『沖縄軍人妻の研究』その2 | Okinawa通信 ⇒ 伊都国つうしん

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2010年1月。30年以上住んだ東京から引越し、沖縄生活をスタート。
その沖縄に10年暮らし、『Okinawa通信』を書きました。
が、さらに、2019年10月末に、ここ、福岡市西区・糸島近くの
「伊都国(いとこく)」の地に。

Okinawa通信299



● 『沖縄軍人妻の研究』 を読み、印象にのこったことの私の要約と感想の、前回のつづきです。

   (今回もちょっと長くなりそう……)

 
  まず 「沖縄米軍基地」 についての、つづき。



基地のフェンスの中はアメリカです。平らに整地され、車道が直線に走り、芝生が一面に植えられています。
しかしそこは、アメリカの中でも、アメリカの軍隊のベースという特別なエリアです。



Okinawa通信-ライカム

               写真は、以前にも掲載した「キャンプ瑞慶覧(ずけらん)」
               別名 「キャンプ・フォスター」 です。
               このあたり、「ライカム」 と呼ばれていますが、
               広大な平面がつづきます。



・<一日2回訪れる、静寂のセレモニー>
 米軍基地内の仕事開始時間は、午前7時30分。 この早い朝は、やはり軍隊ならではでしょう。
 そして仕事始めのざわつきが、まもなく基地全体の静寂の時間となります。
 朝 8時と、日没時の2回、それは、米軍基地内で毎日行われる、国旗の掲揚と後納の時間です。


 国旗掲揚の5分前、7時55分になると、基地内にラッパの音が鳴り響く。
 そして国旗掲揚の際には、まずアメリカ国歌が流れ、次に日本国歌が流されます 
 その間に、アメリカの国旗が米軍兵士2名により、日本の国旗が日本人警備隊員2名によって、それぞれが掲揚されます。

 この時間、軍人、軍属、日本人、移動中か仕事中か問わず、すべての人が、国旗掲揚・後納が行われている方向をむき、
 動作を制止し、国旗に対して敬意を示さなければなりません。
 朝8時、走っていた軍属のアメリカ人は、立ち止まって右手を胸にあて静止し、海兵隊員は敬礼の姿勢をとります。


 また、基地内の道路を走るクルマの制限速度も、(たしか)40km/h だったと思いますが、厳しく制限されている。
 わずか10km/h オーバーで走っていた著者は、罰則を与えられたそうです。



・<基地軍人たちとの交流>
 沖縄の米軍基地は、7月4日のアメリカ独立記念日などに、一般公開をしています。
 この日は、フリーマーケットをはじめ、さまざまなイベントが行われ、多くのウチナンチューたちが基地を訪れます。
 私自身は、まだ行ったことはないのですが (一度はぜひ行きたい)、基地周辺の道路が渋滞するほどの賑わいです。
 
 また基地の軍人たちとその周辺の住民たちの交流も行われています。


 例として、辺野古で行われる運動会と、それに参加するキャンプ・シュワブの海兵隊員たちの交流や、
 もう15年以上も続けているという、キャンプ・ハンセンの軍人たちの地元・金武(きん)町の老人ホームへの

 慈善活動などを紹介しています。
 老人ホームには、夏は月2回、冬は月1回の草刈りや清掃、11月の感謝祭には七面鳥料理、

 クリスマスには歌とケーキとともに訪れるなどしている。
 ホーム側も、それに感謝し、施設が開催する新年もちつき大会や花見、月見などの行事に、

 海兵隊やその家族を招待し、交流しているそうです。


 こういった、一般公開や、地元の人々との交流は、沖縄の新聞やマスコミに取り上げられることは、ほとんどありません。
 

 それらは、あくまでも米軍側の “宣伝” であり、政治的意図があり、

 住民の心を買収しようとする欺瞞であるから ……… という判断でしょう。

 

