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 二十六聖人殉教の地、西坂。初めて来たのは十数年前。殉教者最年少のルドビコ茨木(12才)が尾張出身と知り、興味をもってやってきたのでした。国道をひたすら1号線、2号線、3号線と数日かけて陸走し、なかなか着かない九州への道のりも、彼らの京都からの道のりと重なり感慨深かったのを思い出します。
 そして、今回3度目の西坂。


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 本蓮寺から西坂に向かう石段を上ると「長崎浦上街道ここに始まる」の碑があります。大村湾の対岸、彼杵から船にのった26名が時津に上陸、浦上街道(時津街道)を歩いて西坂に至ります。

 今回は行程の都合もあり行いませんでしたが、いつか時津から西坂まで26聖人や浦上キリシタンゆかりの地を歩く、という旅もしてみたいものだと思っています。


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 舟越保武氏による二十六聖人像。以前訪れた後に、京都にあるフランシスコ会の教会や病院の跡地、安土セミナリオ跡など、彼らにゆかりの場所を踏査した経験が思い出されます。

 1597年2月5日、十字架につけられた26人は槍で刺され帰天。この5ヶ月後に長崎で死去するルイス・フロイスは最後に「殉教記」を執筆して地上での命を全うしました。(『日本二十六聖人殉教記』として聖母文庫より邦訳されて刊行。)
 1613年の慶長遣欧使節に同行していた宣教師たちはこの26名の殉教をローマで報告し、1627年に列福への道が開かれます。その後、1862年には列聖。その100周年を記念して建てられたのがこの地にある聖フィリッポ教会とこの像の記念碑です。


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 記念碑の裏側は記念館の設計者である今井兼次氏によるレリーフ「長崎への道」。自然石をつかって十字架の幹から出る枝に実る26のブドウの実の房が描かれています。ブドウの実には一つ一つ十字が彫り込まれています。
 ブドウの房の所は「きょうと」、ブドウの枝は京都から長崎への道を示し、そして長崎の位置には十字架。表の聖人像に目を奪われがちですが、こちらも深い意味をもった意匠です。


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 聖フィリッポ教会、日本二十六聖人記念館、記念碑・・・芝生の中には殉教記を残したルイス・フロイスの記念碑も建てられています。記念館は館長が変わり展示がリューアルされていますが、見学はいつか二十六聖人の足跡をたどる時に譲ります。

 この二十六人だけでなく、1622年の元和大殉教、1633年以降の長崎十六聖人の殉教など、多くの信仰者がそのいのちを捧げた西坂の丘に立ち、しばし祈りを捧げました。



(つづく)