前回の「食料安全保障マニュアル」の続きです。
「石油がなければこんなの無駄だ」について、反論、というか、Twitterなどで専門家と論議するほどの知恵もない私には書いてある本に偶然巡り会うぐらいしか方法がないのですが(これを見ればちょっとは追いつけるか? )、
という本ではこのような文がありました。私の勉強不足のせいで、こういうことに言及している本は他に見つかっていませんのでここから考えてみます。
「農業の生産要素のうち、除草剤や農業機械は労働で、化学肥料は堆肥で代替できます。農業機械を動かすのに必要な石油の輸入ができなくなれば農業生産が行われなくなるという主張が時々行われますが、このような議論は生産要素間の代替性を考慮しない議論です。農薬、化学肥料、農業機械がなくても戦前まで農業は営めたのです。戦前では農薬や機械はほとんどなく、化学肥料も普及したのは第一次世界大戦後でした。また、我が国の石油類の消費のうち農林水産業・食品製造業の占める割合はわずか6%にすぎず、輸入が相当期間途絶しても石油備蓄(現在の全消費の170日相当)を食料生産に優先的に割り当てることで相当期間食料生産は維持できます」
石油は供給の統制で可能だということです。この場合、考えなくてはいけないのは、「機械は労働に替えられる」という部分でしょうか。
今の農業労働者が機械なし、薬なしで今と同じ生産力が維持できるかどうかです。
ただでさえ高齢化が問題となっている農業は、今ある機械がなければ成り立たないでしょう。そして、兼業農家の多い日本では、余力でしか農業生産に参加できなかった農家が戦前と同じ水準で出来る実力があると言えるのでしょうか。
肥料のことについては、同じように「食料危機」について考えていたページに書いてありました。
新たな日本の食糧危機では、都市で生まれる「餓鬼」で社会崩壊?-JanJanニュース
「肥料の不足がどのような事態を招くのか、戦前の状況が参考になる。日中戦争開始後、リンとカリウムの肥料が急速に手に入らなくなり、戦争末期にはほぼゼロになっている。1937年にそれぞれ45kg/10a、28kg/10aだったのが、1945年には2.1kg/10a、1.2kg/10aに減少した。窒素肥料も1943年以降には急速に手に入らなくなってしまった。肥料配給統制令(1939年)以後は肥料が手に入りにくくなり、屎尿などの確保に追われ、市街地の集合住宅や学校を回ってくみ取りをし、そのうちに肥料商人と対立したりなど、大変な状況になった」
これの解決法が「都市の人と仲良くしておくこと」だというのは笑ってしまいますが、まあこのように、生産性が40年で6倍ほどになった日本の農産物生産が戦前の水準に戻ることを考えると、にっちもさっちもいかない感じはしますね。
そして、(もし代替をしなくても)食品関係は6%であり備蓄もかなりある、というところに関しては、それ以外にも問題はあります。
まず、「輸入途絶の事態」しか想定していないこと。
この文は明らかに戦争や関係悪化による輸入途絶について書かれていますが、実際に「石油が枯渇」する事態は想定していないでしょう。「備蓄でなんとか大丈夫」と言っているのですから。(まあ50年は大丈夫でしょうから今それを想定していなくてもいいのかもしれませんが)
次に、実際にそういう事態になったとき、その食品を日本全国に住む人たちに移送できるかということ。車はガソリンを使いますから、その分も確保されなければなりません。
そして、そのような燃料統制を行っている場合に都市圏にいる一般市民は「何をしている」ことになっているのか。
日本人の大多数は燃料を使った仕事をしているはずです。都市圏でも移動には電車を使いますし、運送業などはそれこそ無ければ死活問題です。
パソコンを使うには電力が必要ですし、発電も火力発電は70%を占めているらしいので、感覚的にざっくりと発電量を5割程度になると考えると、一日の内12時間は供給されなくなる事態になると思われます。
こういう状態で、できる仕事というのは残っているのだろうか、と考えるとどうも想像できません。
他にも、色々と考えなければならない事項はあると思います。
「供給統制・日本の独裁化」「日本の孤立・戦争・軍事関係への供給優先」とか、「市民の暴徒化」「略奪」
特に、「官僚や力を持つ者によるコメ収奪」とかはどうでしょうか。
「一人当たり2000キロカロリーをかろうじて用意できる水準」これには重大な問題があります。
普通、100人の人間を食べさせることを考えたとき、100人分の食料を配っても絶対に食えない人がでてくることです。
それは、「役人の関係者への横流し」や「暴力による略奪」、統制をしていても闇市場は多分形成されるでしょうから、「市場での価格高騰」も含まれます。
それに加えて、このマニュアルは「自給率が低い品目」という前提がなければ成り立ちません。
