物事は原因があって、結果があるもので、

目的があって手段があるわけで、

手段が目的なわけではないわけで、

目的はあくまで目的なわけです。



子供が一番得意とする分野で、誰もがもっていたその姿勢をいつから失っていくのだろうかと考えます。


子供を見ていればわかります。

その子が純粋に興味をもって「なぜ、なぜ」と聞いているのを目にします。

子供と同じ視線で見ようとシンクロしてみると、どれだけ多岐にわたる分野で好奇心という探究心を発揮しているか、よくわかります。


子供はやはり天才というよりも、天性の好奇心の持ち主です。


それをいつから年齢を重ねるごとに、ポジションが変わるごとに、違う要素に侵食されていくのかなと思います。


何も持っていなかった時に観えていたはずの全体風景が、何かを持った瞬間にそれしか見えなくなるんですね。


上司と部下然り、社長と従業員然り、先輩と後輩然り、親と子然り、兄と弟然り、


いつから自分が優位に立っていて、全てにおいて優れていると勘違いしだすのかなぁと。


何かの問題に直面した時に、いつから目的よりも体裁を重視するようになるのかと。



目的こそが大事にも関わらず、しばしば自分のポジションの防衛もしくは、自分の優位性の保持に走ってしまう事が本能的によくあります。


先輩はいつから後輩に対しての絶対的な偉い存在で、親はいつから子よりも全てにおいて優れていると、誰が言ったのかというか、誰も言っていません。


親も子から学ぶことは沢山ありますし、上司も部下から学ぶことは沢山ありますし、先輩も後輩から学ぶことは沢山あるはずです。

それを僕らは浅はかさ故に勘違いしてしまい、学ぶことを忘れてしまい、防衛に走ってしまうんですね。


ミルという言葉一つとっても、様々な漢字があります。


見る、観る、視る、診る、看る


僕らがまずしなければいけないことは、全体的に観ることだなぁと。


目的は何で、この時点で必要とされる能力や人材は何かと、全体的に観る。


それからそこで最適なものを見出す。


という事ですが、往々にしてそれが通じないことがありますね。



年齢を重ねれば重ねるほど、ポジションが上がれば上がるほど、観る姿勢が取れなくなり、上から見る事しかできなくなる事ってよくありますね。



うっかりしないと忘れてしまうので、気をつけようと思い書いてみました。


僕らのパラダイムは、自分達が思っている以上に強く凝り固まっています。



全体論的に目的ベースで観てみれば、よりシンプルで効率の良い発想ができるなと思いました。