伊都国つうしん 205
● 中沢新一という人が書いた本です。
ちょっと硬めで長くなりそうです。
精神(心)に関心がある方は、ついてきてください(笑)。
中沢新一、1950年生まれ。この本のプロフィールには、
思想家・人類学者とあります。
大学院生時代に(1979年から)、ネパール・インドで、チベット仏教を学びます。
帰国後、1983年に『チベットのモーツアルト』という本を出版します。
この本、いわゆる思想本としてはめずらしいほど売れ、話題にもなりました。
私も、当時この本を買い読みましたが、内容はほとんど忘れていますし、
当時、実際に『チベットのモーツアルト』を理解したかどうか不明です。
この『精神の考古学』という本は、実は、中沢新一が1979年から80年代にかけて
おもにネパールで修行修練した、その実際の様子、当時の彼自身の精神(心)の
変化・習得・高揚など、実際の体験を、緻密に感銘的に記録したものです。
なぜ、実際の体験から40年以上も経ってから本にしたのか、
理由はいろいろあるようですが、彼自身の中で熟していなかったようだし、
それまでの時代にはない現在時点での世代に、残すべき時期と強く思ったようです。
さて、この『精神の考古学』という言葉、
実は、先の『チベットのモーツアルト』が文庫化されたとき(2003年)、
その解説を書いた吉本隆明(詩人・評論家)の言葉からとったと、
まえがきに書いています。
自分が、やってきたことは、精神(こころ)の考古学だったのだ、と
中沢新一自身が、その解説によって気づかされたといいます。
(それだとしても、それからも20年以上経っている)
『精神の考古学』 中沢新一著
新潮社 四六判432p 2,700円(税別)
図書館で借りて読み始め、
これは買ったほうがいいと購入した。
●『精神の考古学』の内容は ………
432pの分厚い本、しっかり把握したとは思えませんが、
おおまかにざっと自分なりの理解で説明してみます。
考古学は、発掘によって出たモロモロから時代を特定し、
その時代の人々の暮らし方や生活ぶりや社会や政治の形態、
あるいは死生観など、当時の人々の心の様子などをも研究する学問です。
それに対して、精神(心)の考古学は、
宗教が生まれる以前、旧石器時代の頃から、人々はどのように精神(心)育んできたのか、
朝が来て夕方になり夜になる日々の中で、そして当時の自然環境の中で、
どのように感じ考え、知識と知恵を発展させ、それを伝承してきたのか、
を知るための研究です。
そのためには、
「この精神(心)の考古学とでもいうべき専門家たちにはたった一つの方法しか考えられない。
それは未開の宗教、医術、知識、経験などを継承し、それに通暁しているか、それらの技術を
保存している固有社会の導師に弟子入りしてその技法を体得し、その核心を現代的に解明する
ことだ ……」 (先の吉本隆明の文庫の解説より)
中沢新一は、まさにその「固有社会の導師」である
チベット人(中国の圧力から逃れネパールに住む)ケツン先生に出会い、
その師から、古代から伝えられている「チベットの原始密教の精神過程と技法」である
「ゾクチェン」と呼ばれる体系を学び修練していきます。
文字通りそれは、人間の精神についての「考古学」だったそうです。
人間の精神(心)の深い地層にまで潜っていくと、言語的思考、つまり言葉による考えが
どんどん消えていくようになるとのこと。
意識でもない無意識でもない、自然の状態にある精神にふれていく………
彼は、ゾクチェンの修練によって、それを獲得したようです。
中沢新一は、本のなかで「アフリカ的段階」という言葉を使っていますが、
それは今でも奥地に残っている旧石器時代的な生活をしている人々のことのようです。
あるいはオーストラリアのアボリジニたちが残している自然との対話の古い習慣。
日本でいえば、縄文時代の人々の精神(心)の段階ということかもしれません。
ゾクチェンの技法は、さまざまで、ヨガ(瞑想)にちかいものもありますが、
もっと強烈で深いもののようです。
例えば、その中に「暗闇瞑想」という修練があります。
まったくの暗黒の部屋の中で、2週間連続で居続け瞑想するというものです。
もちろんその部屋にはトイレや食べ物を入れる工夫もありますが、
いずれにしろ生活じたいはまったくの暗闇の中です。
真の暗闇の中で瞑想し自分の内から現れるものを待つ……そうすると
光が現れてくる………それは自分(だけ)の色が出てくる……そうです。
そして中沢新一が見た自分の光の色が、
上の写真、本の表紙装画に使われている色だったそうです。
これは、音楽家であるブライアン・イーノが描いた作品だそうで、
京都で行なわれたイーノ展でこの作品を観たとき、
まさにこれだ、このオレンジはあの時観た私の魂の色だ、と思ったそうです。
そしてブライアン・イーノに話をし、了解を得て装画に使ったそうです。
2週間の暗闇瞑想で、意識でも無意識でもない自然の状態にある精神となり、
暗闇の中に現れてきた光が発する、自分自身の色を観る………。
それはおそらく、
「アフリカ的段階」、あるいは縄文人たちが、自然の中で感じた
精神(心)そのものを体現している………ということなのかもしれません。
ま、なにしろ40年以上前に、中沢新一がネパールで体験した
ゾクチェンのさまざまな修練は、読んでいるだけで、感銘的で面白いものでした。
●話はまったく変わり。
近くの JAショップから、天草を買ってきて、ところてんを作りました。
自作のところてん。
初めてにしては、とてもよく
おいしく出来た。
以前、プール知り合いの女性
(彼女が言うにはプールレッスンにきている女性陣の中で、お酒が飲めるのはきっと
私だけだ、とのこと。なので沖縄時代のようにプール知り合いでの飲み会などない。
それが、私としては、地元の人と深く話ができないので、とても残念なのです)
彼女はわざわざ天神のほうまでクラフトビールを飲みに行くんだ、という話を聞いたので、
私の自作ビールを1本差し上げたところ、お返しに、彼女自作のところてんをくれました。
その自作ところてんが、とてもおいしかった。
市販のところてんがとてもまずく感ずる、という話をしたところ、
(実は、もう一度、自作ところてんをもらえないか、という下心があった)
あそこのお店で天草を買って、簡単に、おいしいのができるから!ということで、
私も、挑戦してみたのでした。
天草を買い、ついでにネットでところてん天突きも買ってしまった(笑)。
で、初めての体験でしたが、失敗なく、ナミさんからもおいしいと言われた
自作のところてんができた、というわけです。
長々と、おつきあいいただき、ありがとうございました。

