今回も2015年12月のドイツはバイロイトからです。
ワーグナーが住んでいたヴァーンフリート荘のすぐ東にあるフランツ・リスト博物館にやってきました。
フランツ・リストは、天才的な超絶技巧で「ピアノの魔術師」などと呼ばれ、演奏会では女性ファンが失神するほど。多くの女性と恋愛関係を結び、マリー・ダグー伯爵夫人とのスイスへの逃避行、キエフでのカロリーネ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人との同棲生活など話が尽きません。ちなみに、ワーグナーの妻になるコジマは、マリー・ダグー伯爵夫人との間の子供です。ヴァイマルの宮廷楽長も努めますが、50歳のころローマへ移住し、その後僧籍に入りヴァチカンで作曲活動を続けています。「エステ荘の噴水」などが作られるのもこの時期です。1886年にリストはバイロイトを訪れますが、その時体調を崩し7月31日に亡くなります。その時に滞在した家が、このフレーリッヒの家(Haus des Oberförsters Fröhlig)になります。74歳ということで、同時代のショパンは39歳、シューベルトは31歳で亡くなっていますのが、当時の平均的な寿命からしても結構長命だったのではないでしょうか。
入口には、リストが持ち歩いた練習用の鍵盤が展示されていました。おそらく音が出ない鍵盤だと思います。
ここには、多くの弟子を残したリストならではの、弟子たちの写真や、演奏会のプログラム、その他リストにまつわる様々な品が展示されています。
何故か、マリー・ダグー伯爵夫人のブロンズの手形。
ワーグナーがパジルファルを作曲していた時にイバッハ社から送られたコンサートグランドピアノ。
リストの若いころの写真。
年老いたリストは、なんだか魔法使いっぽい感じがします。
リストの手の写真。指が6本あるんじゃないかと言われていたらしいですが、ちゃんと5本です。なんかぷくぷくっとしていて、この大きな手で12度(ドからソ)が軽々と届いたというので、うらやましい限りです。
リストのデスマスク。
そんなに大きな博物館ではありませんが、その他、様々な展示がされていました。
博物館を出て、バイロイト中央駅へ向かいます。
次回からニュルンベルク編です。