Okinawa通信670
● 『沖縄の新聞は本当に 「偏向」 しているのか』 という本を読みました。
その本のことを書こうと思うのですが、なかなか重い話で、まとめるのも気軽にできず ……、
ちょっと長くなりそうだけれど、
私見もまじえながら、できるだけ短く …… と思いますので、関心のある方はどうぞおつき合いを。
安田浩一著・朝日新聞出版 2016年6月刊
四六判 304ページ。 1,400円(税別)
著者の安田浩一氏は、 1964年静岡県生まれ。週刊宝石、サンデー毎日の記者を経てフリーに。
第34回講談社ノンフィクション賞、第46回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著作を見ると、一貫して被差別者側を取材し執筆活動をするジャーナリストのようです。
…… という著者の経歴と、版元が、大手紙の中でも 「偏向している」と 言われている朝日新聞でもあることから、開く前から、この本のいわば立ち位置が想像されました。
事実、私は、本の内容や雰囲気をつかむため 「あとがき」 などを先に読んでしまうクセがあるのですが、
この本の 「エピローグ」 を読んだところ、
沖縄の記者は、沖縄で沖縄の苦渋を吸収しながら、沖縄をさらに知っていく。
そしてその場所から沖縄を発信している。
それは「偏向」なんかじゃない。
記者としての軸足だ。地方紙の果たすべき役割なのだ。
……… という著者の言葉があり、(あぁ、これはもうこの本の結論だぁ) と、読む気が失せてしまったのでした。
でも数日たち、せっかく図書館から借りてきたのだから、と、
できるだけ頭を白紙の状態にしながら、読み進めていきました。
結論から言いますと、先ほどのエピローグの言葉どおりの本です。
しかし、そもそも 「偏向」 とは何か、
その、内地 (沖縄以外) 側と沖縄側の認識の差はどこから生じているのか、をはじめ、
沖縄の新聞の歴史、沖縄の新聞記者の意識、沖縄の新聞の発行側と読者側との関係など、
初めて知る事柄も含めて、なかなか読み応えのある本だと感じました。
さて。
この本の出版のきっかけは、どうやら、例の、
2015年6月、作家・百田直樹氏の 「(偏向している) 沖縄の二つの新聞社はつぶさなあかん」 発言だったようです。
百田発言に対して、沖縄タイムスと琉球新報の2紙が歴史上初めて (だったそう) 共同で、抗議声明を出しました。 私もその様子は、両紙のネット版で見ていました。
沖縄側では、その 「偏向」 発言に対する怒りもあるが、
「もともと普天間基地は田んぼの中にあった。周りに何もない。
基地の周りが商売になるということで、
みんな住みだし、いまや街の真ん中に基地がある。騒音がうるさいのはわかるが、
そこを選び住んだのは誰やと言いたくなる」
という発言、つまり、よく知りもせず調べもせず事実無根のことを流布した、ことへの怒り、
そこに透けて見えるのは、沖縄への無知であり、蔑視であり、沖縄に生きる人の営みを無視した、差別と偏見だ、と、そのことに強い怒りを持った…………と、書かれています。
この本の著者は、そこの内実を追求しようと取材を始めたようです。
沖縄の新聞は 「偏向している」、 とは、
先の百田氏だけではなく、これまで保守系右翼系の識者たちからもさんざん言われてきたことです。
その 「偏向」 ぶりを説明すると、だいたい3つに集約されそうです。
・ 記事の多くが、基地問題である。ほぼ毎日、一面は基地問題だし、基地問題がない日はない。
・ その内容が、つねに左翼的で、反政府的で、一方的である。公平性がない。
・ それらの記事内容により、多くの沖縄県民がマインドコントロールされている。
この 「偏向」 は事実なのか、について、この本は検証しているわけです。
だいたいの本の内容が分かるので、目次を書いてみると。
プロローグ 新聞記者としての 「軸足」
第1章 沖縄に向けられる差別の視線
第2章 捨て石にされ、主権を奪われ続ける島
第3章 沖縄と地元紙がたどった軌跡
第4章 ないがしろにされる自己決定権
第5章 「キチタン」 記者と権力との攻防
第6章 地元保守による新報・タイムス批判
第7章 歴史の視座から見えてくる沖縄問題
