ウィーンの音楽家の家(2015年6月、オーストリア・ウィーン) | クラシック音楽と食べ物と。。。

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ヨーロッパでの生活を振り返るブログ。

今回も2015年6月のウィーンからです。

 

今日は朝から音楽家たちが住んでいた家を訪ねます。

ウィーンは多くの音楽家たちが活躍した場所ですが、今でも音楽家たちが住んだ家が記念館などの形で多く保存されています。

 

地下鉄のU4でKettenbuckengasseまで行き、そこから歩いて最初の目的地を訪ねます。

 

シューベルト最後の家(Schubert Sterbewohnung)。

1797年にウィーンで生まれたシューベルトは、学校の教師をしながら作曲を進めます。決して裕福な暮らしではなかったようですが、友人たちに支えられ、多くの曲を残しています。死因は腸チフスとも、梅毒治療に使われた水銀の中毒ともいわれています。Kettenbrückengasse 6のこの家で亡くなったときには、まだ31歳でした。

 

ここは記念館として公開されているのですが、どうも水曜日と木曜日しか空いていないようで、今回は入ることができませんでした。

 

1828年11月19日にシューベルトがこの家で亡くなったことを示すプレートがありました。

 

歩いて次の目的地へ移動します。

 

シューベルト最後の家から10分ほど歩いたところにある聖ヨゼフ・マルガレーテン教会(Sankt Josep Margareten)へやってきました。ここはシューベルトの葬儀が執り行われた教会です。元々ここにはマルガレーテン城があり、そののちこの教会が建てられたようです。

 

教会のまわりには、聖人の像が立っています。

 

正面右手に壁に大きなプレートがかかっていますが、「シューベルトの遺体がここで祝福された」と書かれています。

 

内部はちょうどミサが開催されていて写真を撮ることができませんでした。

 

さて、さらに次の目的地へ向かいます。

 

そういえばウィーンの信号機って、ポールについているタイプではなく、電線みたいなのにぶら下がっているタイプがあったりします。なんかちょっとレトロな香り。

 

建物の壁に変な(?)絵が描かれています。ハンブルクでもよくこういう建物あるんですが、センスが良いのか、悪いのか。。。

 

15分くらい歩いたでしょうか。目的地が近づいてきました。

 

次にやってきたのは、ハイドンハウス(Haydns Wohnhaus)です。

ハイドンは人生の大半をエステルハージ家に仕えていましたが、エステルハージ家を辞した後、1797年から亡くなる1809年までに間この家に住み、「天地創造」「四季」などを作曲しています。ハイドンが亡くなったときのウィーンナポレオンが指揮するフランスの占領下にありました。

 

中庭の様子。

 

ハイドンハウス、今は博物館として公開されています。

いきなり砲弾が展示されていました。1805年から1809年ウィーンは占領下にあり、その前のフランスとの戦争のときのもののようです。

 

時計とハイドンの日課が展示されています。

 

ハイドン所有のクラヴィコード。その後、ブラームスが所有していたようです。

 

 

ハイドンの彫像。

 

こちらはハイドンのデスマスク。

 

そして、ハイドンハウスにはなぜブラームス関係の展示もあります。

博物館によると、ブラームスハイドンを大変尊敬していたこと、そしてブラームスウィーンで住んでいた家が既に存在しないため、ここに「永遠のゲスト」として展示しているそうです。

 

ブラームスウィーンで住んでいた家。

 

ハイドンの主題による変奏曲」の楽譜。

 

ブラームスの家の写真。

 

ブラームスの部屋の様子を描いた絵が何枚も展示されています。この部屋から数々の名作が生まれたんですね。

 

こんなところに楽譜が!!

 

 

受付の横に物を並べただけの小さな売店で物色していると、白人系の観光客に声かけられて、音楽やっているの?と、ピアノを少々と答えると、彼はグレン・グールド好きらしく、グレン・グールドのあるアルバムを紹介してくれました。そのアルバムは聞いたことがなかったので「帰ったら聞いてみるよ」と。ヨーロッパって、こう言った小さな会話が自然と行われて、ちょっと楽しい感じです。

 

今度は、U3でZieglerstrasseからStephanplatzまで行き、U1に乗り換えてNestroyplatzまで移動します。

 

かなりあやしげな寿司屋のポスター発見。

 

やってきたのは、ヨハン・シュトラウス記念館(Johann Strauß Gedächtnishaus)。ヨハン・シュトラウスが1863年から1870年まで住んでいた住居。

 

階段を上っていくと、

 

シュトラウスのマーク。

 

ここが、「美しく青きドナウ」が作曲された場所です。シュトラウスと言えばやはりヴァイオリン。

 

こちらはオルガン。

 

ワルツの音楽が聞こえてきそうです。

 

ヨハン・シュトラウスさん。

 

こちらは定番のデスマスク。

 

再度地下鉄で、Stephanplatzまで戻ります。

U1のNestroyplatz駅のすぐ横にあった聖ヨハン・ネポムク教会

 

ウィーンの中心地まで戻ってきました。シュテファン寺院。ウィーンの象徴、ウィーンの魂と呼ばれる大寺院。

 

こちらの東側の礼拝堂がモーツァルトの葬儀が行われた場所です。

 

シュテファン寺院からすぐのところにあるモーツァルトハウス

ここが、モーツァルトウィーンで生活した住居で現存する唯一の建物だそうです。1784年から1787年まで住んでいました。フィガロの結婚などもここで作曲されています。オーディオガイドを聞きながら見ていくスタイルですが、展示はそれほど充実している感じはせず、オーディオガイド聞いてお勉強するスタイルのようです。

 

ここからSchwedenplatzまで歩き、U4でHeiligenstatへ向かいます。

 

これからハイリゲシュタットへ向かいますが、そのお話は次回としたいと思います。