聖観世音菩薩の御開帳

何やら漢字の羅列で始まった観のある、本日記事のタイトルは、12年に一度開帳される菩提寺の観音様のことだ。今年がその年で一昨日、大法要が寺で営まれた。私自身が寺で実施される法要に参列するようになったのは、9年前に母親が鬼籍に入ってからなので、初めての御開帳である。父の代の墓を22年前に建立して以来、年に盆、暮、彼岸と必ず寺を墓参りで訪れていたが、昨日、初めて観音様の御尊顔を拝したことになる。

菩提寺では毎年8月17日に大施餓鬼法要が営まれ、宗派の僧侶が20名ほどが本堂に正座して執り行う読経は迫力ものだが、昨日の法要は14名の僧侶が本堂内をお経を唱えながら円を描いて練り歩く方式であった。大鐘の打ち鳴らしで始まった法要は、参列者全員の焼香を経て小一時間ほどで終わった。秋晴れの過ごしやすい気候の下で僧侶が唱える読経は心の奥底まで響いたものだった。次回は12年後、その時、私は79歳になっているが、参列したいものだ。というのも、本堂の奥に鎮座した観音像は元々大きいものでないこともあって、表情などが全く見えなかったのだ。次回は、双眼鏡を持参しよう。

かつでは月に一度、寺の境内で市が立っていたとのことだが、30年ほど前に現住職になってから諸般の事情で取りやめたというが、一昨日は、縁日ということでキッチンカーなどが立ち並んでいた。私は鰻の入った卵焼きと生ビールを購入したが、どちらも大変美味でありました。

父親の墓を建立した22年前のこと。打ち合わせで寺を訪れると、オムツをした2歳くらいの住職の娘さんが玄関まで出迎えてくれたものだった。しばらく見かけることもなかったのだが、一昨日、白い着物の女性二人が本堂の上座に着席していた。法要後にわかったが、住職の奥方と娘だった。奥方の方は普段と全く印象が違うので気づかなかったのだが、娘の方はすぐにわかった。というのも、住職のコピーそのものだったのだ。集中治療室看護師をしていることは住職から聞いていたが、立派なに成長したものだ。

 

バリカン

毎朝使用している電動髭剃りにはバリカン機能がある。ほとんど使用することはなかったのだが、ここ数カ月は大活躍なのだ。というのも、私は平均すると二カ月に一度調髪してもらいに理容室に行くのだが、行きつけの理容室はなく外勤先や遠距離散歩で頃合いを見てフラット店に入るのだが、前回5月下旬にカットしてもらったところが最悪だったのだ。思い出すのも腹が立つので細かいことは書かないが、以来、5カ月近く理容室には行っていない。私の髪形はこのブログの似顔絵(写真からネット無料アプリで作成したもの)の通りで、普段はオールバックにしている。この絵は写真から作成したこともあるが、割と似ていると思うのだが、オールバックの生え際はイラストより気持ち後退しており、頭頂部はやや薄くなっている。ここ数年は、髪の成長速度も落ちたが、それでも二カ月に一度カットしてもらわないと、全体のボリューム、特にサイドの髪量が増えて、見た目アンバランスになる。5月の経験から理容室に行くのを躊躇っていたが、7月を過ぎて8月になるとそうも言っていられなくなり、週末の朝に鏡を見て思ったのが、電動髭剃りのバリカンで切ったらどうなるかということだった。洗面所の三面鏡を駆使しながら、果敢に挑んだ次第。当初はバリカンで髪をカットする感覚というか相場観がわからず、切りすぎたりもしたが、段々こつみたいなものも分かってきて、割とすぐに許容できる髪型に整えられるようになった。プロから見たら問題外かもしれないが、毎朝クリームを塗ってオールバックになっている鏡に映るおじさんの表情は、人相はともかく、それで十分なように見える(と思いたい)。多分だが、今後しばらくは、バリカンカットが続くことだろう。

 

 

 

 

 

先週の水曜日、木曜日に高知を訪問した。私は15年前まで高知に赴任していた。東京に戻ってからも高知県内の大学の客員教授をしていた関係もあり、現勤務先に着任する前の年まで毎年講義で行っていたから7年ぶりの訪問であった。そういうわけで、土地勘があるということもあり、会社関連の非営利法人理事長他の視察行の案内が役割だったのだが、全体世話役の法人職員がインフルエンザで行けなくなり、その人の役割を含めた一行の引率者みたいな立場で行くことになってしまった。おかげで現地経費立替は17万円ほどになってしまった。クレジットカードのポイントにはなるのだが、本来業務でないのにこれだけの立替は初めてであった。

1日目は空港からレンタカー会社経由で、室戸の関連施設に行った。施設長他が対応してくれたが、私にも色々と勉強になって面白かった。ルートに空海が悟りを開いたという室戸岬近くの海岸の洞窟(御窟人)があったので、そこにも立ち寄ったが、洞窟の中からは空と海しか見えなかった。だから空海という駄洒落はいわない。以前はなかったのだが、建設中の高速道路の開通期間が無料で開放されていで便利であった。この日は室戸から高知市内に移動し、帯屋町のホテルにチェックイン後に料亭濱長でのコースディナーだった。鰹タタキを酒肴に土佐鶴の熱燗という夢のような組み合わせを満喫した。女将がほとんど同席してくれて、楽しい時間を過ごすことができた。もっとも、周りの方は気づいていなかったようだが、一人で軽く一升以上空けて酔いがまわっていた私は会計を済ませてホテルに戻る途中から記憶がない。夜中に気づいたら、服を着たままホテルのへ部屋の床に倒れていた。ドアを開けた途端に力尽きたようだ。67歳にもなって記憶を無くすほど酔うとはお恥ずかしい限りだが、幸せな時間を過ごしたということだ。

