
初夏に目を悪くして、その後もいろいろ体調不良が重なったので更新が滞ってました。。。
先日、近いような遠いような、中途半端な距離だとなかなか行かずにおわっていた御嵩町にいってきました。友人となんちゃって歴史部会みたいな感じのお出かけです。
最初は御嵩町の資料館「中山道みたけ館」(可児郡御嵩町御嵩1389-1)へ。ここで町内発見の大体のキリシタン遺物は見学できます。
次は目印として小原公民館(可児郡御嵩町小原5851-5)を目指します。小原城跡に登る時の拠点になる施設です。

そこから北の方、小原薬師堂の方を見ます。かつて民家が建っている付近に「雷神碑」があり、その基壇から石に彫られた「子育て観音像」が発見されています。

小原公民館から西へ100mほど移動すると「白山神社」があります。小原城跡に行く時は、ここが登り口になります。
ここでもキリシタン遺物が発見されていますので、登ってみます。

踏み面の幅が狭く急な石段が続きます。見えている分をもう1セット登るとやっと社殿にでます。確実に腰にきます笑。
(社殿まで上がると、ゆるやかに下る道があることに気づきました。どうももう一つ楽な道があるそうで、こちらの石段はハードモードだそうです。)

側桁の石のいくつかには陰刻がありました。(同行のお友達に写真をもらいました)
ここは「丁巳十月吉日若山■中」(■はよく見えません)と書かれていたので、勧進の記録でしょうかね。

白山神社の社殿。御嵩町の広報にここで見つかった遺物の記事があったので転載します。
「十字架碑 昭和56年(1981)に上之郷地区小原の白山神社で、正月の祭礼準備に来ていた人と御嵩町文化財調査委員(当時)とが神社を調査した際に、神札が幾重にも貼り付けられて、外見上は白い和紙で完全に覆われている細長い石を発見しました。調査委員が神札を洗い落とすと、ラテン式十字架が刻んである長さ約32cm、最大幅約8.5cmの細長い三角形の黒石が出てきました。この石は頂点が丸くなっており、この部分を頭とした人型にも見えます。」(御嵩町広報誌『ほっとみたけ』2026年4月号「御嵩町の文化財」)

社殿の置かれた辺りも小原城のなんらかの施設跡の可能性があるようです。
写真の左手にゆるい下り坂があったのですが(ちゃんと降りられる楽な方の道でした)どこに向かっていくかわからないので、行きと同じ石段を降りました。踏み外すと確実に落ちるのでかなり怖かった。。。

もう一度、小原公民館に戻り、「七御前」へ、その後は旧中山道へ徒歩で行こうと思いましたが、この日は熱中症のアラートが出ていたことと、初参戦の友人がいたので、車で行くことにしました。

由来不明の古墓「七御前」が道路拡幅のために移設される時に、地中から3点のキリシタン遺物が発見されました。それがきっかけとなり、御嵩町内のキリシタン遺跡や遺物の調査が行われ、多くの発見がありました。
現地の看板にこのようにあります。
「七御前とキリシタン信仰 御嵩町謡坂
七御前祉、謡坂村にある、あるいは古き五輪塔、あるいは古樹あり、しかれども其所の由、知れず」と宝暦六年(一七五六)に尾張藩士松平君山が編纂した『濃陽志略』に記されたように、仏教の墓石である五輪塔が多数あり古い樹木が生い茂った場所で、この地の由来はわかっていませんでした。
ところが、昭和五六年(一九八一)三月、道路工事による五輪塔の移転が行われた際に、その下の地中から数点の十字架を彫った自然石が発見され、ここが仏教の墓地を利用したキリシタン遺跡であったことがわかったのです。
不幸なことに日本では一時期キリシタンを信仰することが固く禁止され、密かに信仰していることが発覚すると命を奪われることもありました。
この遺跡からは命をも顧みることなく信仰に打ち込んだ郷土に生きた先人の生き様が伝わってきます。
御嵩町・御嵩町観光協会」

文字通り草葉の陰になってしまっている「史跡 七御前」の石碑。
ここで発見された3点の十字架の刻まれた石は中山道みたけ館で見ることができます。

有名な「マリア像」。これについて由来を書いた石板がありました。
「平和の像建立趣旨
昭和五十六年三月 謡坂地内で道路工事中にたまたまキリシタン信仰の遺物が発掘されました その後の調査で 小原 西洞 釜坂地内で 数多くの貴重な遺物が相次いで発見され この地に多くのキリシタン信者が居たことが判明し歴史上大きな資料ともなりました 幕府の過酷な弾圧の中で発覚もせず ある期間信仰が続けられたのは 奇跡であると想います こうした例は全国でも非常に珍しく 広く話題を呼び 遠くから多くの人が来訪され 又 東海自然歩道(中山道)に沿う地でもあり 関心を寄せる人も数多くなりました この度 御嵩町観光協会の発案とその趣旨に賛同された多くの方からの浄財により 当時の辛苦に耐えた先祖の慰霊の意味と現世及び今後の人々の幸福と平和を願って ここに聖マリア像を建立いたしました
昭和六十二年八月二十三日 御嵩町観光協会」(原文句読点なし)
ずっとカトリック教会が建てた像だと思っていましたが、観光協会のものでした。

目の前にあるコミュニティバスのバス停名も「マリア像前」。
今回は少しゆるめにして、旧中山道でもう一ヶ所くらい行って終わりにしましょう。

岐阜県の名水50選にもなっている「一呑の清水」。
湧水としてはけっこうな量が湧いているように思います。この謡坂の辺りは急坂でたいへんな地域なので、中山道を行く人々には嬉しい場所だったと思います。
江戸時代に公武合体で徳川家茂に嫁いだ皇女和宮親子さんもこちらのお水を飲んだとか。

もちろん現在はそのまま飲むのはやめた方がいいとは思いますが・・・。
昼過ぎまで会議があって、その後で少しだけの休日でしたが充実した一日でした。
(ご馳走になった晩御飯の写真を撮り忘れてました。。。「ブログ載せるよね?」と言われていたのに載せられなくてごめんね:業務連絡)

今回出かけた御嵩の小原や謡坂の辺りのマッピング。赤丸が今回出かけたところ。黄丸のキリシタン遺跡は美濃加茂市民ミュージアム(2025)「美濃のキリシタン」挿図を元に図示しています。