今回は、2014年9月、ドイツ・ハンブルクで行われた福間洸太郎のリサイタルからです。
福間洸太郎は、高校卒業後、ヨーロッパへ渡り、パリ国立高等音楽院、ベルリン芸術大学、コモ湖国際ピアノアカデミーで学び、20歳の時アメリカのクリーヴランド国際ピアノコンクール優勝、ヘルシンキ国際マイリンドピアノコンクールで第2位、サンタンデール国際ピアノコンクールで第3位入賞などのコンクール成績を残し、多くのオーケストラとの共演やリサイタルなど輝かしい成果を出しているベルリン在住のピアニストです。日本でも、かなり人気が高く、CDも発売され、多くのコンサートが開催されています。
会場は、ハンブルク市内にあるDESY内の施設です。
DESYというのは、ドイツ電子シンクロトロン(Deutsches Elektronen-Synchrotron)で、高エネルギー加速器・高エネルギー物理学の研究所。世界中から優秀な研究者が集まっています。ここでの演奏会は、昨年に続き2回目。
敷地内にはこんな装置も。
今回のコンサートは、アレクサンダー・フォン・フンボルト財団が後援している「音楽と科学」の祭典の一環で行われました。
会場は、DESY内の講堂。なんだか授業が始まりそうな雰囲気です。
ピアノは、YAMAHAですが、Zechlinの文字が。
ドイツのピアニストのディーター・ツェヒリンでしょうか。
ラフマニノフ: 前奏曲Op.3-2『鐘』
最初の曲は、
ラフマニノフ: 前奏曲Op.3-2『鐘』
Sergei V. Rachmaninov: Prélude Op. 3 Nr. 2 (aus "Fünf Fantasiestücke")
今回のコンサートは、「鐘の音によるロシア・ファンタジー」と銘打たれており、正にスタートにふさわしい曲です。
この曲は、5つの曲から成る「幻想的小品集」の収められていて1892年に作曲された曲です。
この年は、ラフマニノフがモスクワ音楽院を卒業した年で、初演は、同年10月モスクワ電気博覧会の祝賀会でラフマニノフ自身の演奏で行われ、大成功を収めました。
フィギュアスケートの浅田真央もこの曲を使ったので、日本中知らない人はいないというくらいの曲だと思います。
最初、ラ→ソ#→ド#の音が谷底へ落ち込んでいくような重々しい響きで始まり、この形が繰り返されて行きます。それにウン・タン・タン・タン・ウン・タン・ウン・タンと乗っていきます。
アジタートの中間部を経て、再度同じ主題に戻り、最後は、教会の鐘の音が遠ざかっていき、曲が終了します。
出版された楽譜に、「モスクワの大火」「最後の審判」「モスクワの鐘」などと書かれたものがあったそうですが、どれもこの曲をよく表していると思います。
チャイコフスキー: トロイカ、デュムカ
二曲目、三曲目は、
チャイコフスキー: トロイカ、デュムカ
Piotyr I. Tschaikowski: Toroika Op. 37a-11/Dumka Op. 59
「トロイカ」は、雑誌の企画もので、1875年から翌年まで、ロシアの一年の風物を月ごとに描写した「四季(Les Saisons)」の中の11月に当たる曲です。四季の各曲はロシアの詩人の作品が引用されていますが、11月トロイカはニコライ・ネクラーソフの詩が引用されています。
「あこがれに満ちて遠くを見てはいけない
トロイカの馬を追ってはならない
心の中であんなに悲しく語った絃は
永久に消えさせてしまえ」
ホ長調で書かれたこの曲は、暗い雰囲気はなく、軽やかに雪道を走るトロイカの様子が浮かんでくるような曲です。
この曲、ラフマニノフがよくアンコールに演奏した曲でもあるようです。鐘というお題とどう結びついているのかと思ったのですが、なるほどこの曲、トロイカの鈴の音が曲に織り込まれていました。
「デュムカ」は「ロシアの農村風景」という副題が付けられていて、チャイコフスキーが1886年に作曲した曲です。
なんとも物悲しい感じで始まるこの曲、献呈されたパリ音楽院のアントワーヌ・マルモンテルが「あなたの農村風景は美しい」と書き送っており、途中、農村の踊りのような盛り上がりを見て、その後、鐘の音が出てきます。暗く物悲しさだけでなく、そこにとてつもない力強さが宿っていて、なんともロシア的な響きが音する曲です。最後、そのまま静かに終わるのかと思わせ、最後にフォルテシモの強音がいくつか鳴って曲が終わります。