二日目は坂本龍馬記念館見学から桂浜散策後、空港近くの前勤務先の研究所の視察であった。龍馬記念館は真面目にみたら半日はかかるような興味深い展示であった。晴天の中の桂浜散策も気持ちが良かった。浜の西はずれにある岬の神社の崖は台風で崩壊したことがあり、一見するとわからないが、樹脂で補強している。崖の岩壁をよくみたら、パターンの違いでわかるが、自然の崖にしか見えないのだから大したものだ。ランチは地元では有名な現代企業社経営の「ネレウス」というところに行ったが、ここは洋風の洒落た雰囲気の店で、メニューにあったので五目ラーメンを注文してしまった。大盛りができなかったのは残念でしたが、味は良かったなあ。前勤務先の研究所は所長他が説明してくれましたが、かわらず世界最先端のことをやっているようで頼もしく思ったものだった。

昨日までの3連休は天気にも恵まれ、9月の長雨で停滞していた行楽地も一息ついたのではないでしょうか。私は連休中は、ゴルフを一回、長距離散歩を2回と毎日野外で過ごしました。ゴルフは連休真ん中の日曜日に行ったのですが、このブログで書いてきたクニャクニャシャフトの練習用ドライバーの効果はかなりあるようで、距離も方向性も、そして球筋さえも改善したのは驚きました。実感としては以前の様にとはいかないまでも、かなりドライバーを振り切る感覚が戻ったような印象です。他の方にも合うかどうかわかりませんが、商品名はスイングトレーナー。ネット購入で送料込で7千円台でした。

長距離散歩は土曜日は最近は7週間隔で通院している循環器内科クリニックから適当に2万5千歩あまりを歩いた。昨日は久しぶりに少し歩数を稼ごうと思い、目黒川を水源まで遡り、烏山川緑道の終点をひたすら目指した。そこから環八に出て自由が丘まで歩いた。歩数は40053歩で、5月の連休以来の4万歩越えであった。もっとも、5月の時は道を間違えて5万3千歩だったが、この時も今日も筋肉痛などは全くなく、むしろ体調は良い方だ。土曜日と昨日のルートで例大祭をやっていた地域はなかったが、今週末の17日、18日に開催という看板を何度か見たので、秋祭りはしばらくは、都内の鎮守神社で続くのだろう。

一月ほど先のことだが、11月8日から13日まで富山出張予定がある。このブログでは固有名詞は明記してこなかったが、私は32年前の35歳の時に助教授として富山大に着任した。諸事情あって、4年弱で生まれ育った東京というか関東に戻ってしまったが、富山は30代半ばからの若かりし頃を過ごした思い出の地なのだ。ここで覚えた立山や銀盤の熱燗は、後に過ごした高知の土佐鶴に通ずる味わいであった。先週、その土佐鶴を痛飲して記憶を失くしたが、来月はさすがにそれはまずいので、控えねばならないだろうな。行きつけだった居酒屋がホームページを開設していたので、そこにあったアドレスに連絡しても返信がない。一応、仁義は切ったものと考え、ふらっと訪ねてみよう。

今年はゴルフを初めて30年だ。地方国立大の教員時代に大学から近い居酒屋の常連だったのだが、そこのマスター主催のコンペに誘われて始めた。それまでは興味はあってもやろうと思ったことはなかったのだが、酔いが回っていたのだろう。初ラウンドのスコアは空振り10回を入れて147だった。それ以降は半年に1回くらいのラウンドの頻度だったが、100を切り、80台が見えてきた4年後、この時は大学から国立研究所に移った2年後だったが、米国に駐在する機会を得た。クラブを持たずに渡米したこともあったが、当初は色々と忙しくてゴルフどころではなかった。半年程度経ってようやく余裕ができたので、最新のクラブセットを購入してラウンドを再開した。

この時、勤務先のワシントンDC事務所の初代所長だったのだが、ワシントンDC北西部には同じ省庁管轄の研究所のワシントン事務所がいくつかあり、付き合いもあったのだが、誰一人としてゴルフをする人がいなかった。仕方ないので、週末、居住するメリーランド州にあるパブリックコースに予約なしでフラッと行き、組み合わせで初対面の白人男性3人とプレーする日々を過ごしていた。週末は土日の二日間、ゴルフをしまくった。平均すると、週一を上回る頻度でプレーしていたと思う。スコアはどんどん伸びて、再開後、半年もたたないうちに、つまり渡米後1年ほどで90を切り、さらにそれから数カ月でベストスコアの80を出した。当然、70台を期待したが、そうはいかなかった。

米国での週末のゴルフ三昧の日々に別れを告げて、帰国してからしばらくは、割と頻繁に平日夜も練習に行ったのだが、都内にマンションを購入して通勤手段が車から電車になってからはそれもなくなった。それでも、週末にたまに行く程度の練習にもかかわらずスコアは安定し、80台は普通だったが、70台は出ない。23年前には今のメンバーコースの会員権を購入してからしばらくは週一程度のペースでプレーしたが、ホームコースは難しくたまに別の接待コースに行くとスコアが全然違う。そのうち、仕事が忙しくなり、一時は年間プレー回数が10回程度にまで減ってしまった。いずれにしても、クラブセットは常時、ゴルフ場に預かってもらっており、普段は全く練習しないのだから上達するわけがないのだ。

それでも目標は、エージシュートとしている。昨年10月の心筋梗塞の発作後、今年初めにプレーを再開してから90が切れなくなっているが、年齢が上がれば逆にスコアの敷居は低くなるので、何とか達成したい目標だ。そのために、長生きするのは無論のこと、練習しないまでも日々、頭の中で過去のナイスショットの記憶を頼りにシミュレーションをして、本番で実践しては、瞬間的に上達したと錯覚し、また元の木阿弥に戻るというパターンを繰り返し楽しんでいきたい。

