子として常々感じたことを書いてみようと思う。
父はとても真面目な人だ。
お酒も飲まず、浮気もせず、
ただ癇癪持ちなのがたまに傷だ。
母は元来人付き合いがうまく、
人を見抜く力がある人だが、
それ故子供達の交友関係や、
他人の交友関係も批判するのがたまに傷だ。
私たち兄弟が幼い頃、
父はそれはそれは怖い父だった。
父が家に着いて食事が並んでいないことなんてなかったし、
父が定位置の上席に座った瞬間に熱々のお味噌汁がさっと出されるのが当たり前だとして、
母は教育されていた。
そのために私たち子供は、
割と早く仕事が終わる父の時間に合わせ、
まだ外でも遊びたい時間にもかかわらず、
家の中で待機しなければならなかった。
父から見えないように母がした努力はすごいことだけど、
その反面私は窮屈を感じながら過ごしていた。
テストの点数云々、
習い事云々、
食事の作法云々、
子供ながらに「なぜこの母親は、楽しいことを教えてくれないのか」と感じたものである。
しかしながら母がなぜそこまで徹底した亭主関白に従えたのかというと、
自分のような人生を歩ませたくないとの思いが強かったからだろう。
事ある毎に、
「これからは女性の時代が来る。
あなたが大人になる頃には、
社会で働く男女比がさほど変わらなくなる。
手に職を、女性でも強くあれ。」
と言われ、今になってみればありがたい事かも知れない。
しかしながら次第にそんな生活も続かないのが世の常だ。
子供は知識を蓄え成長し、
やがて反抗期も迎える。
習い事にしても勉強にしても、
私は母が成し得なかった事を強要されてきた事に、
嫌気がさしてしまい
全てを辞めたいと申し出た。
もちろん、勉強はしなければならなかったし嫌いではないから、
とにかく普通の女の子としての生活がしたかった。
「今まで一体いくらかけてきたと思っているの!」
とか、
「やり出した事は最後までやりなさい!」
と言われたけど、
幼い子供は親が提案した事にNOと言えるスキなんかなかったじゃないか。
そして、最後までやり続けろと言われても、
終わりが分からないものに固執したくなかった。
その道で食べていける自信がなかったし、
何より才能がない事は自分が一番わかっていた。
器用貧乏とは私みたいな事を言う。
そしてそれらはあなたがしたい事であって、
私がしたい事ではないじゃないか。
そう言ってしまった後に、
しまった!とも思ったが、
私はこれでよかったのだと今でも思っている。
当然今まで私につぎ込んできた熱意と時間が、
ぽっかり余ってしまった母は、
何かが崩壊していくようだった。
そこから数年は、
まるで地獄のような家庭生活が続き、
誰もが責任逃れをする凄まじい状況が出来上がった。
こんな事があっても、
子供は親を選べないのである。
そして捨てる事も逃げる事も許されないのである。
守られるべき事と、
教育されるべき事は、
さほど大差ないように思う。
私の父と母は、
そう言った機能性にかけていたのだった。