こんにちは。星影です。
今日関東は良いお天気の素敵な土曜日になりました。それにしても三寒四温どころか、一寒二温ぐらいコロコロと寒くなったりあったかくなったりしますね。
今日は先日の『変わり続けること Part1』に続きPart2です。
対象アニメはまたまた『ヴァニタスの手記』。
今回もネタバレありますんでその辺踏まえてお読みください。『ヴァニタスの手記』をご存知の体で書いてる部分もありますんで、わかりにくかったらごめんなさい。
で、今回はですね。『ヴァニタスの手記』2nd シーズン の最後のシーンから。ヴァニタスと一緒にドクターモローの実験体として捉えられていて、ヴァニタスをお兄ちゃんと慕っていたミハエルは蒼月の吸血鬼の眷属というヴァニタスと同じ境遇にいるわけですが、ヴァニタスとまた一緒にいたいが為にヴァニタスに、「お兄ちゃんの痛みは同じ思いをしてる僕しかわからない、お兄ちゃんが人間でないものになった時は僕が殺してあげる」って言うんですけど、ヴァニタスは「殺されるならこいつ(ノエ)がいい」ってミハエルと一緒にいることを断るんです。
で、漫画のお話はまだまだ続いてるんですけどアニメは今のところそこで終わってるんですよね。
まぁ、お話の中のミハエルは自分の欲望のためにヴァニタスと一緒にいる邪魔なノエを殺そうとしてた、っていう歪んだ愛情を持つようになってしまってるんですが、これを見て私、キリストの教えを思い出したんですよ。
キリストが悟りを開き信者を引き連れて帰郷した時、その村人は、キリストのことを面白く思わなかったんですね。「あいつはただの大工の息子じゃないか」って思う訳です。そして自分たちの方がキリストを長く知ってるんだから自分達の方がキリストから多く与えられるべきだ。(確かぶどう畑だったと思いますが)って言うんですね。
でそれに対してキリストはそうじゃない、昔から知ってるからという時間の長さが、その人を理解し近しい者とはならず、多くを受け取れるという基準にはならない、今自分のまわりにいる人達こそ多く受け取るに値する、と諭しました。
キリストは人間が理屈や道理で物事を判断しがちな部分を教えてくれていますね。これは以前の”アニメに学ぶ”でもお話しした人間が”正義”という理屈を振りかざして間違いを起こしてしまう部分にも通じてくるところです。ヴァニタスも、少年の頃同じように痛みを味わったミハエルよりも医者となりバンピールを治療し始めた後に出会ったノエを選びました。
人って決して同じペースで成長しているわけではないでしょう?何十年も一緒にいた夫婦が子供が巣立って別れたりすることがあるのもその例ですよね。
つまりですね。時間って人と人が分かり合うために必ずしも不可欠なものではない、ってことです。成長し続けることはすなわち変わり続けること、それが自然の摂理であり、変わっていくごとに新しい人達、新しい環境を引き寄せて行きながら自分をどんどんと知っていくのではと思います。
。。。かと言って長い間友達でいたり、夫婦でいることがダメってことじゃ決してないですよ。そういう人達はお互いがお互いを刺激し合い、影響し合い、尊敬し感謝し合い、高め合ったからこそ同じ時を長い間共有できている、っていうミラクルな状態なのだから、それはそれでその状態を互いに四六時中お祝いし感謝するべきものだと言えるぐらいスペシャルだと思います。だからもちろん心から喜び誇りに思っていいんです。
だから同時にここで言いたいのは、今孤独を感じるような状態にいる人達、もし不安を感じたりしてるならそんな必要まーったくない!訳です。自分の気持ちに素直に従い心を閉ざさずにさえいれば、必ず一緒にいて笑い合え心を許して合える人達と出会えるはずなのです。
後ね、人が誰かを理解出来てると勘違いしやすいことの一つに、同じような辛い思いを体験してるから、っていうのがあると思います。今回のミハエルがそうですよね。でも前を向いて進んでいる者にとっては、辛かった時期の自分は自分らしくなかったと思っているかもしれない、その頃の自分のことを好きでなかったかもしれない。。。同じ穴のムジナって言葉がありますが、そのムジナ同士、心の慰めになり支えになることはあるでしょう。同じような傷を背負いながら傷を舐め合うだけでなく、その中で絆を深め、一緒に成長していける関係だってもちろん存在すると思います。でもずっとその穴に居て傷を舐め合うことが愛情だと信じてしまっている人と、穴から出てまた違った部分で周りと繋がりたいと思っている者がいたとすれば、彼らの間にずれが生じてくるのは自然の成り行きだと言えるのではないでしょうか。
