、順調に進んだが、あの警察官には同情を禁じ得なかった。

 

植木等じゃないが、わかっちゃいるけどやめられないことや、結果としてそうなってしまうことは残念ながらある。

 

先の土曜日(4日】に六週間ぶりにクリニックに行った。その時、前回(5/23)の血液検査の結果をもらったが、NT pro BNPの値が2月より少し改善していて、標準上限値125の3.6倍だった。発作直後は5500を超えていたから、劇的な改善と言いたいが、医師によると、心電図は今も典型的な心筋梗塞を示しており、冠動脈に閉塞や動脈硬化が見られなかったとはいえ、なんらかの虚血性イベントが心臓に起こったのは間違いないという。つまり、心筋壊死があるのは確実だろうという。発作直後は、多臓器不全を合併し、腎機能が一時は数値上は透析の一歩手前までいったが、改善傾向にあるとはいえ元に戻らず、低い状態だ。これが現在の私の状態だ。悲観もしないが楽観もしない。心臓リハビリには趣味の長距離散歩が確実に効果があったと思うので、今後も続けるが、梅雨明けの盛夏時の水分補給が重要だと思っている。

 

今日は七夕だ。一昨日のサザエさんを見ていたら、波平が短冊に書いた願いが、家族皆の願いが叶うように、とのことだった。

 

皆様の願いが叶いますように。

 

 

前回触れた酒にまつわることを今回も書く。

かつて私は酒豪と呼ばれた。日本酒一升なんて軽く飲み干し、気づいたら二升飲んでいたなんてことも普通にあった。両親とも酒は強かったからその血を引いたのだろう。

院生時代、夜中に研究室で論文を読む等の机上作業時は、いつもウィスキーをちびちびやっていた。先輩、後輩からはBGMならぬBGAと言われたものだ。Aはアルコールである。真冬の丑三つ時、後輩二人を誘って研究室近くの神社の鳥居前に出ているおでん屋の屋台で夜明けまで飲んだことも懐かしい。屋台だから極寒の外気に晒されてはいるが、体はおでんと熱燗で温まっているのと、議論に夢中になって寒さは全く感じなかった。気づいたら来店時に出されたおしぼりが凍っていた。

ビールは清涼飲料水みたいなものだった。朝からは飲まないが、ランチ時に飲むことはよくあった。33年前、研究官だった私が、出向命令により霞ヶ関で行政官をしていた時期があった。仕事は苦労して当たり前とはいえ、担当業務には酸いも甘いもある。某省の食堂では昼からビールを出してくれたので、少し遠征しては喉を潤していたものだった。昼から飲むビールは、午後も勤務するための潤滑剤というかエネルギー源になるのだ。ところがその食堂の昼メニューからいつの間にかビールが消えてしまった。なぜかはわからない。仕方ないので、当時のイイノビル地下のイタリアン(フレンチだったかもしれない)に場所を変えた。そこのランチメニューには、ビールばかりでなくワインも飲み放題があったのだ。海外からのゲストを昼食に連れていく際は、この飲み放題が大変役に立ったものだ。言い訳だが、当時はすでに米国での2年間の州立大教員を終えた後だったが、欧米では昼食時のビール、ワインは普通であったことは書いておく。

日本でも、当時の役所の各課の冷蔵庫にはビールの大瓶が必ず冷えていた。夕方になるとそれを取り出して景気をつけてもう一仕事なんていうのが当たり前だった。年末の御用納は午前で終業、午後はどこかに繰り出す。年明けの御用始は朝イチで年始の挨拶をした後、軽く飲んでから河岸を変えて新年会だ。今となっては隔世の感がある。

そんな時代を過ごしてきたものだから、文部省(大学)に教官として移った後も、先週のブログで書いたような昼に軽く飲むなんてことをやっていたのだ。

もっとも、当時からそんな私でも研究調査航海での船上作業中は、昼には絶対に飲まなかった。船上作業は危険を伴い、時には命を落とす可能性もあったので、流石に昼からビールなんてことは絶対にしなかった(当たり前か)。その代わりではないが、洋上では夜間になると、当直の船員・観測員を除いて毎晩、飲み会だ。ノミュニケーションがこうした緊張した現場では重要であったのだ。昨夏、私が調査団長として臨んだ約1ヶ月に及ぶ絶海の孤島調査では、調査団員の方々は品行方正なので昼の飲酒は禁ずるまでもなく、夜は毎晩飲み会をやったが、皆、節度を守ってくれた。期間中、私は66歳の誕生日を迎えたのだが、一緒に南氷洋にも行ったことのある司厨長が団員と一緒にバースデーケーキを作ってくれた(写真)。ビールとの組み合わせだったが、皆で分けたケーキはとても美味かった。今年の誕生日は二泊三日の会社施設での研修会初日だ。私は講師として参加するため、夜は毎晩飲み会でも羽目ははずせないが、楽しみにしている。

前にもこのブログで書いたことに、大学教員になって初めての実験実習のことがある。31年前の4月中旬のことだ。実験実習は午後の3コマ連続だが、その日は初回ということもあり実際の実験はせず、今後の詳細な説明と講義を予定していた。だが、その日の朝、通勤途中で路面電車の車窓から見た満開の桜があまりに美しかったので、早々に講義を切り上げて、学生16人あまりと路面電車に乗って花見、いや、課外授業を実施した。急遽決まったことなので何の準備もしていなかったこともあり、同行する男子学生達に万札を渡し、ビール、ソフトドリンク、つまみを調達させた。日本酒は意図的に避けた。本格的になってしまうからだ。駆け出しの助教授だった私には、学生と野外で色々と懇談できて良かったのだが、学生にも思い出深い花見だったようだ。

読者の中には、このようなエピソードには全く感心しない方もおられるだろうが、酒に関する私の本質はこんなところだ。時代の流れ、年齢、持病とそろい踏み、今は大人しくしてはいるが、中身は変わるものではない。時折、かつての血が騒ぐこともあるが、今後は酒ということでは、人並に清く正しく生きていくのだろう。明日は中途入社の方の歓迎会だが、洋食店で日本酒がないので、生ビールとワインを楽しむことにしよう。

 

今朝目覚めたら、W杯は残念な結果であったことを知った。気が早いが、4年後目指して頑張れ、サムライブルー!