初演は、チェイコフスキーが亡くなったのち、1893年ペテルブルクでの追悼演奏会でフェリックス・ブルーメンフェルトによって行われました。
スクリャービン: 幻想曲
四曲目は、
スクリャービン: 幻想曲
Alexander Skrjabin: Fantasie Op. 28
1900年にかかれたこの曲は、スクリャービン初期作品の集大成とも言われます。
福間自身も、スクリャービンのピアノ曲の中で最も難しい曲の一つで、かなり複雑でそして、交響楽的な曲だとプログラムに書いています。いくつもの旋律が折り重なり、そして重厚な和声、息の長い美しいメロディー、情熱を傾け強いパッションを持ち続けなければ弾けない
曲です。
ボロディン: 修道院にて、夜想曲
五曲目、六曲目は、
ボロディン: 修道院にて、夜想曲
Alexander Borodin: "Au Couvent", Noctune (aus "Petite Suite")
アレクサンドル・ボロディンは、ロシアの作曲家であり、化学者、医者でもあります。ボロディンは、著名な化学者で、生涯化学者としての仕事を全うしますが、音楽は、彼にとって、「平和・楽しみ・化学者としての公式な義務から気を紛らすもの」と書いています。化学者として相当に忙しい日々を送っていたようで、福間自身プログラムの中で、一体どうやって作曲家としての時間を確保したのか謎だとしています。音楽家としてのボロディンは、バラキレフ、ムソルグスキー、キュイ、リムスキー=コルサコフの4人と合わせてロシア国民楽派の「五人組」とも呼ばれ、ロシア民族主義の精神を受け継いでいます。
「修道院にて」、「夜想曲」は、1885年に作曲された「小組曲」の中の曲で、ボロディン52歳の作品です。
「修道院にて」「間奏曲 ヘ長調」「マズルカ ハ長調」「マズルカ 変ニ長調」「夢」「セレナード 変ニ長調」「ノクターン 変ト長調」の7つの曲から構成され、今回演奏されたのは、このうち最初と最後の二曲です。
この小組曲の草稿には「ある若い娘の愛の小詩」 という副題が付けられていますが、これはこの曲は献呈したメルシー・アルジャント伯爵夫人の少女時代のエピソードに基づいているといわれています。ちなみに、第一曲の「修道院にて」には、「大聖堂の円天井の下で少女は神を思うことはない」、ノクターンには「少女は満ち足りた愛によって眠りに就く」という副題がついていたようです。
「修道院にて」の始まり、終わりの部分では、左手の2オクターブほど離れたゴーン、ゴーンと響く跳躍の音が続き、これが正に鐘の音を表しています。また、ノクターンは、隣り合う8分音符がスラーで結ばれていて、これがこの曲の独特の雰囲気を作り出していますが、それが鐘の音のようにも聞こえてきます。どちらもおだやかな、そして美しい曲です。
バラキレフ: イスラメイ
七曲目は、
バラキレフ:イスラメイ
Mily Balakirew: Iskamey - Orienralische Fantasie, Op. 18
バラキレフもロシア「5人組」の一人で、イスラメイは1869年に作曲されます。
バラキレフは、コーカサス地方を旅行しますが、その時に聞いたメロディーから着想を得てこの曲を作曲します。彼がコーカサスに滞在中、コーカサスの王子がたびたびバラキレフを訪問し、ヴァイオリンに似た楽器で民俗音楽を演奏してくれたそうですが、その中にイスラメイという名の舞曲があったそうで、これが主題になっています。
なんといっても超絶技巧を求められるこの曲、初演を果たしたニコライ・ルビンシテインも、バラキレフへの手紙に「私はあなたの作品を練習しているが、この作品は私に素晴らしい喜びを与えてくれ、あなたに感謝している。しかし、この曲は難しすぎてほんの一握りの人しか弾けないだろう。私は、そのほんの一握りの人の一人になりたい」と書いています。ルビンシテインはモスクワで無事初演を果たし、観衆から大喝采を浴びます。ちなみに、モーリス・ラヴェルは、夜のガスパールを作曲するときに、目標はイスラメイの難しさを超える曲を作ることだと、友人に語ったとか。
ムソルグスキー: 展覧会の絵
休憩を挟んで、八曲目は、
ムソルグスキー: 展覧会の絵
Modest Mussorugski: Bilder eine Ausstellung
ラフマニノフ、チャイコもなかなかの演奏でしたし、ボロディンもGood。