ワルシャワ・ショパンに一番近い場所(2015年10月、ポーランド・ワルシャワ) | クラシック音楽と食べ物と。。。

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ヨーロッパでの生活を振り返るブログ。

今回は、2015年10月のポーランドワルシャワからです。

 

ワルシャワは、出張で以前来たことがありますが、空港からオフィスの往復で、ゆっくり来るのは初めてです。

ハンブルクから直行便でくればよかったのですが、かなり高額だったのでフランクフルト経由。ハンブルクを18:30に出て、フランクフルトからの便が20:30発のフライト。そこから1時間半のフライトですっかり遅くなってしまいました。

 

ホテルは、ワルシャワセントラルのノボテル。結構大きなホテルです。

 

ホテルからの夜景。なんかモスクワっぽいかもです。

 

~ 翌日 ~

 

やっぱりモスクワっぽい。

 

今日は過密スケジュールなので、ホテル朝7時に出てワルシャワの街を散策します。

 


ワジェンキ公園 Park Łazienkowski


まずは、18番トラムに乗って、Pl.Unii Lubelskiejまで。

 

ここには、ワジェンキ公園があります。この公園は、最後のポーランド王スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキが30年の歳月をかけて造らせた庭園で、76ヘクタールにもおよぶ公園内には王の夏の離宮であるワジェンキ宮殿があります。この宮殿では、科学者や詩人が招かれて「木曜昼食会」が催されていたそうです。しかし、今回は宮殿には目もくれず、この彫像を目指してやってきました。

 

門を入ると、すぐ目の前にその彫像は現れます。

 

 

 

あまりにも有名は、ショパン像。しだれ柳の脇に腰掛けるショパンの像。アールヌーヴォー様式のあまりにも存在感のある像が、池のほとりにたたずんでいます。

 

こっちの方向から見ると、柳が指のように見えるのは私だけでしょうか。

 

360度、あらゆる方角から激写。

 

朝早いせいか、誰もいなくて、とても静かで、さわやかな公園です。ちなみに、この公園は日の出とともに開園するそうです。

 

リストの像もありました。

 

入口の一つに公園の案内甲板がありましたが、こうやってみるとかなり広い公園のようです。

 

公園の外側には、ポーランド共和国の初代国家元首、ポーランド軍創立者のユゼフ・ピウスツキ元帥の像がたっていました。

 


ワルシャワ蜂起記念碑 Pomnik Powstania Warszawskiego


ワルシャワでは、バスに乗る時におつりが必要な場合、乗車拒否されることがあると聞いていたのですが、本当に乗車拒否されました。混雑時は乗車拒否してよいことになっているそうです。到着したばかりで、コインも十分になく、このまま乗車拒否され続けたらどうなるのかと思ったりしましたが、次のバスは問題なく乗れて一安心。Pl.Krasińskichのバス停で降りると、目的地は目の前にあります。

 

第二次世界大戦の末期、ワルシャワ市民はドイツ軍に対して一斉に蜂起しますが、結局20万人の死者を出し、降伏します。この蜂起から45年後、この記念碑は建てられました。戦勝記念碑とは違い、ワルシャワ市民の苦しみが伝わってくるような像です。

 

この記念碑の前には、クラシンスキ宮殿があるクラシンスキ公園が広がっています。

絶賛改修中。

 

こちらは、Katedra Polowa Wojska Polskiego。ポーランド軍の駐屯地教会のようです。

 


キュリー夫人博物館 Muzeum Marii Skłodowskiej Curie


そして、この近くにキュリー夫人博物館があります。ノーベル物理学賞、ノーベル化学賞を受賞し、放射線研究で有名はキュリー夫人は、ここワルシャワの出身で、その生家が博物館として残されています。

 

聖ヒアシンス教会(多分、この日本語であってると思うのですが。。。)。聖ヒアシンスは、ポーランド出身の宣教師で、修道院改革に尽力を尽くした人のようです。

 


バルバカン Barbakan


ここから歩いてすぐのところにバルバカンがあります。半円筒型の砦で、牢獄や火薬庫として使われていたようです。周りには、城壁もあります。

 


旧市街市場広場 Rynek Starego Miasta


旧市街市場広場に向かいます。

 

結構きれいな広場で、カフェやレストランが並んでいます。300年以上の歴史あるレストランもあるそうです。

 

 

広場の真ん中には人魚像が建っています。ちょっとほかの人魚像と違って、女戦士って感じの人魚像です。

 


