今回も2015年6月オーストリアのウィーンからです。
午前中に音楽家のお墓をめぐり、昼間に楽友協会のウィーンフィルのコンサートを聞き、夜はウィーン国立歌劇場のオペラを見に来ました。
ウィーン国立歌劇場はハプスブルグ家が治める大帝国の首都ウィーンの威信をかけて1863年に着工され、1869年に完成します。ちょうどフランツ・ヨーゼフ1世の治世下で、オーストリア帝国からオーストリア=ハンガリー帝国へと移り変わる時代でした。モーツァルトの「ドン・ジョバンニ」でこけら落としが行われ、歴代の総監督、音楽監督には、ハンス・リヒター、グスタフ・マーラー、ブルーノ・ワルター、リヒャルト・シュトラウス、クレメンス・クラウス、カール・ベーム、ヘルヴェルト・フォン・カラヤン、ロリン・マゼール、クラウディオ・アバドなど、近現代の名指揮者がずらりと並んでいます。小澤征爾も2002年から2010年まで音楽監督を務めています。
劇場ができてから現代まで欧州のオペラをリードする劇場の一つです。
劇場の中に入っていきます。建設当時は、あらゆる建築様式を取り入れたありふれたリバイバル建築と揶揄されたようですが、いや、なかなかに豪華絢爛な内装です。
こちらはエントランス。
そして、その先には大階段を備えた大理石の大空間。大理石の白を基調に、金があしらわれ、絵画、彫刻など素晴らしい空間です。これから観るオペラへの期待が高まります。
ホール内部はそれほどきらびやかではなく、比較的シンプルな造りになっています。
ところで、公演中に客席の照明を落とす習慣は、マーラーがここウィーン国立歌劇場で始めたものらしく、それ以前は照明は落としていなかったそうです。当時は、照明を落とす趣向は評判が良くなかったようですが、その後もこの趣向は続けられ現在に至っています。もともと、オペラも社交の場の一つだったため、今のように行儀よく鑑賞するという場ではなかったのですが、マーラーのおかげでしっかりと鑑賞できる環境になったということかもしれません。
以前ミラノスカラ座で、ボックス席の後ろ側の席をとってさっぱり見えず失敗したので(それまではやっぱりオペラ座と言えばボックス席だよなあ、などと思っておりました)、今回はボックス席ではなく上階のボックスでない席を予約。一番前の席が取れたので、なかなかによく見えます。
さて、今日の公演は
ベルディ: リゴレット
Giuseppe Verdi: Rigoletto
ベルディはイタリアの作曲家で「オペラ王」を異名を持つイタリア・オペラ変革の立役者です。「ナブッコ」「椿姫」「アイーダ」など、今での世界中のオペラハウスの主要な演目になっています。
リゴレットは、ヴィクトル・ユーゴ―作「王は愉しむ」を原作にしたオペラです。ヴェルディは、この原作に忠実な作品を作ろうとしていたようですが、以前フランスで上演禁止になるような問題作で、ヴェネツィアの当局との間で何度も修正が入り、やっと公演にこぎつけたようです。その過程で題名もユーゴ―の原作の主人公トゥリボレットと語感が近いリゴレットに変更されたそうです。
今回のプログラム、複数の言語であらすじがかかれており、なんと日本語のあらすじまでのっていました。それだけ日本から見に来る方も多いということでしょうか。
--- あらすじ (公演パンフレットより転載) -----
好色なマントヴァ公爵は酒宴の席で、自分の女性遍歴について語る。今は、ある美しい娘を付け狙っているが、もちろん他の女性たちも追い回している。せむしの道化師リゴレットは、宮廷の人々から憎まれているが、公爵に仕えているため、傍若無人にふるまっている。そこで宮廷人は、リゴレットに復習するため、彼の愛人らしい女性(実はリゴレットの娘ジルダ)を誘惑しようと企てている。公爵に娘を誘拐されて嘆くモンテローネ伯爵をリゴレットが嘲笑すると、伯爵はリゴレットを呪う。