エピローグ 地方紙の果たすべき役割
沖縄の新聞、地元紙は、『琉球新報』 と 『沖縄タイムス』 の2紙が、発行部数約15~16万部で拮抗しています。
それなりの色合いの違いはあるのでしょうが、その姿勢、表現内容は、ほぼ同じです。
この本はおもに、
その 『琉球新報』 『沖縄タイムス』 2紙の新聞記者たち 約20人への取材から構成されています。
現役の若手記者、中堅記者、幹部、そして経営陣の経験者を含めたOBたちの声です。
私は、記者たちはすべて沖縄の人だろうと思っていたのですが、取材対象の記者には、
大学卒業まで沖縄を知らなかったという内地出身記者も数名いました。
● 沖縄地方紙の新聞記者たち
「沖縄って、基地がなくなったらやっていけないでしょう」
これは、内地で生活した経験のある多くのウチナンチューが、内地の人から掛けられる言葉です。
何気なく言われることもあるそうですが、心を傷つけられ、あるいは怒りを感ずる言葉なのです。
沖縄の新聞記者たちも同様です。
実は、ここに登場する (ナイチャーも含めて) ほとんどの記者たちは、この言葉に代表されるような、
沖縄に対する無知、無視、差別、蔑視、に対する義憤が、新聞記者への動機となっているのです。
例えば、現在の若手・中堅の記者たちの多くは、
1995年、米兵たちによる12歳小学生の拉致集団暴行という凶悪な 「少女暴行事件」、
それも地位協定によって、犯人が罰を受けることなく米国に逃がされ、全島の多くの沖縄人たちが抗議行動を起こした …… この事件を経験し、新聞記者になったと語っています。
基本的情報として、
現在、日本の米軍基地施設の、実に約74%が沖縄にあります。
そして沖縄の基地の約7割が、海兵隊の基地です。
実はそこには、内地から沖縄に移転された基地もあるのです。
・ 岐阜県各務原市にかつて海兵隊のキャンプ岐阜があったが、基地周辺に発砲事件などや
性犯罪が多発し、住民の反対運動によって1956年に沖縄に移転された。
・ 山梨県、富士山北側には、キャンプマックネアという海兵隊基地があったが、
米兵が起こした地元住民の殺人事件などが相次ぎ、県をあげての反対運動により
やはり56年に沖縄に移転された。
基地が必要なら、日本全体で、応分の負担すべきだ、沖縄への基地集中反対を、
言ってはいけないのか? …… 当然ながら、そういう言い分が沖縄にあります。
沖縄にしかない 「キチタン」、基地担当記者というのがいます。
これは辺野古など基地反対運動の現場に張り付く記者で、政治部だけでなくすべての部の記者が交代で担当するのだそうです。
中堅幹部記者が言います。
沖縄の新聞記者は、どんな現場で仕事をしていても、どうやっても基地問題に行き着くのです。
基地移設反対は、単なる基地問題、移設問題ではなく、沖縄の歴史と切り離すことができない、
人権問題なのです、と。
「新報もタイムスも、基地問題では政府に厳しい論調をとっている。
でもそれはイデオロギーでもなければ、商いの手段でもない。
戦争と差別と基地問題に翻弄されてきた沖縄にあって、それは新聞の骨格であり、軸足なんです」
だから、沖縄の新聞記者たちは、「偏向」 と聞いて、ピンとこない。
そしてじわじわと怒りがこみあげるという。
それは、偏向の言葉の中に、差別の匂いを感じるからです。
たとえば政府に極めて近いスタンス新聞には、偏向という言葉は使われない。
しかし我々が政府にもの申せば偏向だと攻撃される、からです。
つまり、沖縄の新聞は 「偏向」 しているのではなく、それは 「記者としての軸足」 だということです。
● 沖縄の新聞は、県民意識をコントロールしているか。
沖縄で新聞、といえば 『琉球新報』 『沖縄タイムス』 しかない、と言っても過言ではありません。
次に発行部数が多いのは、(聖教新聞や赤旗を除いて) 日経新聞。
これは、沖縄で唯一印刷していている全国紙 (つまり朝にその日の朝刊が届くということ) ですが、
部数はなんと約5000部余り、しかないのです。
沖縄県では圧倒的な力を発揮している地方紙 2紙だからこそ、
その 「偏向」 ぶりが、沖縄県民の政治思想をコントロールしている、というわけです。
それに対して、幹部記者は笑いながら、