今のクラブセッティングは、ウッドが全てPIN440で#1、#3、#5、コブラ中空アイアン#3、広田のカスタムオーダーマッスルバックアイアン#4-P、そしてウェッジはネクスジェン52度、クリーブランド58度、パターはマレット型のスコッティキャメロンとなっている。今はユーティリティーを導入すべきか思案しているところだ。ボールはタイトリストのプロV1だ。この春にスイングトレーナーというクニャクニャシャフトの練習クラブのドライバー用、アイアン用を導入してからは、何となく切り返しのタイミングわかってきたのか、以前に比べたら飛距離方向性とも安定しているといった状態だ。それにも関わらず、80台がでないのは、このブログでも時折書いてきたが、一言で言えば下手なのであるが、日によって調子のよいクラブが日替わりなのも原因だろう。今後も一喜一憂しながらゴルフを続けていくのだろう。それでよいのだ。

 

一昨日、久しぶりに3万5千歩ちょっと歩いた。昨年の心筋梗塞以来、長距離散歩は1日二万数千歩以内としてそれを守ってきたが(といっても5月の連休中に道を間違えて五万三千歩歩いてしまったことがあったが)、一昨日はなんだかもうちょっと歩いてみたい気になった。9月に入ってからは都内の地域ごとの鎮守神社の例大祭が行われており、一昨日も久富稲荷神社の例大祭が賑やかに執り行われていたところを通りかかった。今週末開催の例大祭の看板が出ていたところもあった。大阪のだんじり祭りは死者が出ても絶対にやめず、しかも根本的なやり方をかえていなようなのは、東京生まれ育ちの私には理解できないところがあるが、神輿とお囃子、そして出店のある地域住民の交流を深める普通の祭りが心地良い。

先月から金木犀の香りを時折感じていたが、一昨日は都内随所で芳香が漂っていた。季節は確実に秋なのですね。明日から一泊二日で高知出張だ。あちらでは季節は少し夏寄りに戻っていると思うが、戻鰹のタタキと土佐鶴の熱燗を濱長で満喫してこよう。

先週の米国での学会発表・ブース出展は、安くない経費をかけだけのことはあったといえよう。会社の最先端技術の宣伝は十分に果たせたものと思う。来訪者対応でも、その方の所属から予想されるニーズを想定して説明をしたが、将来的に奏功することを願うばかりだ。

我が社に就職を希望する学生が複数いた。想定していなかったので英文のリクルート資料は準備しておらず、会社ホームページの英語版にあると思い、そのように口頭で案内したら、ウェブサイトを見てもわからなかったと、わざわざ言いにきた学生がいた。確認せずに情報を与えたことを詫びて、後日、知らせると言うことでメールアドレスを聞いておいたが、確かにWebサイト英語版にはリクルート情報はなかった。我が社は通常の公募枠外で外国人の雇用はしてきたが、海外での学会にブース出展する現状を考えれば、今後は幅広く人材を得ることを想定した準備をすべきなのだろう。来年は英国で開催される学会に出展するのだが、今から作業を始めないといけない。人事は音読みであって、訓読みではないのだ。

 

本ブログ記事の標題は、書くと決めた時に朧げながら決めていた主題としたが、上記で先週の出張について書いているうちに忘れてしまった。だが、改めて考えてみると、私の人生は流されてばかりだったような気がする。ある時には必要な努力をしてきたし、その逆にもっとすべきであったと思う時もあったが、その瞬間では懸命であったことも確かだ。一生後悔するようなことも、そして我ながらよくやったと思うこともある。その時々の私の思考行動の塩梅は、中長期的な視点のものもあったが、多くは刹那的なものであったような気もする。齢67歳にして、結局はこうした境地だ。褒められたものではないが、悲観しても仕方ない。

 

何を書きたかったのか、まだ、思い出せないので、ゴルフの話題にしよう。帰国した翌朝の日曜日に茨城県南のメンバーコースに行った。スタートは午前7時15分。自宅を午前5時過ぎに出て、順調に車を走らせた。帰国直後のことだったので、怪我をしないように柔軟運動を兼ねてゆっくりと練習したため、パターグリーンはちょっとしか試せなかったが、スリーパットは一度もなく、微妙なパットが何度か決まると言う、皮肉な結果になった。ショットの方は、セットを元に戻したアイアンは変わらず今一つで、ボギーオンもできないホールが普通にあり、前半は46だった。後半頑張れば80台と思ったものの、ショットがさらに荒れて、深いラフによるロストボールが二度の結果、50を叩き、96というスコアだった。希望が持てるとしたら、時折、ドライバーショットが通常よりかなり飛んでいたことだ。クニャクニャシャフトドライバーの練習効果と思いたいのだが、会心の当たりと思っても距離はそうでもなかったことがあり、正直、すごく飛んだ時の理由がわからない。つまり、再現ができない。往年の飛距離とまでは言わないが、それでも、若い頃のヘナチャコ当たりくらいまでは飛んでいたホールもあったので、気分は悪くない。今週の土曜日もラウンド予定なので、普段、全く練習しない私としては、頭の中でシミュレーションをしてラウンドに臨むしかない。一昨日は、7000ヤード超のフルバックで回ったのだが、同伴の36歳シングルの希望を受け入れてのことだった。前半のスコアは彼と同じだった。以前も書いたが、私のホームコースはコースレートが高い難しいところで、以前、何人かの腕自慢の知人を連れて行った際は、ラウンドを進めるうちに皆無口になり、機嫌が悪くなって、もう来ないとまでいう御仁も過去にいた。断っておくが、コース自体はフェアである。だが、少しでも失敗すると、それを許さない厳しさがあるのだ。次回のラウンドは同伴者の希望にもよるが、フルバックはやはり長いので、バックティー(6800ヤード超)で周ろうかな。

 

