✨ひかりといのち✨の根元へ

 

ことば には、

ひかりといのち がある。

認識と生命力と言ってもいい。

 

ことば を通して

何かがわかったとき、

「明るく照らされたように」ひかりを感ずる。

また、躍動するリズム、

エネルギーを感じるとき、

いのちが輝く。

 

ことばの中のひかりといのちは、

エネルギーそのもの。

 

わたしたちは 大いなることばから生まれた。

わたしたちは、そこから 生まれ、

そこへと 還ってゆく

 

 

 

◉突然の母の旅立ち

 

「お母様がお亡くなりになっているのが発見されました」

10月末、突然警察から電話を受け、最初は信じられなかった。

数日前には電話で元気な母の声を聞いたばかりだった。

何か事故にあったのか?事件なのか?

言葉にならぬ程ショックだった。

話を聞くと、母が自宅で倒れているところを、配達員の方が見つけ、近所の方と連携して、通報して下さったらしい。

レスキューが到着したが、すでに息はなかったという。

調べたところ、事件性はなく、心不全による突然の病死とされた・・。

 

翌日朝、弟と車で郷里に向かう。

病院、警察、葬儀屋を梯子し、実家へ着いたのは、夜10時をすぎていた。

それからは、通夜と葬儀の準備に明け暮れることになった。

家の中は、突然主人を失い、時間が止まったまま。

 

読みかけの本、

料理中の食材が入った鍋、

干したままの洗濯物・・・

何気ない日常のものたち全てが、痛みを伴って迫ってくる。

 

父の時は、2ヶ月の入院があり、危篤の知らせもあったが、

この度は

「入院」も「介護」も「危篤」の知らせもなく、

いきなり、予告なしにあちらの世界に逝ってしまった母。

 

死とは「生の切断面」とシュタイナーは語ったが、(「薔薇十字会の神智学」p296より)

生きているものにとって、愛しい者の「生の切断面」に直面することは、この上なく残酷だ。

この世(物質界)には、もう生きていないことを、はっきり告げるものだから。

 

7月の父の死から3ヶ月経ち、母は、悲しみから少しずつ立ち直り始めたところで、翌週、弟が帰省する予定で、また、浄土真宗の菩提寺の「報恩講」の行事も控えていたので、それを心待ちにしていたらしく、部屋が綺麗に整えられていた。

 

それだけに、現実を受け止めることができず、信じられない想いで、時間ばかりが虚しく過ぎ去っていった。

 

 

 

 

◉夜伽

  ー死者が語りかけるものに耳を澄ます

 

呆然として迎えた通夜の席での、住職さんの経文とお話が、殊更、悼む心には深く沁みた。

 

 

帰命無量寿如来 

(きみょうむりょうじゅにょらい)

南無不可思議光

(なむふかしぎこう)

・・

 

ひかりといのち きわみなき

阿弥陀ほとけを 仰がなん

・・

親鸞聖人「正信偈」の冒頭より

 

 

母は、あちらの世界へ還っていった。

母の立場からしたら、本来の「ひかりといのちの世界」への帰還である。

歳を取り、あちこちが痛み、病む体にとっては、やっと「一休み」でき、ほっと「安らぎ」が訪れたと言えるだろう。決して悪いことではない。

 

でもこちらの世界に残された家族にとっては、突然の別れは、あまりにも悲しくてやりきれない。

 

ここからは通夜での住職さんのお話。

 

・・・・・・・

「通夜」を昔は「夜伽(よとぎ)」と言いました。

「伽」とは御伽噺の「伽」。

 

かつては、今と違って、通夜の時間が、制限されたものではなく、夜を通して、死者と共に時間を過ごし、死者から大切なことをお話してもらい、教えてもらうので「夜伽」といったのです。

 

仏の教えでは、生と死は、繋がっています。

大切な人を亡くし、その悲しみや痛みから、生きている私たちは何を得るのか。

 

死者が、何を伝えてくれるのか、

死者の人生を通して、死を通して何を教えてくれるのかに、

生きている私たちは耳をすまさねばならない。

生と死に橋をかけねばならないのです・・

 

深い内容に 頷くばかりだった。

・・・・・・・・

でも、頭ではわかっていても、感情がついていかないのだ。

 

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◉頭で理解できても心が追いつかない「死」の現実

 

「生と死は繋がっている。」

「死んでも“終わり”ではなく、死者はあの世「浄土」で、存在している。」

「死とは人生の1番のハイライト、あの世での新しい旅立ち、誕生である。」

 

それは知っている。理解もしている。

私も、シュタイナー思想に学び、その死生観を学んだ端くれだから。

 

でも、心=感情では、母の死が納得できなかった。

 

 「感情とは、私たちが人間らしい仕方で世界に出会える場所のことです」

(シュタイナー著「死者の書」高橋巖訳)

 

