台風が去ると、一気に冷え込むと気象予報士が言っていた。

とはいうものの、北九州には太陽がここ二三日顔を出さないため、既に肌寒い。

風呂上がりにセーターを被ると、去年の冬の匂いがした。

懐かしい季節は、毎年やってくる。



ぼくは今、進路について真剣に悩んでいる。

今まで頑張ることをしなかったから、頑張り方をしらない。

だから、本気になれるものが見つけられない。

こういうと、

男のくせに とか、

負け犬 とか、

非リア充 とか、

いわれるけど、

全くその通りなのである。

どっかで区切りつけてとことんやらないといけないのはわかってるんだけど、

しかし体が、そして気持ちが働かない。

ええ、単なる怠け者なのだ。

地獄に堕ちた人は、少しでも幸せになりたいと思うのだろうか。

先が見えなくても、自力でどうにかしようと思うのだろうか。



いつまでも蜘蛛の糸を待っていてはいけないのかな。



そして蜘蛛の糸の結末はやってくる。



Android携帯からの投稿
暑い。

〇〇系男子などという実にくだらないものが流行る昨今であるが、

ぼくは只今

無印系男子と呼ばれたがっている。

そう呼ばれた日にはもう、頬が赤くなってグルグル模様ができて、

有印となってもいい。

目的は達成されたわけだから。

なんなら雪印になってもいい。

バターは、好きだよ。



さて、この間福岡から神奈川に行ったわけであるが(バスで)、寝違えて首が激しく痛む。

揉んでも揉んでも、なお痛い。

なぜそこまで身を削って行ったかというと、懐かしい人に会うため。

その懐かしい人の子どももいた。

ぼくは人見知りしてしまった。

嘘だ。

そんな繊細な、まるで太宰治のようなデリケートで美しい感性は持ち合わせていないため、

正確に表現すると、

子どもと戯れるという一面を見られるのが、恥ずかしかった。

これである。

ぼくは、とことんしょうもない人間だ。

わかっているんだ。

本質に興味がないことなんて。

だから楽なんだ。

けど、これが辛いんだ。


Android携帯からの投稿
思春期再来のように、つんつんし

自意識過剰だったぼくは、

夏の終わりと同時に消えた蝉の声を少し愛おしく感じるとともに、

秋の到来をちろちろと知らせる鈴虫の声を、

心地よく感じている。

とても機嫌が良いのだ。

こんな夜は、酸味の弱いコーヒーを飲みながら、幸田文の小説を読みたい。

言葉の連なりから溢れる生命力は、

幻想ではなく、事実である。



網戸越しから上空を眺めると、月がそこに、ある。



さて、

ぼくの大好きなバンドが昨夜、

解散を宣告した。

それはまた、寂しくもあり

同時に美しくもあった。

まるで季節の変わり目のように、自然的で、何かが終われば何かが始まるという、まさに生と死そのものだった。


生と死、それは時にロックンロール。


生き物には厳しいであろう、今後の寒さが、じつに楽しみだ。


鈴虫の声を聴くぼくは、

とても機嫌が良い。




Android携帯からの投稿