秋の長雨が統計開始以来の最長を更新しているという。台風26号の今後の進路によっては、千葉などの既に激甚災害が起きたところでも要注意というのだから厄介だ。雨といえば、私は丁度10年前に某出版社から小学生向けの理科の教本を出した際になぜ降雨があるかを解説したページがある。この本は版を重ね4万4千部売れたそうだが、出版社と某エンタテイメント会社との契約の終了に伴い絶版になったのが2年前だった。その本を復活することになったのだ。勤務先会社が実質運営している公益財団法人の事業としてやることになったのだが、出版社との打ち合わせで権利関係の事項は既に明確にしており、来年末の出来上がりを目指して作業を始めることになった。内容構成は、その後の科学の発展も考慮し、少し変えようと考えている。公益財団なので、販売することはなく、無償で提供する事業の一環となる。子供達が少しでも自然現象に興味を持ってくれる本にしたいものだ。

Make America Great Againの略だという。ホワイトハウスがゲームソフト会社SEGAをまねて、不法移民を排除するテレビゲームソフトを作成したというから驚きを通り越して呆れた。呆れた対象は、大統領の機嫌を取ろうとゲームを作成した取り巻き連中と、それを許容した大統領だ。事実関係は知らないが、さすがに大統領による発案・作成ではないだろう。ホワイトハウスでは誰も反対しなかったのだろうか。

現大統領が1期目の時、学会でワシントンDCに出張した時のこと、空港で大統領の顔写真を印刷したパッケージのチョコレートが売られていた。こんな趣味の悪いものを買う人がいるのだろうかと思い、売店のラテン系とおぼしきおばちゃんに売れ具合を聞いたら、そこそこだと笑っていた。顔写真を使用するのだから事前にホワイトハウスには許可を求め、その際、大統領自身の意向も確認したはずだが、取り巻き連中も本人も承諾したのだろう。呆れるばかりだ。

そういえば、40年ほど前に宇宙博というのが東京で開催されたのだが、宇宙物理を専攻するべきか迷っていた私は見に行ってしまった。内容はあまり感心したものでなく、大画面で上映された空中撮影の映像が印象に残っている程度なのだが、土産コーナーで売られていたものを見て驚いた。何と主催者S氏の顔写真を焼き付けた皿を「幸福のお皿」と銘打って売っていたのだ。アイドルならともかく、当時、既に高齢だった御仁の顔写真である。S氏の当時の本業を考えると(競艇事業の元締め)、大金をスった人には「幸福ではなく、不幸のお皿だ」と思う向きが少なからずあったのではないか。発案したのは取り巻き連中だろうと思うが、S氏はそれを止めなかったのだろう。宇宙博がつまらなかったためではないが、地球物理を専攻することにしたのだった。

米国大統領は、成人一人当たりに$5000(約77万円)を支給するという。支給条件は、11月の中間選挙で共和党が過半数の議席を獲得することのようだ。あまりに露骨な票の獲得方法だが、発案は大統領本人ではないだろうにしても、ホワイトハウスは取り巻きも大統領本人も大丈夫なのだろうかとガチで心配になってきた。中東、ロシア・ウクライナ紛争、アジアでの中国台頭などの世界情勢も考慮すれば、こんな政策を打ち出す現大統領がこれ以上力をつけることは危険として民主党に投票するのではないかと思うのだが、11月の中間選挙での米国民の選択結果に注目したい。

 

これを書いているのはサンフランシスコ南の小さな街のリゾートホテルだ。こちらの時間で日曜日の夕方に到着した。往路の全日空の国際線フライトは可もなく不可もなしだった。CAの平均年齢がかなり高く、どうもいつもと違う雰囲気であったが、日本も欧米並みになりつつあるのだろうか。結構年配の方もおられたので、体調は大丈夫かな、などと心配してしまった。CAの仕事はやはり重労働だと思うのだ。成田空港と機内では、処方薬はスケジュール通りに服用した。入国審査もスムーズに進んだが、乗り継ぎの米国内便の手荷物検査が成田の国際線よりはるかに厳しいものだったのは、テロが現実に起こる国なのだから当然のことかもしれない。その乗り継ぎ便が大幅に遅れた。サンフランシスコ空港の視界が悪いと言うのが理由だったが、1時間程度のフライトなので、米国地方都市でありがちなプロペラ機かと思ったら、40人乗り程度の小さいながらもジェット機だった。滑走路を歩いてタラップで乗り込む形式だったが、後列の席に搭乗してから初めての経験をした。なんと、重量オーバーなので、200ドル支払うので、二人降りてくれというボランティア募集の機内アナウンス。即座に前列の白人男性と中列の白人女性が応じたのだが、私と同じ学会に参加する荷物の多い国際線利用者が多かったのだろうか。

二人降りてもなかなか出発しない。今度は、重量バランスが悪いとのことで、前列の白人女性がボランティアで空席になった中列の席に移ってきた。プロペラ機で同様の経験があったが、ジェット機では初めてのことで、少しだけ大丈夫かいなと思ったものだ。

地方空港から市内までのタクシーはメキシコから移民した比較的若い男性だった。米国に来て18年という。両親と親戚と暮らしているそうで、これまでそれなりの苦労はしたようだが、明るい人であった。

現在参加している学会は、早割参加費でも13万円するのだが、日に2回のコーヒタイム、ランチ、そして三日分の夕食時のレセプションが付いてくる。滞在中の朝食とレセプションのない夕食は自己調達となるのだが、事前に調べたホテル近くのスーパーのサントウィッチが絶品であった。トッピングを含め、一つ13ドル(約2100円)もするが、外食に比べたらはるかに安いからよしとしよう。