シュタイナーが言うように、この世で、今、生きている、私の生身の心と体はこう叫んでいた。

 

「母は突然、あの世に旅立ち、今や荼毘に付され、見えるものとして残されているのは、骨壷だけだ!」

 

「どうして父に続いて母までこんなに早く、こんな形で逝ってしまったの?」

 

問いかけても、沈黙のみ。

もう触れないし、声も聞けない。

 

老・病・死が人の定めであることは、当然の理だ。

でも、なぜこんなに急に、訪れなければならないのか。

なぜ、たった一人で、誰もいない時に死んでいかねばならないのか。

 

この心の喪失感をどうしたら良いのだろう・・・。

ああすればよかった、こうすれば助かったかも、、

  ・・そんな、後悔の念ばかりが次から次へと押し寄せてくる。

 

 

葬儀が終わってから、整理できない心のまま那須に戻り、大好きな作家、五木寛之さんの本を、吸い寄せられるように貪り読んだ。

 

「他力」「天命」「元気」「大河の一滴」

 

・・いずれも五木さん流の世界観(仏教・道教も含まれている)を、現代の私たちに向けてわかりやすくあたたかく語ってくれている本だ。

 

五木さんの本は、知の部分というよりも、情の部分にやさしく語りかけてくれるような気がする。

生身の弱い心の、傷ついた部分に脱脂綿を充てるように、

それらの本を読み、大切だと思う箇所をひたすら読んでは抜き出す作業をした。

それは、

傷ついた心の処方箋のようだった。

 

 

 

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◉死後、その人の「いのち=自分」はどこへ行くか?

 

シュタイナーは、「自分=人間の自我」は、死後、いろんな段階を経て「霊界」に行くと語っている。

霊界とは、天の世界、浄土のことである。

私たちはそこから生まれ落ち、この地上で生き、再び還ってゆくのだと。

 

それを 五木寛之さんは、著書「元気」において、このように語っておられる。

 

 「自分」とは、「自然(じねん)」であり、

「サムシンググレート」の一部分。

 

サムシンググレートとは、

「無限のいのち」と「無限の空間」、

「極みなき光のエネルギー」のこと

 

実は、「無限のいのちと空間」と「光」を敬う祈り

〈南無阿弥陀仏/ナムアミダブツ〉の六文字に込められている。

 

そう語っていた。

 

 

◉限りない「命と光」

   ・・「時間と空間」の根元へ

 

〈南無阿弥陀仏/ナムアミダブツ〉を、五木寛之さんの本に従って解釈すると次の通りである。

 

 ⚪︎ナム=「帰依します、帰命します、命を預けます」の意味

 ⚪︎アミダ=「アミータユス」「アミターバ」の二つが合わさった言葉

      ⇩

   ・アミターユス(無量寿ー無限の時間

   ・アミターバ(無量光ー無限の空間

 

⚪︎ブツ=「仏」・・目に見えない大きな力を全身全霊で深く自覚した存在

 

アミダとは、アミータ=「無限の時間と空間」のことだった! 

 

限りない、時間と空間を貫く、根元のいのちと光があるところ、

そこは、私たちのいわば故郷。

そこから生まれそこへ還ってゆくのだ。

 

それがあまりにもデカくて漠然としているので、イメージしやすいように「アミダ」に「ブツ」=「仏」をつけて、「阿弥陀仏」と人格化したのだろうか。

母なる懐の元へと還るようなイメージになるように。

 

〈南無阿弥陀仏/ナムアミダブツ〉とは、

 『光り輝く無限の生命力の根元に対し、

  深く畏敬し、その前に頭を垂れて 感謝します。』・・・ということだ。

              (五木寛之著「他力」より)

 

 

◉空間を体に、時間を魂に 

  ーシュタイナーの言葉より

 

実はシュタイナーも「内面への旅」(シュタイナーコレクション/筑摩書房/高橋巖訳)において、

こう語っている。

 

宇宙の生きた営みの中に入っていくには、

 〈空間を体に、時間を魂にする〉ことが必要だ。

 

この「空間を体に、時間を魂に」という表現は、まさしく、オイリュトミー芸術の特性そのもののに当てはまるのではないかと、私は思う。

 

二大芸術である造形美術と、音楽、詩歌の朗誦を例にとると

 

 彫刻は、空間の中で表現でき

 音楽は、時間の中で表現できる

 

だが、オイリュトミーは、これらの二つを統合する芸術である。

時間の芸術と言われる音の調べを、空間にあたかも彫刻するように、軌跡を描き、動く身体芸術なのだ。

性質の異なる、時間と空間が、響きを通して自分の体を動かすことで融合する芸術。

誤解を恐れずに言うならば、魔法のような力が備わっている、身体言語芸術ではないだろうか。

「見える言葉、見える歌」と言われるオイリュトミーを通して、

言葉と音楽の秘められた本質が可視化され、人間存在の秘密もより、明らかになるのだと思う。

 

オイリュトミーと、お経の言葉が、ここにおいて接点があったことに、私はものすごく感動した!

