
夕方、父とオルセーへ……、行けるワケがないので、父と上野のオルセー美術館展へ行って参りました。
連日長蛇の列だそうですが、どこぞの協賛会社による休館日特別御招待なるものをいただいたらしい。
月曜の上野はさぞ寂しかろうと思いきや、びっくり。
もう花見をやっていました、花一輪咲いていない(ように見えた)桜並木の下で。
おきまりの提灯もダーッと並び、大賑わい。
摩訶不思議な光景でありました。
学生時代、この公園を突っ切って大学へ通わねばならず、どんなに爽やかな春の朝であろうと大変酒臭いヨッパライが鳩まみれになりながら居眠っている横を通り過ぎるのは、うら若き乙女にとってはトラウマ必死。
いまだに上野の花見は苦手です。
さて、オルセー展。
スーツ姿が並んで敬礼する横を通り過ぎて展示場に入れて頂きましたが、父が「なんかヤクザの親分になったみたいな気がしてヘンだね」と言うので笑ってしまった。
ヘッドフォンでガイドを聴きながら「へーへーほーほー」と観て回りましたが、帰り際、父が「絵はまあまあだったけど、ゴーギャンがタヒチで作った額は良かった」と言うので、またまた笑ってしまった。
帰りのタクシーの中で「で、オルセーってどこにあるの?」と言うので、「 パ、パ、パリでしょーっ!」と大笑いしてしまった。
(ちなみにガイドでは「この時代のパリでは、」という説明を、少なくとも100回は繰り返していた)
その後、「食事はどうするの?」と遠慮がちに聞いてくるので、一緒にご飯を食べに行きました。
思えば、父とサシで食事をするのは初めてかもしれない。
「なに話そっかなー」と迷って、はやりの「万俵家の血液型を巡るゴタゴタ」などを血液型についてのご意見をうかがいつつ話してみせましたが、「ふむふむ」と聞いた後に、「なんでかわかんないけど、血液型の違いっていうのはあると思う」と答えて下さった。
そこから、あいつはどーだ、こいつはこーだ、だからあいつはダメなんだ(この場合のトピックは大抵弟)、という話に花が咲き、そうして、しばーらくしてから、「あれ、誕生日だったんじゃないか?」とおっしゃる。
間の抜けたタイミングで「かんぱーい」とやった後、
「四十にして迷わずって言うけど、その時代の人はきっと早く死んじゃったから四十でお年寄りだったんだよねぇ」(バカ)
と言ったら、
「言ったのは孔子だけど、孔子は七十過ぎまで生きて『生き過ぎた』って言ったんじゃないか」と言われてしまった。
「げ、そうか。なんでそんなに達観しているんだろう」
「まあ、『十五にして学に志す』人だからねぇ」
「凄いねぇ。どういう頭をしてたんでしょ」
「マヤ民族の子孫だって説があるよ。先祖がベーリング海峡づたいに渡ったんだってさ」
「へーっ。やっぱり民族によって優劣があるわけ? そういやインド人は優秀よねぇ」
「インド人の優秀なのはアレキサンダー大王と原住民の混血だよ」
「そうなのー」
「アレキサンダー大王の家庭教師はアリストテレスなんだけどね、」
「ほー」
「アリストテレスが『老い』について語った一言があって、あれは唸ったな~。この歳になって凄く実感するんだけどね」
「なに~?」
「『老いとは、乾燥である』ってさ」
「ひーっ」
「アリストテレスは最初の生物学者でさー……」
ということで、
そういえば、このお方はトリビアオヤジだったことを思い出した。
思えば、聞けばなんでも答えてくれるので、学校の授業も「家で聞けばいいや」と思って全然聞いていなかったのが私の人生の転落の始まり……。
いまだに何を聞いてもあまり「わかんない」という答えは返って来ない気がします。
アリストテレスから自分の仕事の話になって、来年は自分のすごい発明で一儲けしてやるなどと言って笑っている。
聞きながら「へーへーほーほー」とやっていたら、「ハタ」と気付いたように止まって、「いやー、七十のじいさんにもなると、色んなこと憶えちゃって困っちゃうねー」
ひゃっひゃっひゃ、と笑う。
いや、いつまでも変わらぬその現役ぶりと謙虚ぶり、尊敬します。
娘は一生あなたを超えることはないでしょう。(それは誰の目にも明らかなのだが)
だけど、オルセー美術館がパリにあることを知らなかったのは、ちとマズかったな。