そんなことできるわけがないじゃないですか、第一、その発言は沖縄県民をバカにしている。
もしコントロールしているなら、読者はそれを感じて離れていきますよ
我々は、読者の声の代表だと思っています。だから読者の声をつぶすようなことをすれば、
それは読者を失うことになるのです。
と、取材に答えている。
また、辺野古の反対市民グループの中心人物に同じ質問をすると、これも笑い声とともに、
「たとえば、もしも沖縄の新聞が基地容認なんて社論を打ち出すことがあれば、
まあ、県民に見放されるだけです。そんな新聞、読みたくもないでしょう。
つまりね、沖縄の新聞は地域の利益を考えている。それが地方紙の役目でもあるわけです。
現に、沖縄の新聞記者は毎日、我々と機動隊に挟まれてもみくちゃにされながら
ずっと張り付いている。我々を洗脳するためではなく、我々を知るために来ているのですよ」
つまりこれを読むと、“コントロール” という言葉を使うとすれば、
動かされているのは、新聞の側なのだ、というふうに受けとめられます。
実は、この本に書かれていますが、
沖縄にはこれまで、『琉球新報』 『沖縄タイムス』 の立場に反対する保守系の新聞が、2~3度か発行されています。
つまり沖縄2紙体制ではなく、3紙体制になりかけたことがあったのです。
しかし、準備の仕方の問題もあったようですが、県民の支持を得られず、1~2年の短命で消え去ってしまっている。
私の目には県民と新聞の持ちつ持たれつに見える、この反政府意識ですが ………
それは、基地問題の源になっている 「沖縄戦」 に行き着くのだ、と言います。
戦争時代、沖縄には現在の 『琉球新報』 とは直接関係のない、同名の 『琉球新報』 がありました。
そしてそれは本土の新聞同様に、当時の軍事政府のお抱え新聞であり、真実の戦況ではなく、目隠し情報を発表する新聞でした。
そのあげくの、沖縄戦の悲劇です。
現在の沖縄の新聞記者のOB、経営者、幹部記者たちは、そこに痛恨の思いがあるのです。
「沖縄のマスコミ人は、保守でも革新でも、とにかく戦争のためにペンを取らない、
カメラを持たない、ってことをずっと誓ってきた。
そうやって沖縄のジャーナリズムを築いてきた。
戦争のために新聞が利用されてたまるか、という強い思いは共通していた。
この理念はいまでも沖縄の若い記者たちに引き継がれている。これを偏向というのか」 と。
新聞の大先輩でもある瀬長亀次郎は
「爆弾は人を選ばない。保守にも革新にも落ちてくる」という言葉を残した。
左右がどうしたこうしたって問題じゃないんだよ。戦争だけはゴメンだってことが、
我々の原点なんだ」 と。
あるOB記者は言います。
「沖縄は戦っていくんですよ。武器とするのは二つ。
ひとつはアメリカからもらった民主主義。もうひとつは、日本国憲法。
この二つをを高く掲げて沖縄は生きていく」 と。
● さて。 では、私自身は、沖縄の新聞は 「偏向している」、と思っているか?
私は何度か書いていますが、地方紙は、その地方国粋主義であって構わない、と考えています。
そういう私ですが、
この本を読む前も、そしてこの本を読んだ後も、やはり 「沖縄の新聞は偏向している」 と思っています。
その説明の前に、私の沖縄新聞事情を。
2010年1月に沖縄に越してきて、(新聞購読世代の私は) さて、新聞は地方紙にしようと思いました。
当時は民主党政権で、いったん辺野古移転が決まっていたのが、例のハトヤマの、根拠も勝算もない公約で、現在のぐちゃぐちゃが、始まりかけていた時でした。
しばらく 『琉球新報』 『沖縄タイムス』 を買って読み比べてみたのですが、どうも両紙の違いがよくわからない。
そして毎日一面を飾る基地移転問題の記事、論説が、ひょこり沖縄に来たナイチャーには、ディープすぎて、なかなか理解できにくい ……… などのこともあり、
結局、それまでずっと20年以上読んでいた日経新聞を購読することにしました。
(実はその後、日経新聞が沖縄で唯一印刷している全国紙で、発行部数が5000部余りしかないことを知ったのですが)
なので日々現在、日経新聞を読み、沖縄地方紙はネット版の 『琉球新報』 『沖縄タイムス』 を読む、
……… という私、つまり地方紙 2紙のしっかりした読者ではないですが、
