バーゲンに行っても、

私はなぜか何も買わずに帰ることが多い。


気に入ったものがないわけでもないのだが、

人ごみの中レジに並び、

忙しさに奔走されている店員の雑なサービスに付き合うほど、

心の余裕がないからだ。



今年もバーゲンの季節がやってきて、

一応女性の端くれである私も仕事の合間を縫ってバーゲンに出かけてみた。



結局買ったのはハードカバー本のみ。




洋服もほしかったのだけど、

私は摂食障害もあるから体型が変わりやすく、

もしかしたらすぐに着られなくなるかもしれないと思うと購買欲が余計になくなる。



とはいえ、自分だって洋服をドカッと買ってしまうことだってある。



ドカッと買ってしまうのはたいてい、

「明日着ていくものがない」と思ってしまった時だ。



明日は大事な会議がある、

でも半年前より4kg増えたから「かっちり用」として買ったあの服に頼ることはできない!!!

ということがあると、

閉店間近のデパートに駆け込み、

そのあと仕事に戻る。



その逆もある。


痩せたいときには本当に痩せるので、

半年前に買った洋服がぶかぶかだということもあるのだ。



おかげで我が家のクローゼットは、

SサイズからLLまで揃っている。


揃っていても足りないものが出るのは世の常で、

結局バーゲン時期などのおいしい時期に足りないものが必要になるときも少ない。



というわけで、

私は洋服に関しては残念ながら世間の波に乗ることができていない。


正直なところ、

うまくおしゃれをしている世の中の女性に比べたら、

金額的にもかなり損をしていることだろう。



でも私は構わない。



必要になったときというのは、

本当に必要なのだ。



バーゲンでもしかしたら必要になるかもしれないと思って買っても、

必要になるときなど来ないかもしれない。





私の洋服の買い方として自負しているのは、

「必要とされているものを、

必要とするときに手に入れりる」ことだけだ。




こんなことをしているから、

恋人が見つからないのだな。




本当のところは、

必要とされているときなんか、よほどのことがない限りわからないものなのかもしれない。






自分は仕事以外で誰かに必要とされているのだろうか。

もしそうだとしたら、それを肌で感じる環境がほしいものだ。


よく鬱病の人に

「あなたが必要だから死なないで」

というポスターや文献を見かけるが、


そんな文字で諭されても、

人間納得できないものだ。


肌で感じることは、

経験を増やし、考えを豊かにし、感受性を研ぎ澄ますことができる。



頭でわかっていてもなかなか実行できないことに、

深いため息が出る今日この頃である。

常にだれかのことを好きでいられるのは、

とてもいいことだと思う。



しかし私の場合は、

常に誰かを好きでいることは不可能である。



もちろん長年付き合っていた彼のことは5年間確かに好きだったけど、

嫌いな時もあった。


四六時中彼のことを考えるなんて無理な話だったし、

そんな余裕もなかった。




私には今、恋人がいない。




プライベートで仲の良い友達と話すときにも結構言うのだが、

「彼氏ほしいな~」

という言葉ほど本音でないことはない。



事実、彼がほしいと思ったら言葉にする時間が惜しいと思うし、

そんな言葉を呟いている暇があったら自分を磨けよ!と、

自分に喝を入れるだろう(苦笑)




だから

「恋したいな~」

という言葉はきっと、


「いいことないかな~」

という言葉と同じくらい、大した価値がないのだ。




実際今、

「あなたは今恋人がほしいか」

と聞かれたら、



「あ、いや。別にいいです…。恋人がほしいと言っていたのは冗談です。」

と答えるに違いない。




これってなぜだろうか。



別に人に気に留めてもらいたいわけでもないのに、

つい発言してしまう言葉がいくつかある。



でも気に留めてほしいわけではないのだけど、

ちょっと共感してほしかったりもする。





よくわからない乙女心も金をなえているが、

基本的にドライな私がこういった発言をすると、

「壊れたのか?」と同僚に言われる。





要はバランスのとり方がいまだにわからない、

というだけなのだが。



天真爛漫に本音を語れる女性を、

心の底から見習いたいと思っている。

母がアルコール依存症になってしまってから、

早いもので15年近くが経ってしまった。



母は今、

何を考えているのだろうか。



専門病院を退院してからの母は、

あまりにあまりに自信を失った人のように見えた。


毎日ぼーっとすることが増えたし、

「自分は迷惑をかけたから」と、

いろんなことで遠慮をすることが多くなってしまった気がした。



当然、父や私は良かれと思って病院に入れたことを、

激しく後悔したものだ。




でも。

退院して一年ほど経ったころから状況が変わり始めた。



彼女は前から働きたいとは言っていたが働かせられる状況ではなかったので、

家族が必死に止めていた。

それが一変したのだった。


何が根拠かわからないが、

何故だか「あ、働きに出ても大丈夫だな」と思わせるようになったのも事実だ。






本人の意思を尊重してあげられるようになった理由はなんなのだろうと

ずっと考えていたのだが、

近頃ある結論にたどり着いた。




それは一緒に買い物をしている時の母の言葉だった。



「アルコールから遠ざかりたい」



という言葉。



世の中にあるスーパーやコンビニには、

目に付くところに必ずお酒が置いてある。


一応主婦だった母は、

毎日の食材のためにスーパーなどに赴くことになる。



アルコールを見れば、

どうしても飲みたくなってしまう。




だから自分はアルコールのコーナーには絶対に近づかないようにしている。

でも、「あそこにアルコールが売っている」と知っている自分が、

一番怖いのだと、

母は申し訳なさそうに呟いた。




この時初めて、

「母を入院させてよかった」

と心の底から思った。





彼女が申し訳なさそうに呟いたあの表情には心が痛くなるが、

アルコールの恐ろしさを実感してもらえたのは大きな収穫だ。




そりゃ、もう大丈夫という話ではないが、

少なくともお酒を飲んでしまっても隠ぺいすることはないだろうと実感したのだ。






母は今、ヘルパーとして働いている。




過酷な労働にもかかわらず、

そしてアルコールにおぼれていた10年以上の長い月日のせいで衰えた体力もカバーして、

頑張っている。





そんな母にかけてあげたい言葉は、



「無理しなくていいよ」



という言葉だ。





アルコール依存症はとても身近な病気で、

誰にでも起こりうる病気だ。


母が申し訳なさそうに今までのことを謝ることがあるが、

私は「アルコールというものがそうさせていたのだ」と諭している。

これは事実なのだから。






もしアルコール依存症で悩んでいる人がいたら、

家族がそうなのではないかと疑っている人がいるのなら、

すぐに病院に相談してほしいと思う。



人間、過ちに気づいたらすぐにやり直せるのだから。


そして過ちに気づくのが早ければ早いほど、

解決への時間も短くて済むことを忘れないでほしい。