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 横瀬浦へ。平戸に代わる貿易港として1562年に領主大村純忠のもと開港され、繁栄した歴史の舞台です。しかし、その栄華も1563年の南蛮船入港からわずか1年4ヶ月でした。


 横瀬浦にある大村館跡。横瀬浦の天主堂でミサが行なわれる日には、大村純忠が大村より家臣を伴って船でやってきて、この舘に滞在したとのこと。一年のうちのほとんどをこの場所で過ごしたようです。純忠が天主堂を訪れる際に住む住居を教会の後方に建てたいと日本布教長コスメ・デ・トルレス司祭に願ったことがフロイスの日本史にみられます。大村領ですから自由にできるはずなのにそのような態度を取ったことで、純忠は謙遜であるとの評価を受けました。


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 現在はその場所は幼稚園が建ち、片隅に碑があるのみです。それでも周囲からは少し高くなっていて、純忠が舘の船着き場から船で天主堂に行った、ということにうなづける地形です。

 あんまり幼稚園の周りで写真を撮っていて、あやしい人に間違えられてはいけないので早々に立ち去ります。


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 舘跡のすぐ北には横瀬浦公園。駐車場のすぐ近くには大きなタイル壁画があります。大村純忠が家臣25名と共にコスメ・デ・トルレス神父から洗礼を受ける場面を描いた、ポルトガルの現代作家ベラ・シルヴァ氏の作品です。

 この横瀬浦において、日本最初のキリシタン大名が誕生したのです。横瀬浦は港としては短命でしたが、日本のキリスト教史にとっては多くの点で重要な意味を持つ場所でした。


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 横瀬浦の主だった史跡のマッピング。



(つづく)