先週土曜日、盛和塾の勉強会でした。

今回も成功されていらっしゃる企業からの体験を聞き、それに関しての問題点の提議、今後の対策など、生きた事例を用いてのケーススタディ、とても勉強になりました。


そこで再度学んだ事、



何事においても、その奥にある本質を捉える事の重要性というものを再確認しました。


何かにつけて、僕たちはすぐに「わかったつもり」になります。



たとえば、本などを見たり、人から体験談を聞いたりした時、それに関して「近い情報」を「知識として知っている」だけで、それがわかったつもりになり、もう学ぶ余地は無い、と勝手に判断してしまい、「思考を止める」ケースがよくあるかと思います。


それは、「本質を捉えた上での理解」ではなく、単に「知識の中にそれに近い情報があるだけ」なんじゃあないでしょうか。


「情報が置いてあって、それが少し一致した」だけなのにも関わらず、「あ、これはもう知っているや、だから勉強しなくていいや、」と思ってしまう節が往々にしてあります。



でも、、「ある一定の範囲から範囲の情報の一致」だけでは、その本当の意味、本質を知ることは絶対に出来ないと思います。


本質を知るためには、そのバックグランド、外的要因、内的要因など、その物事の過去、そして現在という結果までしっかりとイメージできるようになる必要がありますし、そのためには、「全てを包括的に分析できる能力」が必要になるのではないかと思います。


それが出来てこそ、初めてその事象について、原因と結果について、少なくとも「理解できた。」と言う事ができるのではないでしょうか。



そして、その「本質を捉えようとする目」を養い続けることによって、「過去の結果としての現在、そして、現在の結果としての未来」を予測する目を養う事ができるのではないかと思います。



起きた現象の「結果」だけを見て、「わかったつもり」になっている人には、「未来を見ることはできません」


全ての物事を包括的に考え、その原因結果、そこに至るまでのプロセスについて「思いを馳せず」、ただの表面的な結果という事象を、「顕在化した情報が全て」という認識だけで、自分は全てをわかったような「そぶり」を見せている人間は、「自身に蓄積していくものが何もない」ばかりか、「自身の方向性までも危うくさせてしまう」事になりかねないのではないかと考えてしまいます。



結果が全てではなく、原因とプロセスが全てであって、結果は、あくまでもただの「鏡」なのではないかと思います。


それをしっかりと理解せず、「結果」というものだけに捉われ、その結果に至るまでの過程を何も顧みない人は多いと思います。



だから、一般的に言われる、「成功している人」と、「成功していない人」を切り離して考えるのでしょう。
だから、努力している人を見て、「努力して何になるんだ」と冷めた目線で見るのでしょう。


成功の定義なんて、それぞれの心の中にあるにも関わらず、それを見ようとせずに、一般的に言われるような定義を勝手に解釈して、「成功者」と「落伍者」をわけるんでしょう。

勝ち組と、負け組みを分けるんでしょう。


そして、「楽して自分もそういう風になれたらなぁと、浅はかな夢を抱いて」、サマーじゃんぼ宝くじを買ったり、一攫千金を求めてギャンブルをするんでしょう。 笑


断言してもいいです、宝くじなんて当たったとしても、「そのお金の使い方を蓄積していない人間」が、いきなりそんな大金を持ったとしたら、長期的に見た場合、余計不幸になるだけです。


「一般的に成功者と呼ばれるような人たち」も、階段の1段目からいきなり100段前進するようなことは、ほとんどないですよね、人よりも考え、人よりも行動し、人よりも時間を有効活用したことによって、1段1段階段を人よりも早く登ったにすぎません。


ごく稀に、「天才」と呼ばれるような人たちもいますが、それが「幸せ」かどうかなんて、その人にしかわかりません。



「会社は経営者の器以上に大きくならない。」、「会社が経営者の器以上に大きくなることは、結果的にその会社に関連する全ての人間を不幸にする事になる。」、といわれる所以は、そこにあるんですね。


同じく、様々な事象についての「本質を見る目」を養う事ができなければ、ちょっとした問題に当たった時に、この問題が何を意味して、将来にどう自分に影響するかを見る事ができず、ただパニックになり、周りのせいにし、人生終わったような顔をするのですね。



そういう人間の方が、「自分がこんなに不遇なのは、世間のせいだ。」と、自分が原因であるにもかかわらず、世間をねたむ傾向があったりするんですよね。


本当のところ、「全ての原因は自分。」なんです。


僕もよくうまく行っていない時は、世間をうらむ節がありますので、せめて「世間ではなく、自分が原因」という姿勢と、将来の自分への投資として、「常に物事の本質を捉える目」を養いたいと思います。



ちなみに、これは僕自身に言い聞かせていることですので、ある特定の誰かを指して言っているわけではありません。



ここで書く内容のほとんどは、「弱い自分という側面」に対しての戒めや、励まし、約束ですので、誰かに対する「文句や批判」ではありません。



ちょっとタイトルから行ったり来たりするような感じになりましたが、走り書きなので許してください!! 笑


あと、いちいちわかりきったことをクドクド書くんじゃない、と思わないでください、この行為自体が自分への蓄積になり、確認になるんです。。 笑