Okinawa通信334
● 前回につづき、その2回目です。
青い目が見た当時の琉球の印象、西洋人の目に奇異にうつった事々について。
琉球王国を訪れた欧米人たちは、当時の沖縄、その自然と文化を、どのように見ていたのか?
この 『青い目が見た「大琉球」』 では、いくつかが紹介されています。
【琉球の景観】 …… ほとんどが最大級の礼賛。
1853年ペリー提督の私設秘書として参加したテイラーは、那覇を目にして
「私はこの島が現しているような美しくやさしい景色をいまだかつて見たことはないとおもう。
……風光の形状のすばらしい調和、目もくらむようなあざやかな樹木の緑、その海辺から吹き寄せてくる
おいしくて心持ちよい空気、これらは、中国の単調きわまる地平と汚れた環境を見てきたわたしたちを、
あたかもパラダイス(楽園) をかいま見るように魅了した」
1816年に来航した英国海軍のマクラウド外科医は那覇について
「爽やかで、ロマンチックな風景の完成したもので、人工の美が加わっている。絵のようにうつくしい」
などと書いています。
【琉球の町・住居・道路】 …… 人の手が入ったものには、少しだけ悪評も加わってくる。
1884年ロシアのプチャーチン提督に同行した作家ゴンチャロフは、那覇について
「堂々たる石塀をめぐらした長い街に、鬱蒼と見事な樹木が茂っている。
つまり並木道を歩む風情だ。家々の門口には住民がたたずんでいる………
町のなかはきわめて人口が多いので、往来に活気があった」
1853年ペリー一行に科学者として参加したモローは、『琉球の農業』 という論文の中で
「琉球の道路は非常によい ……… 町の中には、世界中のどんな市にもまさる平滑で美しい外観を
持っているのがある。それらはセメントで固めてあるので、歩行者にとってこれにまさるものはない」
など多くは賞賛しているが、中には、
1837年の米国モリソン号に乗っていた宣教医パーカーのように、那覇は、
「建物は一般にみずぼらしく、なかにはヨーロッパの羊小屋にさえおよばないものがある。……
町の建物は非常に小さかったが、だいたい瓦葺きであった。ある寺院は竹の垣根をめぐらした粗末な建物であった」
と、けなしているものもあります。
【琉球の社会と文化】 ……… これについては、意見が2つに分かれる、と書いています。
つまり、青い目の彼らの世界、発達した物質文化の欧米社会を、彼ら自身が批判的に見ているか否か、のちがいらしい。
批判的に見る者には、琉球は、美しい自然の中で古き良きものを温存している最後の楽園、理想郷と見える。
「吾々の見た限りでは、貧困ないし窮迫しているらしい何者もいなかった。
吾々の会ったあらゆる人々は、みな満足し幸福に暮らしているように思われた」
といった評価が多い反面、
一方で、欧米社会を肯定的に見ている者たちは、琉球を高く評価はしていない。
「この島は自然の産物には富んでいない。…… 琉球人は貧寒な人々で、生活のぜいたくや
文明社会の洗練さなどはいっこうに知られていない」
などという記述もあります。
【民族性】 ……… 2、3の例外をのぞけば、すこぶる良いようです。
前述のマクラウド外科医は、
「…… この島民たちは、驚くほど正直で、あくまでも真実を尊ぶといわれているが、事実、その評判に値するだけの
資格があるようである。…… 地球上で、もっとも平和な住民の礼儀正しい振る舞いと、親切な態度 ……」 と絶賛。
欧米人の大半が、琉球人を友好的であり、親切、礼儀正しく、清潔、誠実、平和的、温厚柔和、
勤勉、知的好奇心に富み、品性があるなどと好評している、と言っています。
ただ、ここにも書かれていましたが、当時の琉球は、中国の冊封国であり薩摩に隷従しています。
薩摩からは、欧米人との接触やキリスト教などを厳重に禁止されています。
その中で、迷惑ながら欧米人たちが到来しているわけで、
琉球人にとっては、彼らが一刻も早く退去することを願い、トラブルが起こさぬように涙ぐましい努力をしていたわけです。
そんな事情も、この青い目の琉球人たちに対する好評の裏側には、あるのでしょう。
【琉球の奇習】 ……… 青い目には奇異に映った琉球の習俗があげられています。
・墓地 ……… 生きている人の住宅より立派で壮大な死者の家。多くの欧米人が圧倒されたらしい。
・僧侶 ……… 仏教国のはずなのに、住民は仏僧を尊敬せず、仏僧も卑屈そうに見えた。
・手土産 …… 琉球人は招宴の料理や果物の残りを帰る時に必ず土産として懐に入れ持ち帰る。
・上流階級 …… 外出の際にたいてい重箱などを持った小姓らしき子どもを伴い、
気に入った場所があればピクニックを楽しんでいる。
・結い髪 …… 自分を表す簪 (かんざし) や怕 (はちまき) が珍しい。
・歌 ……… 歌が好きで、異国船との往来の時には必ず声高に舟歌を唄う陽気さ。
・嗜好品 …… 煙草やお茶を頻繁にたしなむ。
・入れ墨 …… 女性の入れ墨が珍しい。
・老婆 ……… 少女は一様に美しいが、老女は恐ろしく醜い。
墓の大きさは確かに奇異に思ったかもしれないけど、
ほかは、別に琉球だけの 「奇異な習俗」 だとは思わないですけどねぇ ……。
「少女は一様に美しいが、老女は恐ろしく醜い」 って、どこでも、そうなのでは (笑)。
中城 (なかぐすく) 城址を測量するペリーの探検隊。
中城城は、沖縄のほかの城址と一緒に世界遺産になっている。
(この城は15世紀半ばに築城されている)
わが家のある沖縄市のすぐ南にある城址。
当時、ペリー提督もそのすばらしさに驚嘆し、詳しい図面を残している。
琉球人、昼下がりの一服。
当時の那覇に住む男たちの様子。
「働いているのは女性たちだけだ」……とも
西洋人たちから書かれている。
那覇市長(地方官) 鄭長烈 (ていちょうれつ)。
ペリー提督遠征記には、チンチャンリーとあるとのこと。
琉球国の官僚たちには、
中国名をもったものも多かったようだ。
「鄭長烈という人物は、那覇市首里儀保町の画家・
末吉安久市の祖父・末吉安扶である」 ……とある。
これだけしっかり描かれている人だから、
その末裔たちも探しやすいでしょう。
那覇の少女と少年。
下は、女性の入れ墨とかんざし。
この凛々しい顔を見ると、
年老いて醜くなったり、
働かず一服ばかりするおじぃになったりは、
なさそうだ。



