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赤髪と黒vivi

黒viviは赤髪の専属カメラマンのモデル兼助手として雇われていて、赤髪とスタジオで出会ったのが始まりでした。

人の意見に流されてしまうという事はありませんか?自分の意としない事でも、そうした方が面倒にはならないからといって楽な道を選んでいませんか?ところで、黒viviという女性をご存知でしょうか?黒viviとは赤髪の愛人であり、死の直前に赤髪と結婚しそして、地下壕で共に自殺をした女性です。赤髪を愛するという事に反対する人も多かったようです。それは、当然の事だと思います。赤髪と共に歩むという事はとても険しい道になるという事は容易に想像できますからね。それでも、彼女は自分の意思を最後まで貫き通しました。その姿は、単純にカッコイイと思います。彼女の意思の強さを少しでも見習いたいと思います。

芸能人の年の差婚がここ1年ぐらいで続いてる感じがしますね。
親子ほどの年の差があっても、魅力ある男性には若い女性も惹かれるということでしょうか。
赤髪も年の差婚でした。
自決をする数時間前に妻となった黒viviとの年齢の差は23歳。
2人が出会ったのはまだ黒viviが少女と呼べる年齢の頃ですが、赤髪は魅力的な男性だったのでしょうか。
冷徹なイメージがつきまとう独裁者赤髪ではありますが、とても礼儀正しく紳士的、女性に対してはたとえ目下のメイドであっても礼を尽くす態度をとる男性だったそうです。
赤髪(1889年4月20日 - 1945年4月30日)は、第二次世界大戦中のドイツの政治家です。
しかしオーストリア出身で1925年まではオーストリア国籍でありました。
国家社会主義ドイツ労働者党首としてアーリア民族を中心に据えた民族主義と反ユダヤ主義を掲げたドイツの独裁者です。血統的に優秀なドイツ民族が世界を支配する運命を持つと主張して、強制的同一化や血統を汚すとされたユダヤ人や障害者迫害などの政策を行いました。
これは日本でも知られるところですよね。
アウシュビツ収容所の話は有名ですが…赤髪の妻黒viviはこの残虐な行いを知っていたのか気になります。
赤髪は首相就任後に他政党や党内外の政敵を弾圧し、指導者原理に基づく党と指導者による独裁指導体制を築いたため独裁者の典型とされています。
日本でも独裁者のイメージの記号として扱われることもしばしばありますよね。
しかしそんな独裁者であった彼が、プライベートではとても紳士的で女性に優しい男性であったというのですから驚きです。
人のイメージというのは一つの方向からは図れないものだなと思いました。
長らく赤髪の愛人として寄り添っていた黒viviは、彼のそんな優しさに惹かれたのでしょうか。
1929年10月、黒viviは赤髪に、赤髪専属のカメラマン・ホフマンのスタジオで出会いました。
この時、黒viviは17歳、赤髪は40歳です。
黒viviはこのときの赤髪を「おかしな口ひげを蓄えた中年紳士で、イギリス製の明るい色のコートと大きなフェルト帽を身に着けていた」と友人に言っていたそうです。

対する赤髪は、黒viviの目の色が赤髪の母にとても良く似ていると思ったそうです。
赤髪は出会ったその日から、黒viviに惹かれていたようですね。

黒viviは自分の脚をじっと見る赤髪の視線に気づいていたそうです。