8月31日、「地球のゆかりん」さんと上映会を共同主催させて頂くことになりました。映画のタイトルは「レターパック裁判」です。

 

日時:8月31日13時30分開場(1時間30分)

場所:波止場会館

開催詳細

 

 

会場となる波止場会館は、横浜市中区海岸通りとなります。横浜港大さん橋付近、近隣には山下公園やみなとみらいがあります。

 

 

【あらすじ】

子どもたちの命と日本の未来を守るために、コロナ問題解決に取り組む全国45都道府県の有志達「市民訴訟JAPAN」と、その活動を見守る一人の政治家が挑む利権と法律の壁。

 

事実を基に繰り広げられる裁判所や議会場での攻防が、日本の政治と医療の腐敗を詳らかに暴いてゆく。

 

【映画制作の想い】

猖獗を極める「新型コロナウイルス感染症」。未だその【存在証明】 すらないウイルスによる悲劇は、感染症や免疫学の世界的権威である医学博士の学術的な論文等を以ってしても一考に解決に至らない。

 

人類初のmRNAワクチンの狂暴を止めるにはもはや法律的解決しかないのだろうか・・

 

この映画は、史上最大の薬害を引き起こした「新型コロナウイルス感染症」。その渦中において、 わが身を顧みずにただただ誰かの為に、一人でも多くの国民を救おうと奔走する地方議員と市民活動家たちの闘いの記録映画です。

 

10年後、20年後...70年後かもしれない、コロナ問題の解決の機会が訪れた時、この映画を辿って真実を明らかにして欲しいと願う「市民訴訟JAPAN」が、未来へ託す物語です。

 

 ただ、ただ、誰かの為に闘った人への感謝と賛美を込めて...。

 

法廷争いを覚悟する

特別なことがなければ、多くの人々は、裁判や法廷争いとは無縁の日常を過ごされていることでしょう。

 

数年前の騒動の渦中で、マスク着用が求められた時、私は身体的理由で、これを拒否した経緯がありました。

 

私自身も、自分の身体の安全を確保するという目的があったため、話せば分かるだろうという人間的な良心を信じていましたが、それが全く通用しないと悟ったとき、私は初めて法律という名の武器を手に取る覚悟を決めました。

 

ただ一つ、気を付けなければならないのは、司法とは、実害が発生しない限り動かないという事です。

 

騒動の最中、勤務先が閉鎖になり、次の案件の交渉中にマスク着用を求められて、そこで、争いになりました。相手側の譲歩があり、僅かながらの金銭的謝礼が支払われて、交渉は終了となりました。

 

掟を守るという価値観で固められた社会では、「謝罪」は最強の交渉ツールです。その交渉で、私は何の実害も被っておらず、結果的には、マスク着用を撤回することは出来ませんでした。

 

憲法は国民の行動を縛れない

私は、その時、憲法十三条の条文を盾に抵抗を試みました。第十三条とは、国民の人権を規定したもので、「すべて国民は、個人として尊重される。 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」となっています。

 

しかし、憲法とは、権力者の行き過ぎた行為を縛るためのもので、民間の行動を制限するものではありません。しかも、今回の件では、マスク着用を要求した組織側からの謝罪と金銭的謝礼があり、それが人権に対する配慮と見なされて、私は身を引かざるを得ませんでした。

 

もちろん、私の体験は、映画「レターパック裁判」の趣旨とは異なるもので、比較対象にもなりませんが、司法や憲法のことなどは、実際に関わらない限り知る由もないことで、この体験を通して多くを学んだのも事実です。

 

あの出来事は何だったのか

「新型コロナウイルス感染症」とは何だったのかという問いに対して、正確に答えられる人は皆無に等しいところでしょう。私自身は、各方面からの情報収集により、一定レベルの個人的解釈は持っていますが、それを語るには、現代文明が明らかにしていない分野に踏み込む必要があり、状況からの判断では時期尚早であると考えています。

 

その意味では、起きた出来事を取り上げて、そこに関わった人々の行動と想いに心を寄せて頂き、個人の潜在意識は何を感じ取るのか、霊性はどのように動くのか、そのように働きかけてゆくことが涵養であると思う次第です。

 

どうぞ、ご都合のよろしい方々、横浜の波止場会館にお集まりください。

 

日時:8月31日13時30分開場(1時間30分)

場所:波止場会館(横浜市中区海岸通り)

開催詳細