昨年10月下旬、北米(カナダ)出張中に心筋梗塞の発作が起こった。時差ボケの中、目覚めた朝だった。ホテルから病院に救急搬送され、集中治療室(CCU)に収容された。緊急で実施されたカテーテルの結果、冠動脈には狭窄、硬化は見られなかった。典型的な心筋梗塞ではなかったということだ。医師によると、何らかの虚血性イベントが心臓に起こり、心筋梗塞の症状を呈するに至ったようだ。施された措置ですぐに気分は回復したこともあり、医師は猛反対したが、二日後に帰国の途についた。帰宅後の翌日(晦日)は出社して終日勤務し、締切ギリギリの重要書類を仕上げた。そして11月初旬の3連休は自宅で静養したものの、呼吸が苦しく睡眠が困難になり、連休明けに循環器内科のKクリニックに行った。肺に水が溜まり、多臓器不全も併発していることがわかり、即座に某大学病院に救急搬送となり、再度、CCUに入れられた。CCUのベッドで足を見たらチアノーズが出ていたので、重篤な状況だったようだ。だが、顔全体を覆う酸素マスクですぐに呼吸は改善し、翌朝までに尿が2.5リットル出て肺の水が排出され、気分は良くなった。ただ、自覚症状はなかったが、肝機能、腎機能、血糖などの数値は、憂慮すべき状態ではあったようだ。それでも、翌日には病室にパソコンを持ち込んで仕事を再開したのは、CCUという個室環境ということもあったが、帰国を強行した理由でもある重要な資料の期限が迫っていたからだった。担当医には4週間はCCU、それから一般病棟だと言われていたが、病院都合優先の看護に我慢ならず(カナダの病院は患者本位だったなあ)、CCUを4泊しただけで大学病院を退院した。退院時には、悪化しても責任を問わないという誓約書を書かされたが、不思議と大丈夫だという思いがあり、事実そうだった。医師はリスクを想定してものを言うので、これは仕方ないことだ。退院後1週間は大人しく在宅勤務とし、発作半月後には普通に出社、日常を取り戻した。それからはKクリニックに通院して治療している。

導入が長くなった。そのいわくつきの北米出張(カリフォルニアでの学会)が今月20日から26日の予定である。さすがに昨年のことがあるので躊躇がなかったと言えば嘘になる。だが、体調は順調に回復し、腎機能も透析寸前の数値からかなり改善し、3月から4月のマレーシア出張も問題なかったこともあり、予定通り行くことにしたのだ。

懸念が二つあった。一つは、春のマレーシア出張時もそうだったのだが、持病・既往症があると通常の海外旅行保険には入れないのだ。入れる保険もあることはあるが、保証上限が300万円だという。会社に確認したら、担当部長からは、出張中に何かあってこの上限を超える支払いが発生した場合は会社が払うという。だが、担当医の許可がないと出張自体が認められない、と当然のことを言われた。

懸念の今一つは、服薬だ。今回、時差が16時間あるので、どうしたら良いか調べた。朝1回4種と朝夕の2回1種の5種類の薬を私は処方されているのだが、血液中の濃度を換算の上で、服薬間隔を適宜ずらして作成した服薬スケジュール案をクリニックの医師に見せたら、それで良いとのことだったので、こちらも解決とした。搭乗機内での服薬が往路1回、復路2回ある。忘れないようにしないと。

今回の出張は学会発表と会社が出展するブース対応だ。経費削減でエコノミーの一番安いチケットだったので、スーツケース1個しか預けられないにも関わらず、出展関連の荷物が結構ありそうだ。以前の勤務先ではビジネスクラスが使えたが、当時は50代で体力もあったこともあり、もったいないのでエコノミーを利用し、浮いた分を若手の旅費に当てていたが、今なら絶対にビジネスを使うだろう。話がそれた。スーツケースを制限を超えて二つ預ける場合は2万円かかるのだが、大した額ではないが、貧乏性ゆえ、何とか超過しないように個人の荷物を極力減らす努力をしている最中だ。

 

25年前の9月11日、私は米国首都ワシントンDCで勤務していた。住居はDC北のメリーランドだったので車通勤をしていたのだが、当日朝、車内で聞いていた地元ラジオは何かを早口でがなりたてていたが、よく聞き取れず、出社後テレビをつけて同時多発テロのことを知った。ニューヨークは大変だと思っていたら、勤務先から至近距離にあるペンタゴンに墜落している航空機の映像が映り、緊張感がMAXになった。以前もこの時のことはブログで書いたので、ここでやめておくが、そんな思い出もある北米への出張だ。私は若い社員に、出張で一番重要なのは無事に帰ることだと言っている。このことを自分自身に言い聞かせて今回の出張に臨む次第なのだ。もっとも、出張先はサンフランシスコの南にある風光明媚なところだ。ワインと海鮮も楽しみだったりはする。

先月初めくらいに右手首が少し痛いので、ロキソニンを飲んだらすぐに治ったなんてことがあった。先週水曜のことだが、右手首が再度少し痛くなり始めた。6年前、右手首の激痛を初めて経験した時は、痛さのために一睡もできず、翌朝、会社を休んで整形外科に行った。初老の男性医師はレントゲン撮影をし、血液検査(尿酸値)を即座にしたが、原因は特定できないが、痛みを止めることはすぐにできるという。早速、処置してもらったが、患部に注射を打たれ、ロキソニンを処方された。確かに痛みはあっという間に治まり、その夜は職場の飲み会だったが、医師に聴いたら全然問題ないというので、会社を休んだにもかかわらず参加してしこたま飲んだものだった。その後、不定期に年に2,3 回、同様に痛くなることがあったが、ロキソニンを服用したらすぐに痛みはなくなった。今回は普通に生活できる程度の痛みで、ロキソニンを飲まなくても大丈夫だったので、割と軽く見ていたのだが、痛みは継続し、三日後の土曜の早朝、6年前に匹敵するくらいの激痛で目が覚めた。これまで同様、ロキソニンを飲んだら大丈夫だろうと考え服薬したら、激痛はすぐになくなったものの痛みは残り、翌日はゴルフの予定だったが、さすがにクラブを振ることはできそうもなく、当日朝になってゴルフ場に電話してキャンセルしたのだ。現在、痛みもほとんどなくなったが、念の為、夕食後にロキソニンを服用した。上述したように6年前の発症時から年に2,3度の再発を繰り返し、都度、ロキソニンで痛みは治ってきたが、原因特定はした方がよいかもしれないと思い始めた。判断を誤ったかもしれない。

