料理をすることは、とてもいいことだ。

自分の食べたいものばかりを食べてしまうのはよくないかもしれないが、

人間食べたいものが365日同じにはどう頑張ってもならないからである。


「あ、あれが食べたい」

なぁんて思ったときには、

人間の体はそれを素直に欲していて、

しかも本当に足りない栄養素だったりするのだから、

あながち食べたいものを料理して食べるのも悪いことではないかもしれない。




私が料理するようになったのは、

コンビニで眺めるお弁当が美味しそうに見えなくなってしまったからだった。


どれを見ても食べたいという欲求に駆られず、

途端に食べたくなくなってしまうこともあった。


何故だろうか。


多分、過食をするときにはいつもコンビニのお菓子やお弁当やパンを買っていたからだとは思う。

一時期は、棚に並んでいるパンを一列買うこともあった。


ま、そんなわけで外食などに飽きてしまったので、

お金よりも手間を取ったわけである。



世の中には料理が不得意な男性もいるかもしれない。

しかしいまや、それは非難されるべきことではないだろうが、

褒められるべきことでもない。


私は基本的に料理ができる男性が好きだ。


2人で一緒にスーパーに行ったり、

楽しく会話をしながら料理をしたり、

次第に互いの得意分野を見つけられたりしてちょうど良かったりもする。



料理でうんちくをたれる男は願い下げだが、

でも基本的な常識の範囲で食に興味があるのは、

とても微笑ましいことだと思う。



ファッションも、家の中も、食事も、

「あ~疲れた。おうちに帰ってリラックスしたい」という気持ちに慣れるように、

”帰りたくなる家”を用意しておくのが健康の証ともいえる。



帰りたくない家なんて精神衛生上好ましいわけがないし、

一番リラックスできるのが会社だなんて少し悲しい。

でも意外と多いんだよね、こういう人。



今後家庭を持ったら考えが変わるのか、

もしくは家庭を持ってしまったから変わってしまったのか分からないけど、

私は一生、帰りたくなる家を作ることを目標としたい。


どんな料理が好きで、

どんな食事をしたか。


そんな話だけでも恋人や家族との話題の一つになると思うから。

過食することは悪くないと自分を納得させるのには、
想像以上の労力が必要だった。

私の場合は、
幼馴染である彼の存在と、
彼の考え方が手助けになった。


当初は幼馴染とは言え、
摂食障害の話なんかできなかった。

よかったのは、彼から切り出したこと。



食欲がないと言って野菜だけの生活を続けたかと思えば、
一ヶ月後は甘い物ばかり食べる。

見た目は痩せたり太ったり。


何かがおかしいと気づいた彼が、
病気なのか聞いて来た。


なかなか言い出せなかったことを、
やっと打ち明けた時には、
「解決の糸口がやっと見つかった」と言われ、
本当にありがたかった。


過食は悪くないが、
痩せたいという気持ちはどこから生まれたのか考え直そうと言われ、
洗いざらい今までのことを書き出す作業が始まった。


なぜか書いている時は冷静で、
驚いたことに書き始めてからは過食も減った。


次に彼が私の摂食障害の洗脳を解くために始めたのは、
健康の定義を考えることだった。


結局行き着いた答えは、
毎日何か一つでも楽しいと思えることがあること、
物をおいしいと感じられること、
目的や目標があること、
集中して出来る何かがあること、
自分に似合う物を探せること、
スポーツが嫌いでも筋力をつけること、
根拠がなくてもいいから自信を持つこと、
そして時には「あ、こういうもんなんだ」と受け入れること。