93年の米不作の時は、収穫量が平年に比べて20%以上減りました。
まさにこのマニュアルの「レベル1」に該当するケースですが、できたことといえば需要分の緊急輸入くらいです。
つまり、国内でほぼ自給している米のようなものでは、国際マーケットに乱入して買い付けるぐらいしか対処ができないです。
それに、食料はその年に不作であっても、次の年に豊作になるような事態はよく見られます。
その場合、「不作だ!」と騒いで増産しようとしても、その効果がでる来年にはもう解決して、逆に余りすぎてしまうような事態も起こり得ます。
最近、天候不順で野菜の価格が高いというニュースがよく出ていましたが、その後ゴールデンウィーク明けには晴れ続きで一部半額も、ということになりました(大部分は未だ問題があります)。
こんなに短い期間で流通量が変化するような品目の場合、政府に対応できることはほとんどないでしょう。
プラス、今の対応は「前倒し出荷のお願い」と「規格外品の出荷」ぐらい。「モッタイナイ概念」から言えば、良い面もあるでしょうが、根本的な解決にはなりません。
供給阻害の要因が何かによって、対応も違ってくるはずです。
国内の冷夏などが影響したのであれば、増産は期待できませんし、輸出国の港湾ストなどで偶発的にストップしたのであれば、短期間で終わるでしょうからそれに対しては備蓄の取り崩しで間に合う可能性もあります。
しかし輸出国の不作で止まった場合は、一年ないし数年ストップする事態を想定すれば、普段から備蓄を貯めて対策することは焼け石に水です。
食品への有害物質の混入などで輸入をストップした場合、(供給をストップしているのはこの場合日本政府なのですが)対策はできないと考えてよいでしょう(BSEの時、牛丼チェーンなどは代替肉をどうするかで困りましたが、それに対して政府が何かしたようには聞いていません、誰か知っていたら教えてください)。
また、オイルショックの時同様、コメ不足の事例でも買いだめなどが発生しなければ、混乱はそれほど起きなかったともされています。
ですから流通の「統制」がうまくいくならこのマニュアルも機能する可能性はありますが、問題だらけで現実的ではないとするのが妥当だと思います。
逆を言えば「今自給率が無くとも、その品目の自給率が上がれば危機時に国内提供できるようになる」というのはあるでしょう。
日本は全体的に自給率が低いので、危機感を感じることもあるかもしれません。
でも、肉や油はどうなのでしょうか。
もうすでに新しい基本計画が出ているので少しずれるかもしれないですが、2005年の「食料・農業・農村基本計画」の策定に関わった東京大学の生源寺氏は、こう述べています。
「飼料穀物に関しては、生産性の差があり過ぎてこれを外国に依存することはやむを得ない面があるが、しかし粗飼料の自給率は100%にしようということ」
2005年からそれほど変化が起きていないので目標倒れになっていることはあるのですが、この一文で注目したいのは、「外国に依存することはやむを得ない」ということです。
仮に完全自給を達成するには、とうもろこし、大豆、小麦で日本の国土の15%が必要になると成毛氏は書いています (ちなみに、面積だけで計算しているので、これは間違いのはずです。日本は日照時間や品種改良の差で小麦や大豆等の生産性が低いので、実際にはもっと多くの面積が必要になるはずです)。
「肉を完全自給すること」はほとんどができないと考えているのではないでしょうか。
油も同じです。現在のカロリーベース自給率では天ぷらやカツ、唐揚げなどに使われる油も計算に入ります。
全て使われたあとは人間の体に入ることなく捨てられるのに、です。
こんなこと、食料危機の時代に想定に入れることは間違いだと誰でもわかるでしょう。
ならば「食料危機」に臨むにあたって、肉や油の自給率を計算にいれるのは間違いであるといってもよいのではないかと。
また、それを言うならば自給率が60%くらいになれば、一人当たり2000キロカロリーを今より用意できる、ということなのかもしれません。
しかしまたそれは「特定品目」の供給不足の事態とは関係がありません。BSE事件が自給率が上がってから起こったとしても、今より良かったことは特にないと思います。(元々高い国産牛はアメリカ牛の代用にはならないのではないかと)
飼料自給率が上がったとしても、今の口蹄疫問題には特に関係がなさそうですし・・・。
つまり、輸入危機と一部の供給不足とを「レベルの差」とすることが矛盾していることだと言えませんでしょうか。
これに対する解法は二つでしょうか。
ちゃんとした「食料危機」対応を考え、エネルギーや種子、ほかの経済を視野に入れたマニュアルを作りなおす。(起こらないでしょうがね)
もしくは、非生産的な想定を作ることをやめ、自給率向上が達成できる現実的な手段を考える。
上からものを言っているようですが、どうもこんな想定作ってたってしょうがないと思うんですよね。
