今回も前回に続き、2014年5月のプラハからです。
今日は2日目です。
プラハ城
プラハ城(Pražský hrad)は丘の上にたっています。
行き方は、お城の近くまでトラムで行く方法などもありますが、旧登城道、新登城道の2つの登り口があり、やはり昔の人の雰囲気を味わおうと、今回は、旧登城道を歩いて登っていくことにします。
地下鉄のマロストランスカー(Malostranská)駅から歩いていきます。
それほど急な坂というわけでもなく、10分ほど歩くと城門が見えてきます。
ここからの眺めもなかなか。
ヴルダヴァ川、そしていくつもの橋。なんかいいですよね。
ちょうど衛兵交代の時間で、衛兵交代式を見ることができました。
実は、チケット売り場は新登城道側の方にあり、いったんプラハ城を突っ切って逆サイドへ行きチケットを購入します。
プラハ城は、歴代のボヘミア王の城であり、神聖ローマ帝国の城でもありました。
様々な伝説もあるようですが、実際にプラハ城が築かれたのは、9世紀だったようです。
ギネスブックによれば、世界で最大のお城だとか。
プラハ城 - 聖ヴィート大聖堂
プラハ城の中で、なんといっても目立つ建物は、聖ヴィート大聖堂(Katedrála svatého Víta)。
930年にシンプルな教会として最初の建物が作られますが、その後、改築を重ね1344年に現在の形に至る大改築がスタートします。
最終的にこの改築が完了するのは20世紀に入ってからの1929年だったそうです。
現在は、高さ96.6m、奥行き124mある大建築となっており、全体を写真に収めるのはなかなか容易ではありません。
これだけ大きな建物ですが、各部には素晴らしく緻密な造形が施されています。
こちらは、14世紀ごろの描かれた「最後の審判」のモザイク画。
後方から見た姿も、いかにもバロック建築というスタイルで、キリスト教の権威を造形であらわそうとした当時の姿をよく表しています。
途中こんな窓格子がありました。
当時の職業を表しているのでしょうか。
さて、正面に回ってみます。
内部は、すばらしいステンドグラスがいくつもあります。
なんだか、他の教会のステンドグラスとは少し趣が違う気がします。
そして、見忘れてはいけないのが、このステンドグラス。
アルフォンス・ムハ(ミュシャ)作です。
30mの高さの身廊、そして網目状の天井。素晴らしい空間です。
中央には黄金の主祭壇。
その前には、ハプスブルク家の霊廟。
主祭壇の上部にもステンドグラス。
プラハの街並みが描かれた木のレリーフもあります。
左が旧市街、真ん中にカレル橋、そして右側がプラハ城でしょうか。
小さな礼拝堂がいくつも並びます。
聖ネポムツキーの墓。
2トンの純銀でできているそうです。
聖ネポムツキーはボヘミアの守護聖人の一人で、14世紀のカトリック教会の司祭です。
当時のボヘミア王とカトリック教会の対立に巻き込まれて王の怒りを買い、拷問をかけられ、カレル橋から遺体が投げ捨てられたそうです。その後、遺体はヴルダヴァ川の岸で見つかり、18世紀の列聖調査の際に、舌が腐らずに残っていたために、これは奇跡だとして聖人として認定されたとか。
それにしても、すごいお墓ですね。
こちらは、「レオポルト・シュリック伯爵の墓碑」
パイプオルガン。
みどころ満載の聖ヴィート大聖堂ですが、やはり印象的なのはステンドグラスでした。
プラハ城 - 聖イジー教会
次は、聖ヴィート大聖堂の裏手にある「聖イジー教会(Bazilika svatého Jiří)」へ来ました。
920年に建てられたこの教会は、ロマネスク様式の建物です。
音響がよく、「プラハの春」音楽祭で使われている場所です。
内部はシンプルな感じの空間で、石造りの壁と木の格子天井が印象的です。
右手の壁には「聖ウルシュラの殉教」、左手には「マリアの昇天」がかかっています。
正面の階段を登ると上部には古いフレスコ画が描かれています。
この下には地下祭壇があり、そこには昔の王家の墓があります。
そして、その手前には、イジー教会の創設者であるヴラティスラフ1世のお墓があります。
その向こうの壁の穴からパイプオルガンが見えています。
こちらは、ヤン・ネポムツキー礼拝堂。
天井にも美しいフレスコ画が描かれています。
プラハ城 - 旧王宮
12世紀に建てられたこの王宮は、16世紀までボヘミア王が住んでいた宮殿です。
第一室には、17世紀の緑のマジョリカ焼きのストーブがあります。
そして、なんといっても、有名なのはベネディクト・レイト築のヴラディスラフの間。
完成当時ヨーロッパ最大のホールだったようで、戴冠式をはじめ重要な行事がここで行われました。
今でも、大統領選や公式な祝賀行事はここで行われているようです。
梁がなんとも印象的です。
こちらは「議会の間」。
裁判や国王と貴族の交渉などが行われていたようです。
王権の象徴である王冠(聖ウェンセスラスの王冠) ・笏・宝珠。
日本で言うと、八咫の鏡、八尺瓊勾玉、草薙剣といったところでしょうか。
「新国事録の間」。天井一杯に紋章が描かれています。
こちらの部屋には、古い本も。
プラハ城 - 黄金小道
さらに、旧登城道の方へ戻っていくと黄金小道(Zlatá ulička)と呼ばれる一角があります。
ここへ入っていくと、色とりどりの小さな家が並んでいますが、もともとは城に仕える従者たちの家だったようです。
錬金術師なども住むようになりこの名前が付けられたそうです。
