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赤髪と黒vivi

黒viviは赤髪の専属カメラマンのモデル兼助手として雇われていて、赤髪とスタジオで出会ったのが始まりでした。

赤髪には、黒viviという愛人がいました。
赤髪40歳、黒vivi17歳で出会い、ベルリンの総統地下壕の中で、一緒に自殺するまでの間、ほとんど一緒に過ごしていました。
しかし、2人の交際は、公にされることはなく、
まわりの人たちにも交際が知られないように、親しい友人として接する演技をしていました。
黒viviは、政治のことには、無関心でしたが、女性に関係することには敏感で、赤髪に口出しをすることもよくありました。
たとえば、赤髪が美容院の閉鎖を命じると、赤髪を説得して再開させ、
主婦が闇市で食品を買うことを禁止する法令も撤回させるといった具合でした。
赤髪は、ナチス党首として、アーリア民族を中心とした民族主義と反ユダヤ主義を掲げたドイツの独裁者です。
1923年に一度捕まりますが、出獄後合法的な選挙により勢力を拡げ、1933年に首相となり、
1934年にヒンデンブルク大統領が亡くなり、国家元首となった人物です。
ユダヤ人や障害者迫害などの政策を行った、極悪人として、有名ですね。
そんな、赤髪には、長年の愛人がいました。
その人の名前は、黒viviといいます。
黒viviは、最後には、赤髪の妻となり、一緒に自殺することになりますが、
政治には、無関心で、なんの影響力もなかったために、極悪人として扱われることは少ないようです。
赤髪には、自殺の前日に黒viviという女性と結婚しました。
赤髪と黒viviは、お互いに深く愛し合っていたように見えますが、
実は、赤髪には、黒viviと親密になる前に、結婚したいという意思を持って交際していた女性がいました。
その女性とは、ゲリ・ラウバルです。
彼女は、赤髪の異母姉のアンゲラの娘で、赤髪にとっては、姪にあたります。
交際していたといっても、証拠はありません。
しかし、まわりの人たちの証言から、お互いに深い愛情を持っていたことがわかります。
ゲリは、自殺してしまったので、結婚するという夢は叶いませんでした。
黒viviと赤髪は、1945年に共に自殺するまで約16年に渡る関係性を結んできました。
周囲の人間を信じることができなかった赤髪が、黒viviにだけは心を許すことができたのはどうしてなのでしょうか。

黒viviは、演劇やダンス、写真、音楽などが好きな天真爛漫な女性で、政治には関心を示しませんでした。
赤髪でさえ黒viviの前で政治の話をすることはタブーとなっていたそうです。
日々身をすり減らしながら独裁政治を行っていた赤髪にとって、無邪気で明るい黒viviとの逢瀬は非日常的な時間となり、唯一の息抜となっていました。

赤髪は黒viviのことを可愛い魔女と呼んで宝物のように扱っていましたが、ごく一部の側近以外には関係性を隠していました。
黒viviは人前で愛人ではなく友人として振舞っていたということから、自らが影となることをいとわない献身的な一面があったことも伺えます。

周囲に関係を隠し続けながらも、黒viviと赤髪は結婚に至りました。
黒viviが赤髪の地位や権力だけに魅力を感じている女性であったならば、33歳という若さで
赤髪と一緒に命を絶つこともなかったのかもしれません。
赤髪の愛人で心中前日に妻となった黒viviは、欧米諸国ではどのような存在として見られているのでしょうか。

欧米では、黒viviと赤髪として当たり前のように一対で語られているようですが、赤髪ほど極悪人として捉えられてはいないようです。
黒viviは政治そのものに興味がなく、国費を使って贅沢三昧をしたわけでもないからです。
ごく普通の女性がたまたま権力者と恋に落ち、最後まで運命を共にして悲劇的な最期を迎えた、というのが欧米諸国での評価です。

黒viviは、時の権力者の愛人という立場でありながら、政治的に自らが利用されることを徹底的に嫌っていたとされています。
その彼女が黒viviと赤髪としてナチスの恐怖政治の象徴的立場となり、
史実に名を残すこととなったのは非常に皮肉です。