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 横瀬浦公園から望む横瀬浦港。今も穏やかな入り江の様子から、当時安全な南蛮船入港に最適と見なされたことに納得できます。

 従来は港にそって南北に走る道路に隔てられた左手にも入り江があったのですが、私が行った時には水が干上がってました。(工事をしていたようなので、故意にそうしていたのかもしれません)


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 横瀬浦公園のモニュメント的建物である展望塔。公園自体が高台にあるので、縁辺に行くだけでも眺めが良いのですが、展望塔の上からは横瀬浦港の入り江の対岸にあった町のエリアも一望できます。


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 佐世保まで見えます。


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 展望塔の裏手にある「天主堂跡」の碑。このあたりに横瀬浦の教会が建っていました。

 この教会を訪れてトルレス司祭と初めての面会を行なった大村純忠は、トルレス師よりJESUSの銘と三本の十字架を描いた金扇をもらいうけます。翌日から純忠は教会で教義や祈祷文、キリスト教に関するさまざまなことを学び、大村に戻った時には金の十字架を作らせて身につけ、キリシタンであると公言していたそうです。

 その後、実際に洗礼を希望した際には、イエズス会としては大村に派遣できる人手がなかったのですが、純忠自ら2~30名の家臣とともに横瀬浦に渡ってきて洗礼を受けます。ドン・バルトロメウ、日本最初のキリシタン大名の誕生でした。


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 伝・横瀬浦天主堂の鐘のレプリカ。オリジナルは神奈川県の沢田美喜記念館にあります。

 写真があまり良くないのは、窓越しに撮ったからで・・・。そう、休館日でもないのに展示室は施錠されていました。

 歴史民俗資料館といい、ここといい、西海市のあまりのヤルキの無さに閉口しました。公園内の詰所のような場所にも人影なく、中を見ることなく立ち去りました。


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 史跡公園正面。私は裏手の駐車場から逆に進んでいたので、ここを最後に通っていきました。一つだけ御影石の色が暗緑から黄褐色に変わってしまっています。

 暑い日の階段の登り下りはやっぱり堪えます。


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 ここにあるルイス・フロイス像。彼は長身で195cmもあったそうです。この像も等身大に作られていて、迫力があります。差し出している手も大きい!「日本史」や「二十六聖人殉教記」執筆で知られる彼が1563年に初めて日本の地を踏んだのがこの横瀬浦でした。彼はこの横瀬浦教会ではフェルナンデス修道士の教えによって改宗した人々に洗礼を授ける務めを果たしていました。


(つづく)