大発明ではなく、大発見です。
マス、マズローの新しく買った本を読んでいてふと浮かんだ発見がありました。
自己実現している人というものはあらゆるものの2元論的思考から開放され、全てが統合されていくということです。
善と悪、正と負、あなたとわたし、自国と他国、科学と宗教、など、物事を分離するのではなくあらゆるものを統合した結果としての全体論的な部分として、物事の側面を捉える傾向にあるということです。
そこでふと思いついたことがありました。
成熟した人格というものを捉えた場合、僕の頭の中のイメージは、「珠玉のような人格」なんです。
この「珠玉のような」という事は、「統合」という意味そのものじゃないかと。
統合というものはあらゆる要素を一と見ることであって、全てが1つのものに含有・包含しているという意味です。
一般的に人間は多面体という事がよく言われますが、その面が多数あるからこそ多面体ということなんですが、その面(価値観や考え方、趣味嗜好、性向など)を全て統合すれば、イメージできる形って、「珠玉」じゃないですか。
ということは、成熟したという意味と、完全なるという意味がほぼ同義であると考えた場合、「自己実現によりあらゆる価値を統合した人物」というのは、「珠玉のような人物」というイメージと全く合致するじゃん!じゃんじゃんじゃん!
とひらめいたのです。
いや、これコイカラばりの自分から騒ぎですけど、すんごい発見なんですよ。
自分が持っていた直感的な本質的理解とマズローの本質的理解が同じかほぼ類似しているということの証明になりますし、マズローを尊敬する理由もこれでより一層納得できるんです。
で、人間は多面体といわれますが、更にそれを別の事柄に適用しますと、論語でよく出てくる、「君子」という言葉。
いわゆる聖人君子ではありますが、その君子とはという事を表現した論語の一節で引用すると、
・君子は周して比せず、小人は比して周せず
「君子はひろく親しんで一部の人におもねることはないが、小人は一部でおもねりあってひろく親しまない。」
これ、ちょっときつい響きではあるんですが、なぜこれが出来るかというと、人間が多面体から球体にまで成熟した場合、どんな面を持つ人間とも公平に交流することができるという意味じゃないのかなとおもうんです。
ということは、この論語で言う君子というのも、「多面体を統合した存在としての、珠玉のような人物」をさすのであって、球体になったからこそ、どんな人物とも分け隔てなく交わることができるのではないかと。
俗に言う、博愛というのはそいうことではないのかと。
これね、コイカラみないな自分から騒ぎですが、すんごい発見なんです、すんごいみんなつながったんです。
で、その観点から周りを見渡してみたら、レオナルド・ダ・ビンチが描いた有名な絵あるじゃないですか、この日記につけているもの、これもイメージは「円」、すなわち、「玉」ですよね。
それも意識してか無意識か、完全という固体としての「球」を描いた節があるんじゃないかと。
地球も「球」ですね。
車の車輪見てください、とても険しいところは別ですが、それも含めてもどんな道路や地面にも一番対応できる理想的な形は、「輪」、すなわち、「球」ですね。
「水晶」は美しいですね。「球」ですね。
と、こんな風に、よく見てみれば「球」は溢れていて、その応用性と汎用性という点で、どんな形よりも優れたバランスの取れた形が「球」なのじゃないかと。
それを自然との交わりや、本能的な観念を通して、「球」というイメージが染み付いているのではないかと。
この発見というか、自分から騒ぎ的な発見によって、何か1つ腹に落ちたというか、
「あ、ひらめいた!! イヒ!!!」
みたいな至高体験にも似た感覚に陥ったのです!!
それをいてもたってもはぎしりもいられなくて、ここで書いてパワーを発散しているのです!