 しかし、著者は、たとえば金武町の老人ホームで行うボランティアには、政治的な意図を超えた、

 住民と軍人たちのつながりがあることを指摘しています。
 と同時に、たとえば辺野古における地元住民と軍人たちの親善における、冷酷な面も、以下のように並べています。


 辺野古の基地擁護派の住民の言葉ですが、「お金がなくなれば、親善活動も終わり」。


 つまり、日本政府から米軍基地所在地へ支払われる、基地周辺整備費(補助金)や基地交付金の存在を無視して、
 辺野古と、キャンプ・シュワブとの間にある関係を述べることはできないことを、示しているわけです。



・<軍人妻のためのセミナー>
 以前はなかったとのことですが、現在では、米軍基地が主催して、軍人妻となる人のための結婚セミナーがあります。
 結婚の手続きや、“コマンド・スポンサーシップ” とよばれる、軍隊が、米軍兵士の家族のメンバーを認め、それにともなう
 さまざまな扶養手当を承認するもの、をはじめ、法的な手続きや、民間とは異なる軍隊での生活について、

 などを知らしめるものです。


 英語による理解がむずかしい日本人を対象にした、日本語によるセミナーも用意されています。



Okinawa通信-沖縄基地


                    沖縄の米軍基地の画像より。
                    たとえば普天間基地内で働く日本人は、
                    辺野古へ移転された場合、職を失うか、
                    引っ越すことになる。
                    「私が仕事をしている間は、移転してほしくない…」
                    そういう正直な声も、本書には出てくる。




● さて次に 「沖縄軍人妻」 について。


 私は前回、
 「米軍軍人・軍属と結婚した日本人女性たちの中で、沖縄の軍人妻たちは、ほかの基地の日本人妻たちとくらべて大きな

 特徴がある ………そんなことが書かれている、と聞いて興味をもち、読んでみました」
 
 といいましたが、本書で書かれている沖縄軍人妻の論点は、まさにそこにある、と思います。


 

 本書は、沖縄米軍人・軍属と結婚した日本人女性の、数多くの取材やインタビューが基になっていますが、

そこには沖縄女性と本土出身女性がいます。
 その比較からも、沖縄生まれの 「沖縄軍人妻の特徴」 がわかります。



・それは、一言でいうと、「沖縄の女性は、沖縄への思いが非常に強い」 ということです。


 例えば、基地内で働くある女性は、沖縄を離れないことが結婚の条件だった、といいます。
 この、沖縄女性の沖縄への思いは、米軍兵士を苦しめることになります。

 とくに、退役や除隊後の就職の際には、女性の沖縄への執着が大きな問題となる、と書いています。

 これは、著者が以前調査した、横須賀米軍基地の日本人妻や、

 同じ沖縄でも本土出身の軍人妻には見られない、ことだといいます。



 「沖縄出身の女性たちがアメリカ人男性に惹かれた理由として、

  沖縄文化への批判・拒絶、沖縄・日本人男性への批判や「ハーフ」の子供をもちたいという理由をあげた」 とあります。
 「しがらみから解放されたいという思いと沖縄に住みたいという思いがある」


  この、沖縄女性たちの矛盾、悩みが、沖縄軍人妻たちと夫であるアメリカ軍人、の問題となることが多いのです。

  もちろん、幸せなカップルも多くあるはずですが、沖縄軍人妻を研究している本書では、

  やはり、どうしても問題を抱えた夫婦たちが多く登場してきます。



・<沖縄女性を沖縄に引き止める理由>


 著者は、その理由を5つあげています。


(1)家族関係の強さ (母親への依存)

  「沖縄の女性は、夫がアメリカへ異動しても、沖縄に滞在し別居生活を続ける傾向が強い。

   彼女たちは、夫の任務地が再び沖縄になるのを待つ。
   これは、母親や沖縄の家族・親族との絆の強さを示している。同時に、軍人や軍隊がなくても

   沖縄の家族システムの中で結婚・家族生活を営んでいけることを示唆している………」


(2)交友関係の強さ

  「沖縄で生まれ育った沖縄の女性には、同級生や友人などの親密な交友関係をもとにしたネットワークが存在する。
   それは、家族関係と同じくらい強い関係があるため、夫と移動する必要性を感じない」