ちなみに、22番と書かれた家には1916~1917年フランツ・カフカが住み、執筆活動をしていたとか。
お土産物屋さんになっていたり、古い生活を再現していたりと、一軒ずつ見て回ることができます。
さて、ここから再度入口の方へ戻っていきます。
新王宮と聖ヴィート大聖堂の間には、「聖イジーとドラゴン」の像がありました。
チェコ語で言うところの聖イジーは、一般的に聖ゲオルギオスと呼ばれる聖人で、英語ではジョージ、ドイツ語ではゲオルグなんですよね。
聖ゲオルギオスはローマ末期の聖人で、ドラゴン退治で有名だとか。
第二の中庭にでて、後ろを振り返ると聖ヴィート大聖堂の尖塔が見えます。
そして手前には、コール噴水。17世紀に作られたものだそうです。
そして、この鳥かごのようなものは井戸なんだそうです。
丘の上にあるプラハ城で井戸に毒物を入れられたら一巻の終わりなので、こんな厳重なもので囲んでいるのか?などと思ってしまいましたが、本当のところはどうなんでしょうか。
この中庭には、聖十字架礼拝堂(Kaple sv. Kříže)もあります。
18世紀にアンセルモ・ルラゴによって作られ、19世紀にクラシック様式で改築されました。
現在は、宝物展が常設されています。
そして、こちらが外からの風景。
門には、短刀と棍棒を持った巨人、その外側には、ボヘミア王国の象徴ライオンの像とモラヴィア王国の象徴ワシの像が置かれています。その奥の建物には、「マチアス門」がそびえています。
プラハ城の前の広場であるフラッチャニ広場は、アマデウスはじめ、映画やCM撮影にもよく使われる場所です。
こちらはチェコスロバキア共和国初代大統領トマーシュ・マサリク像。
おじさんたちが楽しそうにバンド演奏してました。
さて、ここから新登城道を通ってネルドヴァ通りへ降りていきます。
聖ミクラーシュ教会
ここから、ネルドヴァ通りを通って、マラー・ストラナ広場へ向かいます。
マラー・ストラナ広場にある、三位一体石柱(Morový Sloup Nejsvĕtĕjší Trojice)。
ペストの円柱とも呼ばれ、18世紀初頭にプラハで流行したペスト克服を記念して建てられたもの。
ヨーロッパではどの都市に行ってもこういった石柱があり、当時いかにペストが猛威を振るっていたかがわかります。
そしてこの広場の前に、2つ目の聖ミクラーシュ教会があります。
1日目にも聖ミクラーシュ教会行きましたが、こちらは別の聖ミクラーシュ教会。
ちょっとややこしい。
更にGoogle Mapでこの教会見ると、St. Nicholas Churchとなっていて、どうも聖ミクラーシュ、英語にすると聖ニコラウスのようです。
さらにややこしい。
この教会は、もともと13世紀後半にこの地区の中心的な教会としてゴシック様式で建てられますが、18世紀前半に現在のバロック様式で建て直されます。
白と金を基調にしたこの内装、当時の技術を結集したもので、圧倒されます。
天井には、「聖三位一体の祝典」と呼ばれるフレスコ画が描かれています。
なんとも柔らかい印象を受けます。
主祭壇を含む造形は、一つ一つ素晴らしいですね。
モーツァルトが1787年にここのオルガンを演奏したそうで、モーツァルトが亡くなったとき世界に先駆けてこの教会ではミサが行われたそうです。ウィーンでの葬儀が大々的なものではなかったことを考えると、少し複雑な気持ちになります。
お昼を食べようと、ムステーク(Můstek)駅まで行って、グランドホテルエブロパへ行くと、なんと閉鎖されているではありませんか。
のだめカンタービレでは撮影に使ってたんですけどねえ。。。
それでは、カフェ・ルーブルへ行こうと、歩きだしましたが、完全に道に迷って、なぜか聖イグナチオ教会(Kostel svatého Ignáce)のところまで来てしまいました。
全然違うところへ来てしまったようで、仕方なく次の目的地へ。
地下鉄でムゼウム(Muzeum)駅へ。
道に迷って時間がないので国立博物館の外観だけ写真撮影。
周りによさそうなお店も見当たらず、今日のお昼はマクドナルドになってしまいました。とほほ。
ドボルザーク博物館
地下鉄でDejvickáまで移動し、そこからドボルザーク博物館へ向かいます。
1720年にキリアーン・イグナーツ・ディーンツェンホファーによって建てられた「ヴィラ・アメリカ」と呼ばれるこの美しいバロック様式の建物がドボルザーク博物館です。
中には、ドボルザークが使用した机、楽譜、ピアノ、ヴィオラなどが展示されています。
ピアノはベーゼンドルファーでした。
広間にはピアノが置かれ、コンサートができるようになっています。
窓からは中庭が。
館内にはドボルザークの音楽が流れ、他の客は2~3組くらい。
折しも土砂降りの雷雨になってしまい、ゆっくりと音楽鑑賞。
ゆったりとした時間が流れていきます。
スメタナ博物館よりは、断然〇(マル)でした。
のだめカンタービレで出てきたマヤコフスキーホールなるものへ行ってみようと、地下鉄でNamesti Miru駅へ。
こちらは、ヴィノフラディ劇場(Divadlo na Vinohradech)。
ここの外観ものだめで使われてます。
どうもここがマヤコフスキーホールのようですが、よくわかりませんでした。
いくつかのブログを調べて、どうもここがそうらしいということで写真。
あってるかどうかは不明です。。。
夜は、コンサートですが、それはまた次回レポートします。