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 黒崎の隣町が出津(しつ)。ここにある「出津文化村」は外海(そとめ)地区の文化・観光のシンボルゾーンになっています。施設はたくさんありますが、今回はド・ロ神父関係の場所を重点的に見て回ります。

 最初に国の重要文化財に指定されている「旧出津救助院」。施設が老朽化し、耐震対策などを施すために2007年から修復工事が行なわれていました。そして今年の4月に工事を終えて、美しい姿によみがえったばかりです。ここから出津の見学を始めます。

 白い壁に赤い十字架のマカロニ工場と、赤土・石灰・砂で接合された詰石による堅固な「ド・ロ壁」。コントラストが美しいですね。


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 マルコ・マリ・ド・ロ神父はフランス生まれでパリ外国宣教会の宣教師として幕末の1868年に来日します。長崎の大浦や横浜などで司牧のかたわら石板印刷所を設置します。(ド・ロ神父の手になる大判のキリスト教をモチーフにした石版画や書籍等の印刷物が多く残っていて、大浦やこの出津でも見ることができます。)
 ド・ロ神父はこの石版印刷技術を日本に伝える目的で来日したのですが、それ以外にも多くの技能を持つ逸材でした。彼の残した才能が大いに役立ったのがこの救助院で、彼自身の手により設計・建設されます。(その他にも多くの建物、教会の設計建築に携わります。)そして出津の貧しい人々の授産のためにマカロニやそうめん、パン、織物などの生産を行い、その原料となる小麦生産にも従事し、医療技術をもって治療にあたり・・・。もちろん本職の司祭の務めを忘れることはありませんでした。ド・ロ神父は幼い頃から厳しい父親に叩き込まれた全ての技術、学校で学んだ知識、宣教会で身につけた能力を使い、日本人の「魂」と「体」を救うために働いたのです。そのためにド・ロ神父は家族から譲り受けた私財すらも全て投じたのです。その一つが出津救助院でした。


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 重文指定されている授産場の1階部分。ここでパン、そうめん、マカロニ、醤油、織物の染色などが行なわれていました。床板は中央一列が外せるようになっていて、その下が地下貯蔵庫になっています。

 黒い金属の柱は最近の修復で入れられたもの。なんとこの建物の梁は金属の金具にひっかけられているだけの構造で、地震のない町で育ったド・ロ神父には地震対策は頭になかったようです。

 右手の壁面にある作り付けの棚の戸にはド・ロ神父直筆の数字が記されています。


 ・・・等々、常駐のボランティアガイドさんが丁寧に解説してくださったことの受け売り。入場した時は15分くらいで見て回って・・・と予定していましたが、猛烈に暑い中で丁寧に話してくださるのを聞いていると、時間は考えずにじっくり見たくなります。

 また、映像展示もあるのですが、そこで坂本龍馬などを撮影した幕末明治の写真家・上野彦馬による若きド・ロ神父の写真を見ました。イケメンですねw。


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 その2階部分。ここは働いていた女性たちが生活し、また礼拝する場所でした。写真はその祭壇部分。
 ところで、ここで働く女性たちは皆同じユニフォームを身にまとっていましたが、これが日本最初のユニフォームだそうです。(記念館にありました)

 壁面にある時計はまだ動いているそうです。(私が行った時はたまたま止まっていて、ガイドさんが「職員にネジをまくように言っとく」とおっしゃってました。)


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 2階に置かれている、ド・ロ神父がフランスから輸入して使っていた足踏オルガン。演奏できるものは日本には2台しかないそうです。ガイドさんが、「どうぞ弾いてください」とおっしゃるが、素人にはそうそう弾けるものではありません。なにか思い出しながら讃美歌を弾いてみようとしますが、ミュートレバーにうっかりさわってしまい音が出なくなって「壊した!?」と慌てた記憶の方が鮮明です。

 このオルガン、隣接地にあるド・ロ神父記念館でシスター橋口ハセ氏が演奏していたものでは?(記念館の方には修理されていないオルガンが展示されていました。)


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 建物外観で興味深いのは後付けの雨戸。台風のない国で育ったド・ロ神父は当初窓ガラス一枚で建物を建てたそうです。

 さて、本当はこの場所は写真撮影禁止だそうです。でも写真があるのです。なぜでしょう?(内緒で撮った、のではありません)


(つづく)