自分の身体つけのため孤独で人々への信頼を失ったリゴレットにとって、娘のジルダだけが慰めであり、彼女を外界から隔離するよう努めている。それにもかかわらず、ひとりの若者が貧しい学生と名乗って、ジルダに言い寄る。この学生は、実はマントヴァ公爵であった。宮廷人がジルダを誘拐してマンドヴァ公爵に差し出そうとしたときも、リゴレットは、それがチェプラーノ伯爵夫人と勘違いし、誘拐に手を貸す。のちに彼が事実を知ったときは、もはや手遅れであった。
リゴレットの家に誰もいないことを知ったマントヴァ公爵は、恋人を失ったと思って嘆く。彼はジルダに初めて、本当の恋心を抱いたのである。宮廷でジルダの誘拐について聞いた公爵は、彼女のもとへ急ぐ。リゴレットは宮廷人に、ジルダが自分の娘であることを打ち明け、娘を返してくれるように懇願する。他方ジルダは公爵に愛を告白し、リゴレットは残虐な復讐を企む。リゴレットから依頼された殺し屋のスパラフチーレが町はずれの酒場で公爵を殺すことになる。しかし殺し屋の妹マッダレーナも公爵に惚れ込んでおり、兄に公爵を助けるよう願う。スパラフチーレは承諾し、夜中に酒場に入ってきた人物を身代わりに殺すと言う。これを聞きつけたジルダは、公爵を助けるために自分が犠牲になろうと決意する。リゴレットは死体の入った袋を受け取り、ようやく真実を知る。殺されたのは公爵ではなく、彼の娘であった。呪いが現実となった恐怖と娘を失った悲劇によって、リゴレットは倒れこむ。
今日のキャストは、次の通りでした。
指揮: エヴェリーノ・ピド(Evelino Pidò)
イタリアのトリノ出身の指揮者です。
マントヴァ伯爵役: セミール・ピルギュ(Saimir Pirgu)
アルバニア出身のテノール。
リゴレット役: ジョヴァンニ・メオーニ(Giovanni Meoni)
イタリア出身のバリトン。
ジルダ役: エカテリーナ・シウリーナ(Ekaterina Siurina)
ロシア出身のソプラノ。
スパラフチーレ役: アイン・アンガー(Ain Anger)
エストニア出身のバス。
マッダレーナ役: マルガリータ・グリツコヴァ(Margarita Gritskova)
ロシア出身のメゾソプラノ。
相変わらずオペラのストーリーというのはグタグタで好きにはなれません。なんだか人間というものが尊重されていない気がしますが、これが欧州の価値観というものなんだろうと思います。”芸術家”の人達からすると、これが人間の本質であるということなのだと思いますが、個人的に人間というものはもう少し”まとも”で、崇高なものであって欲しいと願います。ヨーロッパでは、すぐに暴動をおこし、商店を襲う、車などを壊して回るという映像がニュースに流れます。同じような事態になっても日本ではそういったことが起こるのはまれで、このあたり社会的な環境もあるのでしょうが、何か本質として違うものを感じ、それがオペラを見たときに違和感につながっているように感じます。
ストーリーはさておき、ヴェルディのこの作品は音楽としては最高で、さすがオペラ王を代表する作品。そして、さすがウィーンフィルと同じメンバーが所属するウィーン国立歌劇場管弦楽団(正しくは逆で、ウィーンフィルは国立歌劇場管弦楽団の団員で入団を認められたメンバーで構成)の演奏。素晴らしい演奏でした。また、このリゴレット、「La donna è mobile(女は気まぐれ)」をはじめ、とても親しまれたメロディーもたくさん出てきて、ああ、これこれという感じで聞くことができます。素晴らしい公演でした。
公演が終わって、もう時間も遅いので、軽くお茶してホテルへ戻ろうと思っていたのですが、いざメニューを見るとガッツリ食べてしまいました。ウィーン名物のヴィエナ―シュニッツェル。ドイツのシュニッツェルは豚肉ですが、ここウィーンのシュニッツェルは牛肉。敢えて日本語にすれば「牛カツ」って感じでしょうか。