 

ところで、私は「選択」という書店販売をしていない月刊誌を36年前から購読している。内外の経済政治情勢、文化、科学、スポーツと守備範囲は広く、私には欠かせない情報源となってきた。この雑誌、随分前に編集部で内紛があり、編集長が創始者によって飛ばされる事態が生じ、経緯は週刊誌にも掲載されたのだが、報道誌でありながら、何と完全にスルー。そんな編集方針で報道の看板を掲げられるのかと思っていたら、間を置かず創始者がなんと息子を編集長に据えた。さすがに世間体を気にしてか、経緯について言及していたが、他に適任者がいなかったと開き直った。こういうのをいけしゃあしゃあと言うのだろう。報道誌を世襲制にするとは・・・。この時点で購読をやめようと思ったが、手続きを失念し、その後も毎月送られてくるので仕方なく読む羽目になる。結局、亡き恩師から勧められたこともあって、ずるずると購読を継続している次第なのだ。

前置きが長くなった。今月号で気になった連載と記事があった。このブログでも話題にしたことのある佐野医師の連載は毎号楽しみにしているが、今月号は共感できないものだった。過去の処置に関することで、自身の施術で不手際の可能性があり、患者の死期を早めたかもしれないという内容だった。最近、同医師が知り得た別の医師による同様のケースでは、担当医は(説明の仕方は微妙なニュアンスながらも)、遺族にも状況を伝え、院長はこの症例をカンファレンで取り上げたのに対し、自身の過去の事例ではそうはしなかったという告白のようだった。遺族に訴訟を起こされるリスクを否定できない状況にも関わらず、カンファレンスで議論をした担当医、院長の姿勢を評価しているように感じられたが、言いたいことはわかっても、再発防止に向けては当たり前のことではないかと思った。考え方というか、思考が違うとしか思えなかった。

今一つの記事(匿名)は、赤根国際刑事裁判(ICC)所長が米国より制裁対象となった件についてだ。米国の動きを事前に察知した赤根氏が先月帰国し首相、外相に面会を求めたが相手にされなかったとのこと。米国べったりの首相はともかく、外相には時間的余裕があったのに面談しなかったのは、次期首相就任への意欲があるため米国とことを構えたくないのだと書かれていた。この記事を読んでまず私が思ったのは、ICCは国家から独立しており、場合によっては出身国の不利益になることもせねばならない職責があるのに、露骨にそうした政治的な行動を赤根所長がしたのかどうかということだ。記事には赤根所長が首相、外相と写った写真を公開して、日本がICCを支えているということを国際社会にアピールする考えだったとあった。赤根所長を擁護するつもりでは書いていないのだと思った。また、首相、外相は、建前としては赤根所長個人を擁護する立場にはないはずなので、面談を回避した可能性もあるのではないかとも考えられるが、この記事を書いた記者は、報道の本分は時の権力者を悪く言うことと心得ているということか。

 

今回は自身の判断の誤りから、月刊誌の連載・記事に関して四の五の書いたが、備忘録なので、ご容赦願いたい。機嫌が悪いわけではない。

 

 

雑誌の記事やメール本文中に本ブログ標題のように書く方がおられる。先のブログで話題にした「お疲れ様」同様、私には共有できないというか、違和感がある。他人が読む前提で書いている文章なら、書いている内容に共感してもらえたら嬉しいとは思うものの、そうでない場合も当然あるだろうから、独りよがりと思われるのが嫌なのかもしれない。これはあくまでも私の感じ方なので、普段使われている方がおられたら気を悪くしないで欲しい。

ここまで書いて思い至ったことが、以前も話題にしたことがあった常識についてだ。大学教員時代に私の研究室所属の学生と話をしていたらどうも話が通じないことがあった。不定期のセミナーを開催するのは研究室の方針で、日程は私の都合のみで決めてよいことになっていたが、念のため、候補日を複数挙げて学生の予定を聴いたところ、バイトの予定と重なるのでダメだと言う学生が複数いたのだ。このセミナーが必須であることや日程調整については、事前に私の研究室に所属する条件として明確に伝えて上での会話だった。「学業優先で考えるのは常識ではないか」といったところ、その学生は「先生と自分では常識が違います」と言う。私は「ならば常識を英語で言うとなんて言うかわかりますか」と尋ねたところ沈黙していたので、以下のように続けた。「common senseというのです。英語にしたらわかりやすい。人によって違うのは、common senseとは言えないよね。常識ではなく、考え方が違う、ということではないの。」

私としては、事前にあれほど言っていたにもかかわらず、バイトを理由に日程調整ができないのでは議論のしようがないではないか。バイトをせねばならない事情は自分の学生時代もそうであったからわかるつもりだが、学業と予定が重なったら、迷うことなく学業を選ぶという「常識」がその学生にはなかったのだ。この時は、最初からこれではやっていけないのではないかと思い、研究室を出て行ってもらうことも少しだけ頭をよぎったが、そこはぐっと堪えた。結局、私が歩み寄り、週末土曜日午後にそのセミナーはやることになった。週末くらい休みたかったが、働く勤勉なおじさんになったのだ(とほほ・・・)。もっとも、学生たちはこの時、物事を正しく理解したようで、その後の日程調整はスムーズに運んだ。後日、問題となった学生2名を含め4名の学生を半月ほどの海外調査にも公費で同行させることができた。

少し話が逸れたかもしれない。人それぞれとはいえ、共有できるものがあるから、社会は成立しているということを言いたかったのだが、冒頭書いた(笑)は、私にはどうにも共有できない感覚があるのですね。

