いじめの正当化は、どんなことがあっても成されてはいけない。



少し前の日記で私もいじめられた原因は痛感している旨を書いたが、

それは原因であって、いじめていい理由にはならないと思っている。




会社のスタッフでも、

人の見かけなどで笑いのネタにする人がいる。

そういう人、本当に大嫌いだ。



私もアトピーだったし、目が大きくて出目金と言われてコンプレックスだったし、

ストレスで白髪が出てしまったときにはおばあさんと罵られた経験があるので、

自分ではどうにも解決できない身体特徴で人を笑いものにする人は大嫌いだ。


真面目にやっている人は、

見た目からは想像もつかないほどの努力をしていることがほとんどだし、

体にコンプレックスを抱えている人は人知れずどうにかならないものかと、

試行錯誤しているに決まっている。


私のアトピーだって、

親が小さい頃からかなり気をつけてくれていた。

寝ているときに体を掻いて血だらけになってしまうのを防ぐために

体に筒のようなものを付けられたし、

ボディソープでさえかぶれてしまうので気を遣って石鹸を選ばなくてはならなかったほどだ。


大人になった今はアトピーなんか跡形もなくきれいになったが、

未だに食事を気をつけたり、生活習慣を常に気をつけたりなど、

かなり気を遣っている。



こういった身体的特徴だけを理由にいじめに発展させている子がいたら、

体を張ってそれはいけないことだと教える必要があると私は思う。




ちなみに私の弟はとても身長が低く、

幼い頃は一言も言わなかったが、

大人になった最近「背が低いことで相当いじめられた」と教えてくれた。


正直言って、そうだろうなぁと私も頭で分かっていた。


でも彼はハングリー精神もあったし、

何より頭が良かった。

適当にそういう人たちの相手をし、

本当に仲の良い友達はきちんと確保していた。


頭がいいということは勉強ができるということではない。

そして頭がいいということは「自分に最良の道を見つけられる」ということだと思う。


勉強では天才肌ではない人がどんなに頑張っても一番になれないかもしれないが、

十番以内に入ることはできるかもしれない。

彼はそう信じてずっと頑張ってきた。



結果、弟は大学の学費はいくらか免除になり、

成績は「優」しかない。


大学院で好きな研究に没頭し、

将来は「落ちない化粧品」を作りたいんだとか。


そういう彼を見ていると、

本当に真面目にやってきてよかったよね、と声をかけたくなる。

でもあえて声をかけないのは、

お互いのゴールがまだまだ先にあると分かっているからだ。



これからも真面目にやっていこう。

それが私の性に合っている。

私は毎日、そんなことを考えている。

昔、とある教諭がおっしゃった言葉で、

私の人生のスタンスにしているものがある。


「喜怒哀楽の中で、楽だけは一生のうちに使える量が決まっている」


初めは何のことかわからなく、

「???」と思った私だが、

こうして大人になってみるとなるほどな~と思わされることが多い。



「楽」というものは、

楽しいことであったり、楽をするという意味に捉えられるが、

それを若いうちに早々に使ってしまうのは勿体無いと私は受け取った。


100ある「楽」のうち、

思春期に100使ってしまえば、

残りの人生は「楽」が0だということになる。


逆に100のうち50しか使わなければ、

後の人生には半分残っていることになる。


自分にはどのような使い道が合っているのだろうか。

幼いながらにも結構どしんときた言葉だったので、

私の脳裏から離れないのだ。



その教諭が続けた言葉は、こうだった。


「100のうち20しか思春期に使わないとする。

80はとっておき、若いうちに一生懸命努力をし、

将来はその80を倍にも百倍にもする術を見つけるほうがよっぽど賢い」


そうだよな。

うん、そうだよ。



若い頃にぐれちゃって、

そのときは確かに似たような幼い考えの仲間と一緒にいたら楽しいのかもしれない。

でも大事な知識を一番受け入れられるときに

そんなことに時間を費やしてしまうのは、

とても勿体無い。


そして「楽」を沢山使ってしまった後に、

残り少ない「楽」を増やすことはとても大変だ。



とある教諭の言葉が大人になってもなお私の心に響き続けていることを考えると、

学校教育で人間形成に与える影響って、

ものすごいと感じる。



思春期真っ只中の子達にこれを伝えるのはいささか難しいかもしれないけど、

それでも少なくとも自分たちより人生経験豊かな大人の言うことは

聞いておいて損は無いとは教えてあげたい。

私はどちらかというと、

良くも悪くも目立つタイプで、

当然荒れた中学に進学してからは壮絶ないじめにあった。


かれこれ2年ほど続いたであろうか。


今思い出しても身震いするほど、

ひどいいじめだった。


内容はここでは書く気にはなれないが、

私も転んでもただでは起きない性分なので、

これまで何故いじめられたのか色々考えてみた。




いじめられる原因は、

残念なことに思い当たる節がいくつかある。


私は生意気だし、少々人を見下す癖があった。

「私はあなたたちとは違うのよ」とは思わなかったが、

「今努力している私は、将来あなたたちよりずっと幸せになる」と心の底で思っていた。


幸せは測ることは出来ないが、

私は現在の日々の生活に取り立てて文句が無いことを考えると、

毎日愚痴をつぶやくか「あの時勉強しておけば…」と悔いている人たちに比べたら、

きっと幸せなのだろう。



いじめられた原因は他にもあった。

私の母親は過保護だったし、

友達とカラオケに行ったり遠くへ買い物に行ったりなどということができず、

みんなの輪に入れなかったというのもある。


もちろん、小学校から仲良くしている子達はそもそも自分と気が合う子だったので、

カラオケに行こうなんて話にもならないのだが、

中学入学と同時に仲良くし始めた子達は自分とはタイプが全然違っていた。


みんなの輪に入れないことから、

私もどこかしら寂しく、きっと悔し紛れになんか言ったのかも知れない。


それが誰かの癇に障り、

いじめになったのであろう。



辛かったなぁ。

あの頃は毎日死ぬことばかり考えていたけど、

でも私は死ななくて良かったと思っている。

死ななくて済んだのは、

いじめられても日中は気の合う友達と過ごせば嫌なことも回避できたりもしたし、

そしてそれが複数人いたことが救いだった。


今でも尚、彼女たちとは連絡を取り続けているし、

仕事の悩みも相談できる一生の友達となっている。



いじめをしていた子達は、

中学生ぐらいの頃はそれこそ「流行の先端を行っている」気がしたが、

いまやそんなことを思うことはない。


むしろ「遅れているなぁ」と思わされることが多い。



もし今、いじめに遭っている子がこれを読んだら、

自分の未来像を想像して、

正しい道を探して欲しいと思う。


私はそうやって、成功したから。

(人生に成功したとは思っていないが、

毎日ストレスの無い生活を送れていることはこの上ない喜びだと思う。

そういった意味で、目的を達成したので成功と呼んでいる。)


そしてもし、

今現在心の許せる友人がいなかったら、

それを探すために勉強をしたらいい。


勉強をすれば自分に合う環境を手に入れるスキルも付くし、

何より可能性が広がる。

自分を信じて頑張る時には、

可能性がまだあるうちにやらねば…と思った方がいい。