(3)労働力としての重要性

  「沖縄では、家族で家計や家業を支えることが多く、娘は、婚出後も家族の労働力の一部である。

   特に妻の実家が自営業を行なっている場合は、その傾向が強い。家業を支える沖縄の女性は、

   沖縄を離れることに躊躇する気持ちが強い」


  前回お話した、基地内で職を得ている女性は、他の仕事と比較して待遇面で恵まれたその仕事を手放すことに、

  強く躊躇する傾向があるようです。家族との関係をふくめ、

  一度手放せば再び得ることがむずかしい基地内の仕事はやめず、妻は沖縄に残る ………というケースもある。


(4)シングル・マザーへの偏見が少ないこと

  「…… 沖縄ではシングル・マザーであることや離婚することに対する社会的プレッシャーは本土ほど感じられない。
   家族や親族の中で少なくとも1人は、米軍兵士と結婚し、離婚してアメリカから戻ってきているという話もある。
   沖縄出身者同士の結婚でも、離婚してシングル・マザーで子供を育てるということは珍しいことではない」


(5)横須賀米軍基地との比較

  「横須賀の妻たちは、……… 沖縄出身の妻よりは軍隊と密接な関わりをもって生活をしていたように思う。
   また横須賀の妻たちは、軍人の妻であるという意識も強かった。
   沖縄の妻たちは、米軍基地に依存するというよりは、

   沖縄の社会や家族の中で軍人との結婚生活を維持しているともいえる」


たとえば妻が沖縄にのこり、二人の間の子どもと一緒に、母親など実家の家族らと関係を保ちながら、

単身赴任する夫を待つ………というケースの場合、
よほどしっかり英語を教えないかぎり、日本語だけを話す子どもに成長します。 
つまり、父親であるアメリカ男性は、自分の子どもたちと、自分の母国語でコミュニケーションがとれない …… という悲劇が生まれます。



 ただ、
 「すべての沖縄出身妻が必ずしも沖縄に執着して、夫とともに異動しないというわけではない。
  そこには夫の異動をめぐる沖縄の女性たちの個々の立場があり、それぞれが悩みながらも選択している」
 と書いています。

 


実際、身近な例ですが、ナミさんのヨーガ教室に通っている女性たちにも、沖縄軍人妻たちがいて、
一人はアメリカから帰ってきた人、そして一人はこれから子どもを連れて夫と一緒に赴任先のイタリアへ行く、ということです。


・著者は、「離婚」 という章の最後に、こう書いています。


「…… 以上から、米軍兵士と結婚した沖縄女性にとって必要なのは、軍隊への理解を深め、軍隊と密接な関係を築くことに
努力を惜しまないという姿勢である。一方、夫に必要なのは、妻が抱く沖縄への思いや文化的な背景を理解し、
軍隊と家族という2つの世界で相反する役割を柔軟に演じて立ち振る舞うことである」


しかしもちろん、なかなか簡単にはできないこと ……… は、承知でしょう。



● このほかにも本書には、たくさん興味深い話や証言、分析がありますが、

  沖縄出身の軍人妻の特徴についてのみ、書いてきました。



 「沖縄への強い思い」 は、沖縄女性だけではなく、沖縄男性にも感じられます。
 わずか丸3年の沖縄住まいですが、その中でウチナンチューたちとのつき合いからも、それは感じられます。


その強い思い、強い家族意識、同胞意識は、もちろん生粋の江戸っ子や、浪速っ子にもあるとは思いますが、
やはり、沖縄ならではのものかもしれません。

江戸時代の初めから、薩摩に隷属させられ、明治維新後から昭和の戦後まではヤマトの世、

そして戦後のアメリカ世、復帰後もつづく米軍基地との暮らし。
経済状況の苦しさをふくめ、長い長い沖縄の歴史が、それを形成してきたのでは、と思わざるを得ません。


前回とともに、長いおつきあい、恐縮です(笑)。