「石油がなければこんなの無駄だ」について、反論、というか、Twitterなどで専門家と論議するほどの知恵もない私には書いてある本に偶然巡り会うぐらいしか方法がないのですが(これを見ればちょっとは追いつけるか? )、
という本ではこのような文がありました。私の勉強不足のせいで、こういうことに言及している本は他に見つかっていませんのでここから考えてみます。
「農業の生産要素のうち、除草剤や農業機械は労働で、化学肥料は堆肥で代替できます。農業機械を動かすのに必要な石油の輸入ができなくなれば農業生産が行われなくなるという主張が時々行われますが、このような議論は生産要素間の代替性を考慮しない議論です。農薬、化学肥料、農業機械がなくても戦前まで農業は営めたのです。戦前では農薬や機械はほとんどなく、化学肥料も普及したのは第一次世界大戦後でした。また、我が国の石油類の消費のうち農林水産業・食品製造業の占める割合はわずか6%にすぎず、輸入が相当期間途絶しても石油備蓄(現在の全消費の170日相当)を食料生産に優先的に割り当てることで相当期間食料生産は維持できます」
石油は供給の統制で可能だということです。この場合、考えなくてはいけないのは、「機械は労働に替えられる」という部分でしょうか。
今の農業労働者が機械なし、薬なしで今と同じ生産力が維持できるかどうかです。
ただでさえ高齢化が問題となっている農業は、今ある機械がなければ成り立たないでしょう。そして、兼業農家の多い日本では、余力でしか農業生産に参加できなかった農家が戦前と同じ水準で出来る実力があると言えるのでしょうか。
肥料のことについては、同じように「食料危機」について考えていたページに書いてありました。
新たな日本の食糧危機では、都市で生まれる「餓鬼」で社会崩壊?-JanJanニュース
「肥料の不足がどのような事態を招くのか、戦前の状況が参考になる。日中戦争開始後、リンとカリウムの肥料が急速に手に入らなくなり、戦争末期にはほぼゼロになっている。1937年にそれぞれ45kg/10a、28kg/10aだったのが、1945年には2.1kg/10a、1.2kg/10aに減少した。窒素肥料も1943年以降には急速に手に入らなくなってしまった。肥料配給統制令(1939年)以後は肥料が手に入りにくくなり、屎尿などの確保に追われ、市街地の集合住宅や学校を回ってくみ取りをし、そのうちに肥料商人と対立したりなど、大変な状況になった」
これの解決法が「都市の人と仲良くしておくこと」だというのは笑ってしまいますが、まあこのように、生産性が40年で6倍ほどになった日本の農産物生産が戦前の水準に戻ることを考えると、にっちもさっちもいかない感じはしますね。
そして、(もし代替をしなくても)食品関係は6%であり備蓄もかなりある、というところに関しては、それ以外にも問題はあります。
まず、「輸入途絶の事態」しか想定していないこと。
この文は明らかに戦争や関係悪化による輸入途絶について書かれていますが、実際に「石油が枯渇」する事態は想定していないでしょう。「備蓄でなんとか大丈夫」と言っているのですから。(まあ50年は大丈夫でしょうから今それを想定していなくてもいいのかもしれませんが)
次に、実際にそういう事態になったとき、その食品を日本全国に住む人たちに移送できるかということ。車はガソリンを使いますから、その分も確保されなければなりません。
そして、そのような燃料統制を行っている場合に都市圏にいる一般市民は「何をしている」ことになっているのか。
日本人の大多数は燃料を使った仕事をしているはずです。都市圏でも移動には電車を使いますし、運送業などはそれこそ無ければ死活問題です。
パソコンを使うには電力が必要ですし、発電も火力発電は70%を占めているらしいので、感覚的にざっくりと発電量を5割程度になると考えると、一日の内12時間は供給されなくなる事態になると思われます。
こういう状態で、できる仕事というのは残っているのだろうか、と考えるとどうも想像できません。
他にも、色々と考えなければならない事項はあると思います。
「供給統制・日本の独裁化」「日本の孤立・戦争・軍事関係への供給優先」とか、「市民の暴徒化」「略奪」
特に、「官僚や力を持つ者によるコメ収奪」とかはどうでしょうか。
「一人当たり2000キロカロリーをかろうじて用意できる水準」これには重大な問題があります。
普通、100人の人間を食べさせることを考えたとき、100人分の食料を配っても絶対に食えない人がでてくることです。
それは、「役人の関係者への横流し」や「暴力による略奪」、統制をしていても闇市場は多分形成されるでしょうから、「市場での価格高騰」も含まれます。
それに加えて、このマニュアルは「自給率が低い品目」という前提がなければ成り立ちません。
93年の米不作の時は、収穫量が平年に比べて20%以上減りました。