 

これまでも、知らなかったわけではないが、

父母の死を通して、〈南無阿弥陀仏/ナムアミダブツ〉の六文字が、

無限の光と命に帰依することを、

大いなる根元の世界への祈りであることを改めて知った。

 

先人の叡智のお陰で、

それを生きているうちに学べることは、なんとありがたいことか!

 

 

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◉いのちはどこから来たのか?

    ー「元気の海」から

 

また、五木さんの著書「元気」では「いのち」の源について、このように語られている。

 

  いのちはどこから来たのか?

 

    ー大いなる気の世界=生命界から。

 

   そのいのちの根元を、「元気」と呼び、

   それは「海」のかたちをしている。

 

 人は、元気から生まれ、元気に還る 

 それは元気の海なのだ。

 

 

万物のいのちは、水のエレメントにおいて繋がっている。

それは根元の海において、合流するのだろう。

 

はすの花の波紋が幾重にも波打つ、蓮華蔵世界海=「大いなるいのちの海」の中で、

死者たちも、波打つ海のエネルギーと一体となって、元気に生きている!

 

 (一般的な「元気」の意味ではなく、「元の気」=大いなるいのちの根元世界という意味である)

 

そんなイメージが浮かび、

いつの間にか重く沈んでいた心が、ふっと明るく軽くなったのを感じたのだ。

 

現実や状況は全く変わらないのに、

ことばを通して、捉え方を変えるだけで、

異なる光を当てるだけで、こんなにも心持ちが異なるなんて・・。

 

ことばとは、なんと不思議な力を持つのだろう。

言葉はともすると、意味を限定してしまう欠点があるが、

響きとイメージを重ねることで、ちょうど滲み絵のようにイメージが深く重なり、

浅い捉え方しかできなかったものが、より深く、広く、

本質に近づいて行くことができるようなのだ。

 

これは、私が長年オイリュトミー芸術に携わり、

オイリュトミーで養った感性と体があるからこそ、感じられることかもしれないが。

 

 

 

◉心を動かすこと、体で動くこと、

        ー人とわかち合うこと

 

折しも、昨日11/11は、鹿沼市にある、人形劇団「くぐつ」さんのアトリエにて、シュタイナー教育の親子体験会があった。(にじのもり自然學校主催)

 

【告知】頭と心と体を使って数、言葉、形を学ぼう!【シュタイナー教育体験会】にじのもり自然学校

https://ameblo.jp/eurytmie-sousinsya/entry-12822411950.html

 

 

 

ここ10日ばかり仕事を休んでいた私にとっても、久しぶりのオイリュトミーの仕事だった。

 

会場には、赤ちゃんから中学生まで、大勢の親子でいっぱい。

母音や子音の響きで、詩やリズムを動くと、途端に、空間が熱を帯び、空気が滑らかになり、みんなの表情が生き生きと輝いてくる。

 

不登校の子もいたし、発達障害をもった子も,様々な悩みを抱える大人たちも、一緒にいた。

 

でも、オイリュトミーで動き、心で感じることを、他者と共有できると、

どんな状況であれ、

「今、私は生きている!」と言う実感が自ずから湧き、尽きせぬ喜びが湧いてくるのだ!

 

今、生きている私たちにできることは、

この肉体で感じ、心から動くことなのだ。

 

そうして得た体験は、人生のかけがえのない果実となるだろう。

じっくり時間をかけて熟すのを待ったら、

縁ある人たちみんなで、味わおう。

 

体があるうちに、できることを、精一杯やろう!

 

私はオイリュトミーを通して出会った人たちからも、

大いに力をもらい、励まされたのだった。

 

 

 

◉あなたの想いが 私の想いの中に

         いきますように

 

数ヶ月の間に父母が相次いで浄土へ旅立ったことは、正直言ってまだ辛いが、

 

この狭い地上世界から、あちらの「元気の海」へワープし、

大いなるいのちと溶け合い、

エーテル界(海)、アストラル界(海)へと、

さらにさらに広大な世界に広がり、

遥か彼方の「ひかりといのちの世界」へ向かう旅の途上にあるのだと思うと、

不思議と晴れやかな心持ちになってくる。

 

いつの日か、あちらで出会い、合流するまで、

こちらの世界で 自分のいのちを燃焼させてゆきたい。

 

あなたの想いがわたしの想いの中に

私の想いがあなたの想いの中に

いきますように。

 

シュタイナー「死者への祈り」一部より

 

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https://ameblo.jp/eurytmie-sousinsya/entry-12825803379.html

 

 

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https://ameblo.jp/eurytmie-sousinsya/entry-12822411950.html

 

 

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