洗礼者ヨハネス大聖堂 Bazylika Archikatedralna św. Jana Chrzciciela


14世紀に建てられた教会で、王の戴冠式などで使われた教会で、ワルシャワで最も古い教会だそうです。この地下にパデレフスキーの墓があるのですが、決まった時間しか入れないようで、入り口が閉じられていました。

 

ワルシャワで最初にオルガンが備え付けられた教会でもあるようです。

 
ちなみにすぐ横に立っているのは聖母教会(Sanktuarium Matki Bożej Łaskawej)。
 

王宮広場 pl. Zamkowy


旧王宮前にある広場で、かなりの広さがあります。

カラフルな建物も。

 
旧王宮。
 
旧王宮前に建つジグムント3世像ジグムント3世ポーランドの首都をクラクフからワルシャワへ移した王で、ワルシャワの整備に尽力しています。この像は、1644年にジグムント3世の息子がイタリアの職人に作らせたものだそうです。
 
これまで見てきたワルシャワの街は、実は戦争でほとんど破壊されつくされてしまいました。今のこっているものは、ほとんどが戦後再建されたものです。それにしても、旧市街まるっと再建するとは、ものすごい愛着とパワーを感じます。
 
こちらは聖アンナ教会
 
ここはワルシャワで一番古いパイプオルガンがある教会です。彩色がすばらしく、なかなかに見栄えがするパイプオルガンです。
 

国立劇場/国立オペラ劇場 Teatr Narodowy/Teatr Wielki Opera Narodowa


1825年~1833年に建てられた国劇場/国立オペラ劇場も、第二次世界大戦で焼失し、現在の建物は、一部残った部分を使って1965年に再建されたものです。
 
国立オペラ劇場
 
国立オペラ劇場前に建つポーランド出身の指揮者スタニスワフ・モニューシュコ像。
 
国立劇場
 

大統領官邸 Pałac Prezydenckii 


大統領官邸に向かうと、遠方に緑のドームが見えてきます。アウグスブルク教会(三位一体教会)。この教会は、ショパンが聖歌隊に入っていたところとか。
 
ライオンの像に守られたゲートの奥に建つのが大統領官邸です。元々貴族の館だった建物で、劇場としても使われていたようです。ポーランドで初めてのオペラが上映されたり、ショパンが初めての演奏会を開いた場所でもあったようです。
ショパンのコンサートが開かれたことを示すプレート。
 

ヴィジトキ教会 Kościół Wizytek


ワルシャワ大学のすぐ隣に立つ教会で、18世紀に建てられた教会です。ショパンがオルガニストをしていた教会です。
 

ワルシャワ大学 Uniwersytet Warszawski


1816年に創設されたワルシャワ大学。中学高校にあたるワルシャワ・リツェウムがあり、ショパンもここに通っていたようです。ショパンの一家が住んだというプレートがあるはずですが見つからず。明日また時間があれば来ます。
 

聖十字教会 Kościół Świętego Krzyża


 
クラクフ郊外通り3番地にある聖十字架教会、ショパンの心臓が安置されている教会です。
 
中に入ると白一色の内装に、金色の祭壇が目にまぶしく飛び込んできます。
 
ワルシャワを離れてから戦争が起こり、ショパンパリに亡命して、それ以来ワルシャワに帰ることができませんでした。ショパンのお墓はパリの中央墓地あって、遺体はそこに埋葬されていますが、心臓だけはワルシャワに持ち帰ってほしいという遺言に従って、ここに安置されました。姉のルドヴィカがドレスの中に隠し、必死の覚悟で国境を越えたという話も。大戦でここも破壊されて、心臓も一度持ち出されたようですが、戦後教会が再建され、心臓も戻されました。
 
入り口を入って左手の柱の下にショパンの心臓が収められています。
 
私の師匠は、ここに来た時「今世界で一番自分がショパンの近くにいると思うと涙が出てきた」と言っていましたが、今はその気持ちがよくわかります。入った時ちょうどミサをやっていて、ミサが行われた30分の間、世界で一番ショパンの近くにいる幸せをかみしめながら、ショパンと語り合ってみました。まあ、それで何かが掴めるほど簡単な世界ではありませんが。。。
 

コペルニクス像 Pomnik Mikołaja Kopernika


聖十字架教会をでると、スタンツ宮殿の前にコペルニクス像がありました。コペルニクスポーランド出身の人なんですね。
 
ふと足元を見ると、周りには惑星と思われるプレートが地面にはめ込まれていました。地動説を発表し、今でもコペルニクス的転回などと言われるコペルニクス。彼の発想にあやかりたいものです。
 
午後からの予定に備え、一度ホテルへ戻ります。