ガンガラーの谷と港川人 | Okinawa通信 ⇒ 伊都国つうしん

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2010年1月。30年以上住んだ東京から引越し、沖縄生活をスタート。
その沖縄に10年暮らし、『Okinawa通信』を書きました。
が、さらに、2019年10月末に、ここ、福岡市西区・糸島近くの
「伊都国(いとこく)」の地に。

Okinawa通信728

● 沖縄には、約 2万年前という日本最古の人類・ 港川人 (みなとがわじん) がいました。

   骨が出た場所は、沖縄南部で、鍾乳洞の多いあたりです。
   その一郭に、鍾乳洞が崩れた、ガンガラーの谷という所があります。
 

先月、南部を廻ったときに、久しぶりにそのガンガラーの谷を訪れました。

沖縄に来て1年目か2年目、このガンガラーの谷で、
ギタリストの押尾コータロー、アコーディオンのコバ、フラメンコギターの沖仁、
3人のライブがあり、それを目当てにやってきたとき以来です。
その話はブログでも書きました。


今回は、ガンガラーの谷ツアーという、約1時間半、ガイドの案内のもと、
古代の鍾乳洞の崩れた跡がそのまま残る場所をめぐる、ハイキングに参加することにしました。
ツアー料金は、1名2,200円とちょっと高め。

私、いつものように、Tシャツ短パン島ゾーリでしたが、一応確認してみて大丈夫とのことでした。
ツアー開始の前に、まずガイドさんからの説明があり、

そこにスプレータイプの蚊よけが置いてあったので、しっかり十分にガードしてから出発しました。


古代は洞窟だったのが崩れた、ということがハッキリ分かる地形、
巨大なガジュマルをはじめ、亜熱帯特有の植物群、そして現在も発掘調査をしているという遺跡など、
なかなか興味深いツアーでした。


が。
ガンガラーの谷に入る前に、ちょっと (大丈夫かな …) と心配していたことが、現実になりました。

何度か書いていますが、

沖縄にはあちこち、(う~む、ここはちょっと近寄れません …) という場所があります。
それを、感じる感じないは、人によります。

その場所は、墓 (沖縄墓ですが町なかのあちこちにあります) だったり、ガマと呼ばれる洞穴だったり、

熱帯樹が生い茂る低地だったり、かつて拝所 (うがんじょ) だった場所だったり、さまざまです。
 

昔からの先祖たちの霊だったり、土地や石や木々に宿る何かだったり、そして沖縄戦で集団自決した場所だったり、

なにか分かりませんが、かなり強烈で “不気味な 気” が感じられる所です。

繰り返しますが、感じない人も当然います。 ウチナンチューでも、感じる人、感じない人、両方います。


ナミさんは東京にいるときには、そういう気をあまり感じるほうではなかったのですが、
沖縄に来てからとても敏感になりました。
実は、わが家の周辺にもそういう場所がいくつもあって、彼女はひとりで散歩に出るのを未だにためらいます。

私もそれほど敏感なほうではないのですが、
(あぁここはダメでしょう …) という場所では、かなり、その不気味な何かを感じます。


そんなわけなので、東京から来ているナミさんのヨガ友達がいなければ、おそらく入らなかったでしょうが、
まあ、せっかく来ているのだし、と、ちょっと心配しながらも ガンガラーの谷ツアーを始めたのでした。


最初の30分くらいは私は平気でした。内地から来ていた女性は、ちょっとキテいたようです。
 

それが、ツアーの中間点くらいか、ガンガラーの谷の名前の由来となっている場所、
なんでも以前は深いタテ穴になっていて、上から石を落とすと 「ガンガラーガンガラー」 という音が長く響くほど深い穴だったそうです。
で、私たちはその底にあたる場所で話を聞いているのですが、現在はその上がコンクリートで塞がれていて、なんと道路ができている。クルマの音が聞こえます。


その場所に来たときに、いきなり頭が痛くなり目がクラクラしてきました。
ツアーの後半は、それがずっと、続きました。
ナミさんも同じように感じていたし、内地からの女性はさらにひどく、足もとがふらふらしていたそう。
他のツアー客は、どうだったのでしょう ……… 様子からはわかりません。


いやぁ、やっぱり、でしたねぇ。

外に出て、少しは気分はマシになりましたが、
私らはクルマにもどり、すぐに近くのコンビニを探し、塩を買って、コンビニの駐車場で、
3人ともそれぞれ、頭からカラダから塩を振りかけて、清めました。

(あの人たち何をしてるんだろ?) と他人からは思われたでしょう (笑)。

しかし、まぁ気分の問題なのでしょうけど、頭や体からバチバチと音が聞こえている気がするほど、
塩が効いて、清まったようです。

気分は治っていきました。クルマにも塩を振りかけ清めましたよ思わず (笑)。


こういう話は、そういう “不気味な 気” を感じない人が聞くと、ま、呆れるだけでしょうね。
港川人の話をするつもりが、変な方向に流されてしまいました (笑)。



 

                ガンガラーの谷の入り口ホール。
                ここはカフェにもなっていて、
                写真の背中側に小さいステージがあり、
                ここでライブをやっていた。




 

            崖ぞいの壁に下に垂れる鍾乳石がはっきり見える。
            つまりこの上空の壁が崩れ落ちた。
            なので相当広い空間があり、
            そこに古代人が住んでいたのだろうと
            推測されている。




 

          ここもそう。いま空が見えるところが
          崩れ落ちたのだ。
          現在は、気根をたくさん下げている
          大きなガジュマルが自生している。




 

                   ここは約3千年ほど前の
                   石棺と埋葬された人骨が見つかった跡。
                   なんと周囲の土との落差がほとんどない。
                   つまり地表近くで発見されたそう。




 

                これが、約2万年前の港川人。
                発見された4体のうち1体は、
                頭から足先までほとんどの骨が
                発見され、港川人1号と名付けられた。
                この絵はそれを元にして描かれた
                当時の港川人の顔。

                こういう顔のウチナンチュー、
                今でもいます。




 

                 こちら、左側は後から追加された
                 同じく港川人の顔。
                 なんか、えらく違うよね。
                 でも、こういう顔のウチナンチューも、
                 確かにいるな。

                 そうだ、こちらは
                 アイヌの顔にも似ている。




● アイヌの顔に似ている、で思い出しました。

10月に東京で国立博物館の 「運慶展」 を見に行ったとき、ついでに常設館も見てきたのですが、
あるコーナーの入り口に来て、びっくり。



 

                なんと 「アイヌと琉球」 と書いてある。
                こういうコーナーがあるんだ。



 

                「アイヌと琉球」 コーナーの説明。



説明を読むと、日本列島の多様な文化の広がりをあらわすのが、北のアイヌ文化と南の琉球文化です。
……… と、日本文化の多様性の象徴として二つを並べている、とのことです。

私は、そこに何かの共通性を表現しているのか、と驚いたのですが、そうではなかった。
とはいえ、中に置かれていたものは、アイヌ文化のもののほうが多かったようです。

縄文人のDNAが色濃く残っている、アイヌと琉球、
共通性をさぐってみるのは、国立博物館としてやってみてもいいテーマだとは思うのですがね。