ところで、二つ前のブログにコメントをいただいていた。遅くなりましたがこの場で返信すると、まず、ブログタイトルとして違和感があると書いた「お疲れ様です」という言葉をそのままコメント冒頭で返され、その意図をはかりかねた。その方は晩酌を毎日やる一方で、動画視聴、読書はシラフの時が良いとのご意見のようだが、ジャンルによるかもしれないにしても、私はアルコールが入っている方が断然良かったりするから、返答に窮した。毎日の晩酌をやめたのは止むに止まれぬ事情があったからで、できることならそうしたくなかったのが本音なのだ

先の土曜日のラウンドだが、スタートが午前7時半だったので、少し余裕を見て、午前5時に自宅を出るはずだったのが、目覚めて時計を見たら午前5時6分だった。髭剃り、朝食、トイレなどを全て飛ばして機械式のマンション駐車場から車を出して出発したのが、16分後の午前5時22分だった。幸いにも途中でトイレにいきたくなることはなくゴルフ場に着いたのが午前7時だったが、通常なら1時間半もかからないのに、こんな日に限って道が少し混んでいた。ゴルフ場に到着してから服薬を忘れていたことに気づいたが、これは帰宅してから飲むしかないと諦めた。プレーの方は、スタート直後から雨が降ったり止んだり、途中、土砂降りになったりして散々な天気の中、スコアも50、45の95だった。元に戻したばかりのアイアンセットが変わらず不調で、ボギーオンもままならない中、アプローチとパターで凌いだラウンドだった(寄せワンのパーとボギーがそれぞれが三つと6つ)。良いところ、悪いところが日替わりなのが、私のゴルフプレーの特徴かもしれない。普段、全く練習しないので、むしろ当然か。そのうち、全てがかみ合ってくれる日が来ることを願うのみだ。

最後に、今回の標題を思いついて忘れないようにするために少し書き始めて保存したつもりが、間違えて投稿してしまった。急ぎ、操作をやり直したが、どうも1名の方がそのわずかな時間にすでに見てしまわれたようでした。お騒がせいいたしました。

昨晩、カラオケに行ってしまった。5月下旬の千葉での国際学会の折に行って以来だったから三ヶ月ぶりとなる。三ヶ月前は、来日する米国人3名を日本人4名が迎え撃つ構図だったが、米国人はカラオケではシャイであまり歌おうとしないという私の先入観は見事に打ち砕かれ、日本人メンバーの完敗であった。米国人3名のうち2名は新旧の米国学会長(前職が白人女性、現職が黒人男性)、今一人はインド出身の女性研究者だったが、完全にパワーで負けてしまった。

昨晩は4人で、私以外の3名は2名が前勤務先の元部下の女性、1名が研究室の後輩で母校の教授Kだ。女性部下とはいまでもたまに連絡を取り合い、都合が合えば、飲みに行くような付き合いが続いている。後輩のKはここ10数年はやや疎遠だが、気心の知れた中で、昨晩も号令をかけたらすっ飛んできた。

5月下旬の日米カラオケ選手権での日本側の敗因は、我々が気を遣って普段あまり歌わない英語の歌ばかりを選曲したことであるのは、当日の段階ですぐに気づいた。私など、最初に選んだのがビートルズメドレーだったが、中学生時代にずっと聴いていた曲ばかりだったので、歌うことはできても魂を込めてまでとはいかず、曲と歌詞を合わせるのに集中せざるを得なかった。ちなみに、この時の日本側4名は私が最初に奉職した国立研の同期だったが、年齢幅が広くて、最年長者が昨年古希を迎えた方で、私が2番目、3番目は2年前に定年を迎えた女性研究者、一番若かった奴は、私の舎弟みたいな某大学の教授Yで彼も還暦を過ぎていた。このYは、オランダに1年留学経験があるが、外国語はからっきしで、彼のみ開き直って演歌、民謡を歌っており、最後にキャンディーズの年下の男の子を選曲し、私も無理やり一緒に歌わされてしまった。カラオケ経験は半世紀近いが、キャンディーズを前期高齢者になって歌う羽目になるとは思わなかった。といった具合で、日米カラオケ選手権では今ひとつ乗り切れなかったこともあり、昨晩は割と気合を入れて臨んのだ。

昨晩の場所は品川港南口駅前のカラオケチェーン店だった。室料、料理、飲み放題を入れて3時間で一人4800円のコースを選んだが、最初の生ビールが注文から到着まで15分もかかり、どうなることかと思ったが、その後のドリンクは迅速に出てきた。驚いたのは、カラオケ画面がプロジェクターだったことだ。ディスプレー以外でカラオケをやるのは、初めてのことだったが、まあ、慣れれば、それほど違和感はなかった。私はカラオケでは、女性演歌歌手の歌を歌うことが多いが(本人が得意と思っているのは、「天城越え」「別れの予感」など)、昨晩はそれを封印し、初めて歌う曲も2つ入れてみた。一つは、中島みゆきの「糸」。曲も歌詞も良いと思っていたが、自分で歌ってみると改めてそう思った。行く前に頭の中のシミュレーションで口ずさんでいたので、割とちゃんと歌えた思う。今一つは、QUEENの「Love of my life」。そうなのだ。実は、私は中学高校の頃はLPを買って毎日QUEENを聴くファンだったのだ。このグループはデビュー時は「馬のしょんべん桶」と言われていて、本国英国では今ひとつの評価だったのだが、遠く離れた日本で人気を博し、そして本国でも広く愛されるグループになったのだ。思えば、QUEENとほぼ同時代及び少し後になるが、ケイトブッシュ、ユーリーズミックスなど、英国は個性的な歌手・グループを輩出していたような気がする。他の選曲は、キロロの「未来へ」と小林明子の「恋に落ちて」などをソロで歌い、後輩とは「夏の終わりのハーモニー」と「あずさ2号」、「桜」(コブクロ)を久しぶりにデュエットした。4人での3時間一本勝負を十分に楽しんだのであった。昨晩のうちに女性陣から次もお願いします、とメールが来たが、楽しんでもらえたようで何よりであったし、私も次回が楽しみだ。