ざっと挙げるとこんなことが健康の定義だと、
二人で考えた。


彼は、とても頭の良い人だった。

正直言って最高峰と言われる大学に入り、
こんな下世話なことまで面倒をみてくれるのは
彼しかいないと思う。


ただ、本当に頭の良い人だと実感したのは、
人の強みと弱みを理解できる能力だった。



時には全てを見透かされた気がして、
私が八つ当たりしたこともたくさんある。

彼の周りにはいつも多くの仲間がいて、
私もそこに入りたいと思ったけど、
それより自分の居場所を明確に見つけることが課題だとも教えてもらった。


もちろん、体育会だった私の周りには沢山の仲間がいた。

でも結局相談ごとをできる相手なんて、
数が限られてた。

人と深すぎる関係が怖かったのもあったし、
裏切るのも裏切られるのも、
そしてそういう面倒なことに巻き込まれるのが嫌だった。


私の病気と向かい合うために、
私はまず皆に自分のことを知ってもらわなきゃならなかった。


結果、とてもうまくいった。

みんな心配しながらも私には直接無神経に言葉を投げることなんかなかったし、
しかもそれぞれが本などを読んで勉強をしてくれていた。

カミングアウトをしても何も変わることがなく、
私の居場所はここだと感じられ、
大学へいってよかったと思ったものだ。


でも、誰かに気遣いをさせてしまったとしたら、
それは私の一生の反省点だ。

それも私に気づかせず、
助けてくれた仲間には
どんな言葉があっても感謝の言葉は伝えきれないと思っている。


仲間って、とってもいいものだ。


同じ病気を抱える子がいたら、
自分の体験を武勇伝としてではなく、
一つの通り道だと教えてあげたい。
この病気の身近にいない人にとって、
一体なにが病気なのか、
そしてどんな症状なのか
理解し難いことが多々あるだろう。

当たり前だが、
知らなくて当然。

当時者である私も
わからなかったのだから。

私が幸い快方に向かう時に足かせになるものがなかったのは、
周りへの理解に固執するというこの病気の独特の概念が、
そもそもなかったから。

これがいいか悪いかは未だにわからない。
でも、私の性格上、合っていたのだと思う。


私は元来、クソがつくほどまじめで、
頭が堅いらしい。
らしい、というのは未だに自分ではあまり自覚がないからである。


正しいことはどこへいっても正しく、
守るべきものはいくつになっても守るものだと考えている。

人と関わることは、嫌いでもなければ好きでもない。
別に普通。
ただ、私に何か危害を加える人や物は、
大嫌いである。

仕事でイラっとすることは、
一生懸命やらない人。
やるべきことをやらずに非難する人。

できないことはできなくてもいい。
知らないことは知らなくても仕方がない。

でもね。
分からないという言葉、
一番ダメだと思う。


分からないという言葉は、この上なく無責任だ。
そして、分からないという言葉の裏には、
理解しようとしていないことが背景にある。


コネ入社の人が多いうちの会社。
私が入社をして初めに上司になった人はやはりコネ入社だった。

初めは私もおおらかな気持ちでいられた。
実際私の同期にもコネ入社の子は何人かいたが、
彼らはコネ無しでもきっと入社できたであろう精神的に大人であるタイプだった。

内定時代には私も、
「コネと言っても、できない人はコネですら入ってこられない。
この人たちはある意味、自慢の子供です!と太鼓判を押されて入ったのだ。」
と、いやらしい気もなく心の底から感心した。


ただ、私の配属先の先輩は、
悲しいことに本当にただのコネ入社だった。


引継ぎ一つでも「忘れちゃった~。わかんなぁい。」と言い捨て、
できないことはそのまま放置。


なかなかの強者である。


ある意味尊敬したけど、
私はそうなれないことだけは、
頭の脳裏に残った。


問題はここからで、
それを知っている大先輩が注意をしない。

いや、できないというのが本音だったのかもしれない。


そして仕事を放置したまま平気でいられるほど懐が大きくない私は、
他部署のその案件で一緒にやっている人に助けを求めてしまった。

何も言わずに理解してくださった彼女には心から感謝をしているが、
結果的に迷惑をかける形になってしまった。

私が、先輩のプライドを傷つけたことで、
叱られたとばっちりが彼女にも向いた。


悔しかった。

仕事を遂行する私たちが、
先輩の立場を無くしたと非難され、
そもそも問題だった「先輩が仕事をしない」という大きなことが、
まるで一瞬にして肯定されてしまった気がした。


悲しかった。

派遣社員の彼女が、
理由もなく、
むしろ褒められるべきことで
私のせいで叱られてしまった。

そして彼女が私をかばったことが、
さらに問題をこじらせ、
そう受け取った彼女本人も
私に頭を下げた。


あの時ほど土下座をしたかったことはない。


ただお互いになぜか謝り合った私たちは、
今も仲の良い、
そして仕事で切磋琢磨をし合っている。


当の先輩はその事件から半年後、
彼氏に振られて精神的に病んだという理由で、
三ヶ月間も会社を休んだ。


それが許されるうちの会社、
それがあっても仕方のないことだと認められるコネ入社。



私は、こんなことが繰り返し起こると、

過食をする。


残念ながら、
こういった類いの事件は
一週間に一度は起こっていた。

他の会社でもそうなのだろうか。


もしそうだったら、
日本が崩れる日も近い。