。。。それに、人間って本能的に自分の良い部分強い部分を見てくれている人と自分の駄目な部分弱い部分にフォーカスしている人ってわかるものだと思いません?その逆もありきで、自分にエネルギーを与えてくれる人っていうのもわかる場合多いと思います。そういう人はお金や権力でコントロールしたりマウント取ったり、時には無意識に愛情をかざしながらmanipulate(コントロールしようと)してその人を助けるという形をとりたがったり、自分という人なりや立場などを維持しようとしてしまう。。。でも、そういうことが起こる中、人ってやっぱり(これも本能的に)自分の強さやいいところを見てくれている人達と繋がっていたいものだと思います。
何をしてもダメ出ししてくるような上司とかはわかりやすい例ですけど、そんな人の下で働きたいとは誰も思わないですよね。例えばあなたのことを思って、あなたはこういうところがあるから私が支えてあげたい、なんて愛情をかかげながらエネルギーを吸い取って実はその人の成長を妨げている人って案外多いと思います。
家族、友達、恋人と親しい間柄で何かしら執着がある関係ほど難しいものだとは思いますが。。。
『ヴァニタスの手記』のミハエルとヴァニタス、ノエとの関係ってそういうのが実に上手く描かれてるな〜と感じます。心優しいノエはヴァニタスのこと、ヴァニタスの生き方を同情などではなく認めている、っていうのヴァニタスにもちゃんと伝わってるんですね。”う〜ん素敵。。。”と思いながら見ています。
一応追記しておきますが、何年も長い間続いている関係に意味がないなんてそんなことは言ってませんよ。お互いが影響し合い、高め合い、時にはぶつかり合いしながら成長できている間柄だからこそ同じ波長で同じ時を共有できてるってことですからこの上なく素晴らしいことですよね。毎日祝杯でお祝いしていいほどミラクルな状態なわけです。それをそこまで理解できればホント今の現実に対して毎瞬でも感謝の気持ちって生まれてくるものだと思います。
もちろんここで一つ私が言いたいのは、そういうスペシャルな関係を築くことができてる人達に、それが素晴らしくものであってもその状態が人より優れている状態ということでは決してないってことも理解していて欲しいです。成功とかお金とか仕事とか住んでるとことかいろんな条件を満たすことが心を満たす幸せに必ず繋がってるか?って聞かれればそうではないじゃないですか?それと同じです。この間”正義”について話しましたけど、”正しい””これは良いこと!”を掲げて行動することは決して悪いことではなくても無言の圧力や刃になっている場合がある、それらの”判断”によって、社会的に弱い立場にいる人達が変化できる機会を奪っていることもあるってこともうそろそろ共通認識として浸透してもいいんじゃないかという気がします。
だからその反対の立場にいる人達も本来はちっとも気に病む必要はないとも言えます。今現在一人で孤独を感じている人がいたとしても、自分の心に素直に従いあきらめず何かしらの形で前に進んでいれば、必ず自分と前向きな形で繋がれる人達と出会えるはずなのです。
私ね、日本も早くホームスクールの制度が正式に認められればいいのに、って思ってるんですよ。いじめとかで辛い思いをする子達がすんなりと自分達は良くない意味で特別なんかじゃない、って理解して社会に戻って行けるシステムって必要だと思いません?そもそも義務教育の意味って何なんだ、って考えた時社会に出て生きていけるだけの必要な知識やスキルを身につけるってことでしょう?社会性を身につける、とかいうのは後からついてきたもんですよね。寺子屋で学んでた頃のように文字や計算を学ぶ機会自体が特別だった時代じゃないんだから学ぶ形っていうのはどんどんと変わっていくべきなんですよ。
アメリカじゃ、芸能関係の仕事をしている人はホームスクールで学んでいる人は多いし、山岳地帯で自然に囲まれた地域で育った子が学校に馴染めず、ホームスクールにして自分のやりたい動物に携わる勉強がしたいとそういう大学に進んでから友人もできて成功した、っていうような話、いくつも聞いたことあります。
。。。ってまぁ、徒然なるままに書いてるとまたいろんなところに飛び火して行きそうなので今日はこの辺にしておきます。
。。。それにしても、日本のアニメってこういった社会問題を実にうまく描いてるもの多いですよね。ワンピースとかの海軍の”正義”って書いてる制服とか大好物です。
今回はアニメから”変わり続けること”について改めて考えてみました。
私自身はこれからもずっとずっと”変わり続けて”いきたいですね。
皆さんはどうですか?
許します!ありがとう!感謝します!嬉しい!楽しい!大好き!愛してる!よかった〜!幸せ〜!ついてる〜!
そして私は決断する!!
それではまた〜
星影