ところで、訪店時の受付でのこと。用紙を出されて、予約時に入力したのと同じ情報を再度、書けという。これって店側の都合だとは思うが、何とかならないものだろうか。用紙の文字があまりに小さ過ぎて、昨年暮に人生で初めて導入した老眼鏡の出番となっしまったのだ。生年月日、年齢を入力する欄があり、1959年8月6日、67歳と書いたら受付の女の子が「おじいちゃんと同じ歳だ」と言っていた。まあ、そんなところだ。

一昨日の日曜日のゴルフは、アイアンセットを元に戻したことが影響してか、ちゃんと当たらない、ウッドも同様になって散々だったのと、ラフに入ったボールが見つからずロストボールが2回もあったこともあり、スコアは途中で諦めた。そんな中でアプローチだけはうまくいき、チップイン1回、寄ワン4回だった。この週末の土曜日もプレー予定だが、とにかく、ちゃんとクラブヘッドでボールをとらえたいものだ。

 

 

私の感覚がおかしいのかも知れないが、社内メールの冒頭に書かれるこの言葉に違和感がある。日頃の労をねぎらう気持ちの表れとしても、常時、メールの挨拶文に書くものなのだろうか。

ビジネスメールということで考えると、社外宛の場合、今の季節なら私が書くとしたらまずは「残暑お見舞い申し上げます」となるだろう。その後に続く言葉は、相手との関係によるが、さらに簡単な時候の挨拶か、あるいは、基本、「いつもお世話になっております」的なものとなるだろう。実際、受発注の関係に関わらず、お世話になっているのは明らかだからだ。本題・用件に入るのはこの後だ。

社内宛となると、冒頭記した「お疲れ様です」となるのはいつに始まったことなのだろう。現在の勤務先は、全国に支社があるので、普段、顔を合わせない社員や連絡を取らない社員の場合には、やはり今なら「残暑お見舞い申し上げます」と書いてから、多分、用件に入るだろう。メール送信先が勤務先である本社内で、通常、コンタクトのある社員の場合は、上長、同僚に関わらず、冒頭から用件に入るのを私は基本とする。もっとも、最近、外勤先で一緒だったとか、飲み会で一緒だったとか、あるいは、こちらで何か依頼した後とかの状況次第では、「先日はお疲れ様でした」、「先日はご一緒できて楽しかった」、「先日はありがとうございました」と書いてから用件に入るだろう。しかしながら、どんな場合でも「お疲れ様です」とは書かないなあ。これはあくまでもメールでのことですが、私の感覚の問題かな。

感覚ということで、例示がかけ離れているかも知れないが、32年前の大学教員時代、私の研究室に所属した学部3年の女子学生が、当時流行っていたルーズソックスを履くことができない、と嘆いていたのを思い出した。どうも彼女らの1、2年後輩からのファッションらしいのだが、興味はあるが恥ずかしくて履けないということらしかった。彼女らによると、ルーズソックスを履くには真冬でも生足でないとダメという厳格なルールがあるそうで、寒さに耐えて体を張っているということで、後輩に対して畏敬の念さえ持っているような感じだった。

 

先週は北茨城の温泉宿泊施設付ゴルフ場で温泉、サウナ三昧で湯治に専念した。いつもなら長距離散歩に出るところだが、今回は完璧に体のケアに徹するべく自重した。もっとも、ゴルフの練習は滞在中、根詰めてやるつもりだったが、二日目にクニャクニャシャフトのドライバーとアイアン、そして正規シャフトのクラブを併用しながら7カゴ打ったのが良くなかったのか、翌日、左肘が痛くなってしまった。結構な肘痛だったので、たまらずロキソニンを飲んだら一晩で治ったが、再発したら元も子もないので、以後はハーフショット、アプローチ練習を主とした。成果の程は23日(日曜日)の茨城県南のホームコースでのプレーに期待したいが、思うところあり、アイアンを3年ほど前にセミオーダーで作った地クラブメーカーのマッスルバックのセットに久しぶりに戻すことにしたので、使用再開直後のラウンドは色々とあるかも知れない。このアイアンは、一見すると薄っぺらいヘッドの難易度の高そうなものだが、案外、打球は上がってくれる。だが、少しでも芯を外すと飛距離は格段に落ち、方向性も極端に悪くなり、何よりもヒットした際の手への振動が酷いので、必然、スイングも慎重になってしまうシロモノだ。このアイアンでスイートスポットに当てる実戦練習をしようという計画だ。

 

昨日からいつもの時間が再開した。出社時刻は午前6時半過ぎで、退社は定時の午後5時半、帰宅は午後6時半で就寝は午後9時半過ぎといった生活パターンだ。ただし明日は飲み会なので、少しばかりこのパターンが崩れるが、遅く寝ても年齢のせいか起床は午前4時台となってしまうので、それほど変わらない。明日の飲み会は鰯料理の店に行くことになっている。イワシというと季節柄多少心配だが、プロの腕前を見せてもらおう。刺身はあるのかなあ。あっても酢漬けだろうか。もちろん、生ビールから始まり、あとは日本酒だ。昨年から毎日の晩酌をやめているので、なんだか考えるだけで楽しくなってきた。

 

ところで、晩酌をやめてからの毎晩の楽しみは、ビデオ鑑賞だ。見たい番組を録画して楽しんでいる。現在は、夕食中にまず見るのは、朝ドラの「風、薫る」だ。視聴率は芳しくないようだが、私は楽しく見ている。夕食後に見るのが、韓流、華流時代劇で、今は「恋人」と「武則天」で、最近、「扶瑤」も見ている。思えば、「イ・サン」で韓流時代劇に目覚め、以後、「トンイ」「オクニョ」、「ホ・ジュン」等々、これまで何度も見てきた。そのうち、機会があれば、別のものにハマるのだろうか。