なぜ、「沖縄の新聞は偏向している」 と思っているのか。
それはやはり、あまりに基地問題 「偏重」 であること。
沖縄にとっての基地問題は人権問題である、という記者たちの主張は、この本を読み理解しました。
沖縄戦以後、いやもっと以前の 「琉球処分」 以降、沖縄が受けてきた差別、蔑視を知らしむべく
苦闘する沖縄の新聞記者たちの思いを、彼らの 「立ち位置」 「軸足」 を知り、基地問題を扱かわざるを得ない心情や姿勢はよく判りました。
そして、政府の方針に反対となることも。
しかし、それにしてもあまりに基地問題過ぎ、ではないでしょうか。
本にあるように、あらゆる現場での仕事が基地問題に行き着く、としても、
沖縄には他にも多くの問題があるはずです。
それと、反対側の話をほとんど無視する姿勢。 もちろん公平に扱え、などは言いませんが、しかし、
例えば辺野古ならば、反対派市民グループに張り付き執行側との軋轢を記事にするだけではなく、
周辺の辺野古住民たちの生の声を、とりあげるべき。
あるいは、2紙ともまったく無視しているけれど、米軍関係者が基地地元住民と交流をはかる行事や企画を行い、多くの住民が参加していること。
さらには、東日本大震災の際、沖縄の海兵隊たちが被災地におもむき支援活動を行っていたのに、それが報じられることはほとんどなかったこと。
それらは、米軍によるプロパガンダだから記事にはしないのだ、
という新聞社側の言葉を何かで読んだことがあります。
事実、琉球新報では、トモダチ作戦の海兵隊支援活動では普天間基地の有効性を語っていてそれは不謹慎だ、との報道があったそうです。
しかし、繰り返しますが、公平に扱えとは思わないが、
やはり、事実としては載せるべきなのでは、と思うわけです。
新聞で読者のマインドコントロールはできない、と本の中では言っていました。
しかし、情報や知識を得る手段が限られている場合、戦時中の新聞で証明されているとおり、多くの読者はそれを真実として信じます。
アメリカのテレビニュースなど、局によってかなり偏向していますが、しかし選ぶことはできます。
そういう意味で、沖縄の地元紙には県民意識に対して大きな責任があるのでは、と思うのです。
基地問題 「偏重」 の沖縄の新聞と言いましたが、この本の中で、
多くの記者たちが口をそろえて、「早く基地問題以外のことを取材したい」と訴えている。
しかし基地があるゆえに拾い上げることのできない悔しさを主張する記者もいる。
と語っています。記者たちも、基地問題だけで終わりたくない、と。
そのとおりです。もっともっと取り上げるべき問題は、沖縄にたくさんあるはずです。
なかな改善しない、貧困問題、全国ワーストの低給料、同じくワーストの教育レベル、
給料の低さと関連しているが、ほとんど育たない製造業、沖縄の産業はほぼサービス業という問題、
そのサービス業でも肝心要の観光業ですら遅れている、あるいは十分ではない振興施策、
さらには、「短命県」 へまっしぐらとなるだろう全国一の肥満率問題。
沖縄に7年住んだだけの私でもあげられるこれらの問題は、基地問題にそれほど関わってはいない
しかし沖縄にとって、とっても大きな問題なのではないでしょうか。
……… そんなふうに考えるので、「沖縄の新聞は偏向している」 と思っているわけです。
しかしまぁ、これって、新聞への期待し過ぎかもしれない、とも思っていますが。
最後に、ここ一年くらいですが、
沖縄タイムスネット版では(本紙でも連載しているか不明)、ちょっとうれしい変化が見えています。
「沖縄から貧困がなくならない本当の理由」 という連載コラム。
執筆は沖縄移住者なのですが、非常に真正面から取り組んでいる、沖縄県民には耳の痛いところも多いだろう、説得力のある優れた論説だと思います。
もうひとつは、沖縄出身で米国在住のジャーナリストが特約記者として書いている
“アメリカから見た沖縄情報” の連載コラムですが、これも今まで沖縄タイムスには感じられなかった、
県知事をはじめ現在の沖縄行政に対する、かなり客観的な立場からの解説となっています。
この2つだけでも、何かしら沖縄の新聞に対する新しい希望を感じています。
……… ということで。
やっぱり長々と、、、、、、おつき合い、ありがとうございました。