地下鉄でマズローを呼んでいてひらめいたこれ、興奮してエスカレーター使わずに階段を駆け上がったのはいうまでもありません。
軽く足並みはスキップだったのは言うまでもありません。
脳内麻薬、でまくりです。
-マズローの名言お便り紹介コーナー-
世界は、現在抱いている政治的信念ではなく、未来の真実によって恩恵を受ける方がずっと多いと思う。
私は現在もっている知識を信じる以上に、これから得られる知識を信じる。
かっこいいなぁ。かっこよすぎるなぁ。
マス、マズローの新しく買った本を読んでいてふと浮かんだ発見がありました。
自己実現している人というものはあらゆるものの2元論的思考から開放され、全てが統合されていくということです。
善と悪、正と負、あなたとわたし、自国と他国、科学と宗教、など、物事を分離するのではなくあらゆるものを統合した結果としての全体論的な部分として、物事の側面を捉える傾向にあるということです。
そこでふと思いついたことがありました。
成熟した人格というものを捉えた場合、僕の頭の中のイメージは、「珠玉のような人格」なんです。
この「珠玉のような」という事は、「統合」という意味そのものじゃないかと。
統合というものはあらゆる要素を一と見ることであって、全てが1つのものに含有・包含しているという意味です。
一般的に人間は多面体という事がよく言われますが、その面が多数あるからこそ多面体ということなんですが、その面(価値観や考え方、趣味嗜好、性向など)を全て統合すれば、イメージできる形って、「珠玉」じゃないですか。
ということは、成熟したという意味と、完全なるという意味がほぼ同義であると考えた場合、「自己実現によりあらゆる価値を統合した人物」というのは、「珠玉のような人物」というイメージと全く合致するじゃん!じゃんじゃんじゃん!
とひらめいたのです。
いや、これコイカラばりの自分から騒ぎですけど、すんごい発見なんですよ。
自分が持っていた直感的な本質的理解とマズローの本質的理解が同じかほぼ類似しているということの証明になりますし、マズローを尊敬する理由もこれでより一層納得できるんです。
で、人間は多面体といわれますが、更にそれを別の事柄に適用しますと、論語でよく出てくる、「君子」という言葉。
いわゆる聖人君子ではありますが、その君子とはという事を表現した論語の一節で引用すると、
・君子は周して比せず、小人は比して周せず
「君子はひろく親しんで一部の人におもねることはないが、小人は一部でおもねりあってひろく親しまない。」
これ、ちょっときつい響きではあるんですが、なぜこれが出来るかというと、人間が多面体から球体にまで成熟した場合、どんな面を持つ人間とも公平に交流することができるという意味じゃないのかなとおもうんです。
ということは、この論語で言う君子というのも、「多面体を統合した存在としての、珠玉のような人物」をさすのであって、球体になったからこそ、どんな人物とも分け隔てなく交わることができるのではないかと。
俗に言う、博愛というのはそいうことではないのかと。
これね、コイカラみないな自分から騒ぎですが、すんごい発見なんです、すんごいみんなつながったんです。
で、その観点から周りを見渡してみたら、レオナルド・ダ・ビンチが描いた有名な絵あるじゃないですか、この日記につけているもの、これもイメージは「円」、すなわち、「玉」ですよね。
それも意識してか無意識か、完全という固体としての「球」を描いた節があるんじゃないかと。
地球も「球」ですね。
車の車輪見てください、とても険しいところは別ですが、それも含めてもどんな道路や地面にも一番対応できる理想的な形は、「輪」、すなわち、「球」ですね。
「水晶」は美しいですね。「球」ですね。
と、こんな風に、よく見てみれば「球」は溢れていて、その応用性と汎用性という点で、どんな形よりも優れたバランスの取れた形が「球」なのじゃないかと。
それを自然との交わりや、本能的な観念を通して、「球」というイメージが染み付いているのではないかと。
この発見というか、自分から騒ぎ的な発見によって、何か1つ腹に落ちたというか、
「あ、ひらめいた!! イヒ!!!」
みたいな至高体験にも似た感覚に陥ったのです!!
それをいてもたってもはぎしりもいられなくて、ここで書いてパワーを発散しているのです!
地下鉄でマズローを呼んでいてひらめいたこれ、興奮してエスカレーター使わずに階段を駆け上がったのはいうまでもありません。
軽く足並みはスキップだったのは言うまでもありません。
脳内麻薬、でまくりです。
-マズローの名言お便り紹介コーナー-
世界は、現在抱いている政治的信念ではなく、未来の真実によって恩恵を受ける方がずっと多いと思う。
私は現在もっている知識を信じる以上に、これから得られる知識を信じる。
かっこいいなぁ。かっこよすぎるなぁ。