鎖国していた頃の日本に、グローバルな視野を持った人は存在しなかったのだろうか。
などと申すのは、参加したセミナー「グローバルに活躍する秘訣」なるものが、「それには留学ネ」という結論が大前提のもとに構成されていたので、そんなこととは思いもよらなかった私は肩すかしをくらった気がして、セミナーの間中「海外生活なくしてグローバルはありえないのか?」を模索していたからなのでした。
もちろん、賢者のお話は興味深かったのです。
とくに、タリーズコーヒーの松田社長のお話は、真摯で前向きで爽やかで、「カッコイイしモテそう」程度の浅い印象しか持っていなかった私であっても、素敵な人間力を感じました。
「文化の架け橋になりたい」
これは、海外生活を経験した人にとっては、特異なアイディアではないと思います。
でも、その理念をきっちり実行して大成功させている人は、多くはないと思います。
ベースに、眩しいばかりにグローバルな幼少時代からの生活学習体験と、その中でしっかりと培われた理想や問題意識が、成長しても失われずにきっちり存在し続けたことが大きいのではないかと想像しますが、当然努力あってのことだと理解します。
セミナーの流れで、話が「海外、留学」と突き進むなか、松田社長が、
「いや、坂本龍馬のように、藩の単位ではなく、日本という全体感で見ていた人も存在していたわけだし」
と言われた時には、思わず微笑んでしまいました。
自分も一時幕末モノにハマって司馬遼太郎などを読みあさったものですが、その中には、開国前に「アメリカという国では民主主義という考えのもとに政治を行っているらしい」と自国の幼稚さを嘆いた幕臣もいました。
ものごとを包括的に、俯瞰で眺められる人が、グローバルに物を捉えられる素養のある人だと思います。
留学は手っ取り早いけれど、それが無理だからといって、その素養を鍛えることができないことはないと信じます。
ただ、「幕末」みたいに、余程問題意識が活発に働くような時代でないと、難しいのかもしれません。
そんな中でも、自国に対してきちんと興味を持ち、何に問題を感じるかという意識無くして、「グローバルな視野」はあり得ない。
単に面白おかしく留学生活をしたって、グローバルに活躍する人にはなり得ない。
そこを語らずに「海外へ行けば視野が広がるよ」というセミナー構成では、ちと話が大雑把過ぎて、私には何だか居心地が悪かったのでした。
セミナーではない場所で、賢者視点の「グローバル」について伺ってみたいという欲望が生まれてしまいました。
しかし、それには私もグローバルに活躍できるカッコイイ人になって、立ち位置を近付けなければならないわけなのですが。