まさにこのマニュアルの「レベル1」に該当するケースですが、できたことといえば需要分の緊急輸入くらいです。
つまり、国内でほぼ自給している米のようなものでは、国際マーケットに乱入して買い付けるぐらいしか対処ができないです。
それに、食料はその年に不作であっても、次の年に豊作になるような事態はよく見られます。
その場合、「不作だ!」と騒いで増産しようとしても、その効果がでる来年にはもう解決して、逆に余りすぎてしまうような事態も起こり得ます。
最近、天候不順で野菜の価格が高いというニュースがよく出ていましたが、その後ゴールデンウィーク明けには晴れ続きで一部半額も、ということになりました(大部分は未だ問題があります)。
こんなに短い期間で流通量が変化するような品目の場合、政府に対応できることはほとんどないでしょう。
プラス、今の対応は「前倒し出荷のお願い」と「規格外品の出荷」ぐらい。「モッタイナイ概念」から言えば、良い面もあるでしょうが、根本的な解決にはなりません。
供給阻害の要因が何かによって、対応も違ってくるはずです。
国内の冷夏などが影響したのであれば、増産は期待できませんし、輸出国の港湾ストなどで偶発的にストップしたのであれば、短期間で終わるでしょうからそれに対しては備蓄の取り崩しで間に合う可能性もあります。
しかし輸出国の不作で止まった場合は、一年ないし数年ストップする事態を想定すれば、普段から備蓄を貯めて対策することは焼け石に水です。
食品への有害物質の混入などで輸入をストップした場合、(供給をストップしているのはこの場合日本政府なのですが)対策はできないと考えてよいでしょう(BSEの時、牛丼チェーンなどは代替肉をどうするかで困りましたが、それに対して政府が何かしたようには聞いていません、誰か知っていたら教えてください)。
また、オイルショックの時同様、コメ不足の事例でも買いだめなどが発生しなければ、混乱はそれほど起きなかったともされています。
ですから流通の「統制」がうまくいくならこのマニュアルも機能する可能性はありますが、問題だらけで現実的ではないとするのが妥当だと思います。
逆を言えば「今自給率が無くとも、その品目の自給率が上がれば危機時に国内提供できるようになる」というのはあるでしょう。
日本は全体的に自給率が低いので、危機感を感じることもあるかもしれません。
でも、肉や油はどうなのでしょうか。
もうすでに新しい基本計画が出ているので少しずれるかもしれないですが、2005年の「食料・農業・農村基本計画」の策定に関わった東京大学の生源寺氏は、こう述べています。
「飼料穀物に関しては、生産性の差があり過ぎてこれを外国に依存することはやむを得ない面があるが、しかし粗飼料の自給率は100%にしようということ」
2005年からそれほど変化が起きていないので目標倒れになっていることはあるのですが、この一文で注目したいのは、「外国に依存することはやむを得ない」ということです。
仮に完全自給を達成するには、とうもろこし、大豆、小麦で日本の国土の15%が必要になると成毛氏は書いています (ちなみに、面積だけで計算しているので、これは間違いのはずです。日本は日照時間や品種改良の差で小麦や大豆等の生産性が低いので、実際にはもっと多くの面積が必要になるはずです)。
「肉を完全自給すること」はほとんどができないと考えているのではないでしょうか。
油も同じです。現在のカロリーベース自給率では天ぷらやカツ、唐揚げなどに使われる油も計算に入ります。
全て使われたあとは人間の体に入ることなく捨てられるのに、です。
こんなこと、食料危機の時代に想定に入れることは間違いだと誰でもわかるでしょう。
ならば「食料危機」に臨むにあたって、肉や油の自給率を計算にいれるのは間違いであるといってもよいのではないかと。
また、それを言うならば自給率が60%くらいになれば、一人当たり2000キロカロリーを今より用意できる、ということなのかもしれません。
しかしまたそれは「特定品目」の供給不足の事態とは関係がありません。BSE事件が自給率が上がってから起こったとしても、今より良かったことは特にないと思います。(元々高い国産牛はアメリカ牛の代用にはならないのではないかと)
飼料自給率が上がったとしても、今の口蹄疫問題には特に関係がなさそうですし・・・。
つまり、輸入危機と一部の供給不足とを「レベルの差」とすることが矛盾していることだと言えませんでしょうか。
これに対する解法は二つでしょうか。
ちゃんとした「食料危機」対応を考え、エネルギーや種子、ほかの経済を視野に入れたマニュアルを作りなおす。(起こらないでしょうがね)
もしくは、非生産的な想定を作ることをやめ、自給率向上が達成できる現実的な手段を考える。
上からものを言っているようですが、どうもこんな想定作ってたってしょうがないと思うんですよね。